ガンプラというメトロポリス
今回は、先日発売となりました「HJメカニクス10 ”特集:機動戦士ガンダム 逆襲のシャア”」掲載の作例をうっかり引き受けたお話です。
HJメカニクス10。絶賛発売中!
それなりに長く模型ライター業をやらせてもらってますが、模型誌でガンプラ作例を担当したことは過去1回しかありません。そもそもライターデビューが飛行機模型専門誌「スケールアヴィエーション」、作風は筆塗りの汚しまくりとくれば、ガンプラ含むキャラクタージャンルへの接点自体がほとんどありませんでした。
思い出のデビュー号。絶賛絶版中!
そんな自分に来た初めての依頼はガンダムホビーライフの記念すべき第一号。当然こちらも第一回「異ジャンルモデラーの挑戦」コーナーへの依頼でした。
こちらのコーナー、タイトルの通り”ガンプラ以外をメインとするモデラーがガンプラに挑戦する”という形となっており、飛行機モデラー(当時)の自分にお呼びがかかった形です。
たしか打ち合わせ兼キット選定で向かったヨドバシカメラ秋葉原店、GHLプロデューサーNAOKIさんに「ウィングガンダムとかいいよね!」と言ったら「そういうの求めてないから」と至極ごもっともなことを言われたので、求められる形であろう「MG 陸戦ジム」を買って帰りました。
アウェイ感はありましたが、当時ほぼ知り合いのいない飛行機村で寂しい生活をしていた身としては、ガンプラというある意味模型界のメインストリーム、都会にお呼ばれしたのは結構嬉しかったのを覚えてます。
そして時は流れて2021年。
HJ編集長の「清水さん、ギラ・ドーガ作らない?」という言葉に「いいですね、俺、ギラ・ドーガ好きだし」と軽く答えてしまったのは、あの頃のキラキラした都会の思い出が甦ったからなんでしょうか。
そして編集部から届いたMGギラ・ドーガ。ひとまず仮組をして思ったのが
「俺の知ってるガンプラはこうじゃない気がする…」
あちこちのジャンルを浮気しながらガンプラだけはほぼ触っていなかったので、SNS、模型誌誌面で人の作品を横目に見るくらいだったんですが、そのあいまいな記憶と比較しても目の前にあるMGの素組みはこうじゃない感が満載。
改めてじっくり見ました、SNSのガンプラ作品、雑誌のガンプラ作例。
大変なことになってました。俺のあこがれの都会は未来都市になってました。
エッジの立った平滑な面と複雑なスジボリと繊細、過剰なディテールと…これがガンプラのスタンダード!俺の知ってる都会はまだ東京タワーしかない頃ですよ…三丁目の夕日ですよ。
ほんとに困ったなあと思いました。結構考え込みました。いきなり冷凍睡眠から目覚めたダンの気分ですよ、どうやって生きていこう…いや、作っていこう。
でも改めて考えるとガンプラって作ったことあんまりないんで逆に作りたかったものが結構あることに気が付きました。ちなみに自分の両親は「プラモデルは創造性を育まないからダメ」という思想の持ち主だったので、中学の途中辺りからプラモ禁止でした。なのでその辺りのアイテムに対しての枯渇感というかトラウマが結構あるんですね。
当時買えなかったガンプラたち、憧れだったガンプラたち。
ジョニー・ライデン専用機、プロトタイプガンダム、1/60シリーズetc,etc…
そんなことをつらつら考えているうちにたどり着いたのがコチラ。
リアルタイプ ザク。
これぞまさしく自分にとってのザ・邦男!ザ・ガンプラ!
ギラ・ドーガはザクの後継機的な機体なので相性はもうばっちりです、拍子抜けするほどキットが普通に買えたのはラッキーでした。
これをイメージソースに、出渕先生の設定画に準じてキット固有ディテールは埋めて、ボディラインは出来るだけ滑らかに繋げて、使えるデカールはそのまま使って、「リアルタイプ ギラ・ドーガ」を作りました。
個人的には満足しましたし、作風的にも自分らしさが出せて一安心、だったのですが、誌面を見るとやっぱり田舎から上京してきたお父さん感は否めませんね。
ガンプラライターの皆さんの基本工作の丁寧さ、仕上げの隙のなさ、特集はまさに模型界の花の都 大東京でした。
前回はお客さんとしての上京だったんでまだ帰りに憧れのグランドキャバレー寄るくらいの観光感ありましたが、今回はやれるだけやったという満足感と共に、息子にお土産の新巻鮭を渡して、最終の新幹線で村にトンボ帰りという心境です。
じゃあ、父さんもう東京に来ることはないだろうけど、お前は達者でな!
そんな田中邦衛的作例、誌面でもぜひご覧ください。