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福津市の“太陽革命”

竹尾緑地問題・2020年7月20日

長年どこかの市に住んでいても、普通に生活してる中では、市長と直接話したりすることってあんまりないものじゃないかなと思います。私も市長といえば、ときどきお祭りやポスターで見る程度。自民出身の政治家? どうせ土建やお金にまみれてるんでしょ? つい数週間前まで、そう思っていました。
 
こんな活動を通じて市長に会うことになり、最初にびっくりしたのは市長の気どらなさでした。私、ある程度以上の社会的地位のある人で、こんなに自分を飾らない人に会ったことがなかったです。話したいことを話したいように話し(けっこう支離滅裂)、人並みの劣等感も隠さず、多少悪賢い人にはすぐにやられちゃいそうな隙の多さ。
 
でも私が一番驚いたのは、この市長はたとえ人に裏切られたことがわかっていても、なかなか相手を切ろうとしないことでした。一緒に講演会の内容について考えていたとき、私は市長に言ったのでした、「市長、もうここは、『自分に人を見る目がなかったんです』って、素直に認めてしまっていいんじゃないですか?」
 
そしたら市長は、「え〜、それはできない」と言いました。そのとき私が思ったのは、「あ、そっか、任命責任は認めたくないか」ということ。でも次の瞬間、考えられない返事が返ってきたのでした。「そんなこと言ったら、〜さんと〜さんがかわいそうじゃない」
  
このときに限らず、彼はいつでもこんな感じでした。市長の周辺から漏れ聞く話は、ひどい裏切りと策略。この人はどうやってこんな仕打ちに耐えているんだろうと、さっぱり意味がわからなかった。私がその人たちの文句を言い始め、市長に「あんな人たち、切ればいいのに」と言うと、市長は「~さんはこういういいとこがあるんだよ、いつかわかり合える気がしてるんだよ」と言ってくるんです。「だから切らない」って。
 
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正直、それが少しムカついて思え、こう問い詰めたこともありました。「市長、あなたはね、自分がいつでもその人たちを切る権力をもってるから、余裕こいていられるんですよ。私や母はね、あなたのような権限ないから、市長がどっちに転ぶかで、いっつもやきもきしてなきゃいけない。そういう側から見ると、あなたの優しさは残酷ですよ。あなたが彼らを切らないがために、母はカスミちゃんを失うかもしれないんだから」
 
「ふ〜ん、そうかなぁ〜」、市長は変わらずふわふわしていました。私は自分を卑下してみたものの、市長から下に見られてる感じはまったくしない中、市長はこんなことを語ったのでした。
 
「今までもね、ひどいことたくさんあったんだよ。でもね、そのたびに助けてくれる人たちが現れてきたの。今回なんかね、僕とは政治的に合わない議員まで、僕の味方についてくれるようになったんだよ。これってすごいことでしょう? だからね、僕はずっと信じてるとこがあるのよ。自分が正しいと思うこと信じて待ってたら、天はいつか絶対味方する」
  
新聞は6月28日の、「教委案を市長が凍結」と、市長を非難する記事が出たきりで、私たちの多くは絶望の中にいました。どんなに人のよい市長でも、これだけ多くの人に植え付けられた偏見を、ひっくり返すことはできまいと、私は思っていました。だから、彼がこんな絵空事のようなことを言ったときも、私はあまり信じていませんでした。
 
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7月11日の朝、新聞を見た私はひっくり返るような気持ちになったのでした。「『竹尾緑地』に建設 疑問も」。前回とは打って変わって、市教委が出した竹尾緑地案のデメリットが過不足なく挙げられていました。美しい構成と、情報の裏まで匂わせるような文体は、説得力抜群でした。
 
そしてこのとき、私はようやく市長の目指すところが見えた気がしたのでした。市長は、新聞記者を切りませんでした。一度完全に状況を見誤った記者に、抗議はしたけど、すべて見せたし、すべて聞かせた。美しい記事はそこから生まれたのでした。きっとこの手法を、彼はどの相手にも、どんな場合にも、当然のように行ってきたんだ、と私は思いました。
 
たとえば自分を嫌う議員たちの家の前で出待ちして、彼らの本音を引き出しながら。たとえば市政の文句を言ってくる、地元のおじいちゃんたちとの対話でも。そうやって彼はピンチに追いやられるたび、一人一人と出会い、対話し、テーブルをひっくり返してきた。だからこそ今回の竹尾緑地に関しても、誰がなんと言おうと、やっぱり自分はこう思うんだっていうことを、みんなの知らない場所でたった一人、粘り強く、やってくれていたのでした。一人ピンチ、責められてばかり、なんもいいことなかっただろうに。
 
私は地元政治にまったく関心なくて。市長がこんな丸腰で、自分を盾に孤軍奮闘していたなんて、つゆ知らず。市長は、そんな関心の薄い私たちのためにも、ずっと一人で戦ってくれていました。市長が原崎さんでなければ、私たちはとっくの昔に、竹尾緑地を失っていたと思います。
 
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市長は少し自信なさげに、まとまらない話をペラペラされます。何年の何月に東福間駅が改修されたとか、そんなどうでもいいようなことを、我がことのようにうれしそうに話します。聞いているうち、自分も福津が好きなんじゃないかという気がしてきます。とてもいい気分です。
 
まさか自分が保守系の政治家と関わる日がくるとは思わなかったけど、大切なことは右か左かではなくて、あり方なのだと教わった気がしています。「誰一人殺さず、すべての人を(極力)生かす」とでもいうような彼の美徳は、この3年間、優しい町をつくってくれてたんだろうなと思いました。
 
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11日の新聞が出てから9日間が経ちました。市教委に、竹尾緑地案を取り下げる気配はなく、偏ったアンケートで保護者を誘導したり、ここには書けないようないろんな妨害行為を行っています。そういうのを耳にするたび、怖いんだろうな、と思います。自分がやったぶん、自分もやられると思うはず。でも、「安心してください」と、私は彼らに伝えたい気がするんです。
   
現・福津市長の一番の強みは優しさです。教育委員会も、教育部も、副市長も、「誰一人殺さず、(極力)生かし」、オール福津の温かい町にしていくことを、彼は今この瞬間も、ずっとずっと画策しています。たぶんこれは、血の流れない革命。北風ではなく、太陽の革命。
 
 
 
今までずっと、やられるほどに味方をつけて帰ってきた市長。今回のような大きな戦いのあと、どれだけ多くの味方をつけて帰ってくるか、私は楽しみにしています。福津で起きようとしている温かい太陽革命の顛末、みなさんぜひ見守っていてください。

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