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カスミちゃんを思う母を守ります

竹尾緑地問題・2020年6月30日

【竹尾緑地・開発に追いやられ、追いやられ、なんとか残された場所で命をつなぐ絶滅危惧種たちのために、どうか力を貸してください(>人<)」】
 
2020年6月28日、西日本新聞にこのような記事が載りました(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/620976/)。一方的な主張をもとに書かれた記事が、地道に活動してきた人たちの心をこんなに傷つけてしまうことを、前にこの新聞社で働いていた者として痛感しつつ、この文章を書きます。
 
2012年、福津市に九州最大規模のイオンモールができました。開発当時から希少生物たちがいることも指摘された土地でしたが、大規模開発は進みました。地盤が弱いため、建築には向かない土地として開発から逃れたのが、今の「竹尾緑地」(福岡県福津市日蒔野6丁目32−12)でした。
 
絶滅危惧種のカスミサンショウウオ、アカガエルの生息が確認されるこの地を、市民の自然観察に利用してほしい。そう考えた福津市は市外の専門家を招き、2011年に「竹尾緑地と里山みまもり隊」が結成されました。10数名の市民たちが参加して、絶滅危惧種たちの生き残りに必要な沼地を整えたり、観察を続けています。
 
「今年はカスミちゃん(カスミサンショウウオ)の卵がいっぱいあったよ」「今年はアカガエルが少ないねえ・・・」「今年はカスミちゃんがいっぱい育っていったよ。沼から山に登っていった」。メンバーの一人である母は、活動のない日でも竹尾緑地に出かけては、カスミちゃんの動向を、まるで親戚のお姉さんのことのように一喜一憂して知らせてくれました。
 
事態が急変したのが2019年12月。福津市議会で、竹尾緑地に新中学校を建てる案が出されたのでした(54億円以上)。福津市の事業の一環のつもりで絶滅危惧種たちを見守り続けてきた「みまもり隊」には、寝耳に水。事前になんの相談も知らせもありませんでした。
 
ほかにもっと適した土地(手光案46億円)もあるのに、なぜここに? 災害時の安全性も確保されないこの場所はやめたほうがいいのでは? 「みまもり隊」のメンバーは、さまざまな関係者にかけあいました。その中で見えてきたのは、開発に慎重な原崎智仁市長に対し、福津市教育委員会と松田美幸副市長が開発に積極的になっているという実態でした。
 
福津市の原崎市長は、2017年に市長に当選しました。自民出身の市長なら、きっと開発側だろうと私は思っていたのですが、直訴に行った母によると、原崎市長はほかの関係者らと違い、母たちの話をじっくり聞く姿勢を示してくれたのだそうでした。そして2020年2月、市長が方針転換し、竹尾案は一時凍結となりました。
 
市長の任期はあと6ヶ月。選挙のことを考えるなら、十数人の小さな市民グループよりも、開発を進める側に立ったほうが間違いなく勝算があるはずです。そんな市長が、安全性と自然保護に舵を取ったことに、私は意外性と感動を覚えました。そういえば原崎さんが市長になる前、自然観察イベントで、子連れの彼を見たことを思い出しました。
 
福津市は今、一部地域で子育て世代が増えている一方で、少し離れた別の地域では減少が起きています。昔は1学年8クラスあった教室が、半分以下しか使われていない小中学校も少なくありません。ほぼ使われなくなった公民館もあります。校区を再編し、これらの建物を有効活用することは可能なはずです。新しい建物を建てても、子育てラッシュはすぐに去り、また他地域のように使われない教室が増えてしまうことは目に見えています。
 
副市長も福津市教育委員会も、子どもたちのために一生懸命なのかもしれません。でも新しい建物を建てることには、いろいろな利権が発生するため、後押しされがちという事実も忘れてはなりません。一度開発してしまったら、二度と戻らないものがある。市長は、自分の政治生命をかけて、カスミちゃんたちの生存を守ってくれたと思っています。その市長に対して、
 
「背景にあるのは、市内唯一の照葉樹林である竹尾緑地で盛んな保護活動だ。竹尾案が明らかになると、一部市民の間では早くも反対運動が起こり、来年3月に任期満了を迎え、就任1期目の原崎市長はその声に配慮しているとみられる。」(西日本新聞6月28日)
 
この書き方はあんまりではありませんか? 少なくとも、「〜配慮していると見る人たちもいる」という言い方にするべきではないでしょうか。
 
宗像市局に抗議の電話をしたところ、床波記者に「自然保護側からの情報を受けて取材しているから安心してほしい」と言われました。しかし、「みまもり隊」の主要メンバーは、誰一人取材を受けていないことがわかっています。床波記者自身、今回の取材は福津市教育委員会を中心に行ったことを認めています。一方の言い分をそのまま事実のように書くことが、記者の仕事なのでしょうか。
 
私は、母や、グループの人たちが、竹尾緑地をどれだけ大切に育んできたかをそばで見てきました。見学者に生き物たちの説明をし、カスミちゃんを見つけた場所には旗を建て、植物の名前を記した看板をつくり、観察用の足場をつくり。そんな市民たちのことを、「中学校が必要なのに、余計な反対をしているグループがいるんだな」と思わせ、「選挙が大事で、一般市民を思わない市長なんだな」と思わせることが、新聞の役目なのでしょうか。こういう記事を書くときは、少なくとも双方から話を聞くことが、必須ではないでしょうか。
 
「開発されてしまうことになっても、私は最後の1日まで、カスミちゃんの世話を続ける」。昨日、母は食卓で決意したように話していました。お金にならなくても、利権にならなくても、こういうささやかな市民の楽しみを大切にする市があってはいけないでしょうか。そういう市民の楽しみと、絶滅危惧種たちを守ろうとする市長があってはいけないでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせ願います。私たち家族は最後の1日まで、カスミちゃんを思う母の思いを応援します。

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