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アセット大賞
竹尾緑地問題・2020年8月4日
6月28日の西日本新聞に始まり、竹尾緑地問題に足を踏み入れ、気づけばもう1ヶ月が経った。いろんな人たちの人生に深く関わるような出会いがあって、いろんな裏事情も見えてくる中で、環境問題について言わないようになった。「カスミちゃんを守りたい」と言う母を守りたかった、当初の私の気持ちを見失っていた。
これには二つの理由がある。カスミサンショウウオ、ニホンアカガエル、カヤネズミ…竹尾緑地にいる希少生物たちだが、山奥に入ればまだわりといるということがわかったのだ。山奥にチラシをもっていったときも、チラシ見て「あぁ、これけっこういるよね」って言われたこともある。あれ、そうなんだ、と少し拍子抜けした気持ちだった。
それからもう一つ理由がある。これは書かないでおくけど、私はこれを知って、「環境保護だとしても、大きな顔をしちゃいけないなあ」と思ったのだった。だから、この一件が片付いたら、もっと自分から動いていこうと心に決めた。恩恵を当然にして、権利だけ主張する人間になりたくない。
それでも王蟲のように走り続けていたのは、竹尾緑地をめぐって、どう考えてもおかしなことが進行しているからだった。そういえば市長はどんな考えなんだろうと思って、1ヶ月ほど前、「ところで市長は、環境破壊だから竹尾反対っていうわけじゃない・・・ですかね?」と聞いたことがあるが、ちょっと申し訳なさそうに「うん、僕は安全面、費用面、教育面から反対なんだけどね」と答えられた。まぁ、最終目標が同じならいっか、と思いながらやっているうちに、私が宗旨替えしていたというわけだ。
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こないだ土曜日の午前に市長に電話したら出なくて、少し経ってから電話をもらった。津屋崎海岸の松林の清掃に行っていたんだそうだ。行事があるとき以外の彼の休日はだいたい決まっていて、もう10年近く、宮司・津屋崎・福間郷づくりの松林清掃と、福津民話劇団の練習。市長になってから特に付け加えた活動はないみたいで、「なんか票集めしたい感じのことをするのが恥ずかしくてね〜」と言う。素直な人だなあと思う。
「ところで、どうして松林を清掃してるんです?」と聞くと、こんな答えが帰ってきた。
「僕が育ったとこが海岸でね。泳いだりとか、肝試しとか、いろいろ遊んだんだよね。東京に出て、こっち帰ってきたときには、松林がもうジャングルになってた。ときどき自殺体も出る。それで始まったわけよ、松林を再生しようっていう運動が各所で。だいぶきれいになったんだよ、松林の中で絵を見たりする、松林ウォークっていうイベントもできるようになったりね。
松林が海岸に植えられたのは、江戸時代、福岡では黒田さんのとき。防風、防砂のためだったけど、当時、松葉は松葉がきして燃料にしてた。松葉でお風呂焚いたりしてたんだけど、戦後はまったく必要なくなって。でもね、松って栄養がないとこに育つんだよ。松葉かかないと、松葉が腐って腐葉土になり、ほかの雑草や木が生えてくる。だから松葉がきしたり、今生えてる雑草を根から切ったり。砂地が見えてくると、松は元気よくなるんだ。松露が出てきたりして」
松林の中を歩いて海岸に出ていくっていう日本の原風景。当たり前だと思ってたら、それだけ人の手がいることだったんだ、と驚きつつ、
「でも、松の世話大変すぎません? ジャングルになっても防風、防砂の役割は果たすんでしょ。ジャングルが自然と言えば自然かもしれないし」と突っ込むと、
「まあそうなんだけどね。どっちがいいかっていうのは話し合ってきたよね、松じゃなくてもいいかどうかとかね。でもね、僕は松も福津のアセット(財産資産)だと思うんだよね。アセットだったものが荒廃している。それを再生させるとアセットの片鱗が現れてくる。これが地方創生かなって思うんだよね。
あと松林の活動はすごく順調でね。福間と宮司と津屋崎のさとづくりの環境部会が中心になってやってて、あとは中学校の先生、病院のスタッフとかね。担い手がうまく育ってて、中学生とかも地元に残った子がそのまま続けてくれたりね。それで10年経った。今のところ松林清掃は10年だけど、竹尾緑地と津屋崎干潟の活動は12、3年かな。短いと言えば短いけど、12、3年の取り組みはもう一つのアセットだから。続けていかないとね〜」
私は「あれ?」と思って。
「あれ、市長。前に、竹尾緑地に反対なのは、環境保護のためじゃないっておっしゃってませんでした?」と聞くと、
「そんなこと言ったっけ」と言って、市長は続けた。
「竹尾緑地は、市が市民に協働をお願いして、それでやってきた自然保護活動だよね。優しい気持ちのある人たちが、10年以上守ってきてくれたし、その自然にひかれて、若い人たちも住みにきてくれてる部分もあると思うよ。竹尾緑地に学校を建てたい人たちは『ほかに自然はどこにでもある』って言ったりするけど、それは違うよね。人の手が入った自然は大事だし、それを守ろうとする活動はアセットだよ。
福津市がSDGs未来都市になったのも、松林、大峰山、上西郷川、津屋崎干潟、竹尾緑地で行われてきた市民協働が評価されたからだよね。人口増加で学校が必要だからといって、福津の良さを守ってきてくれた市民の思いを足蹴にしたり、つぶしたりしたら絶対に禍根を残すし、せっかくのアセットを失うことになる。完全に本末転倒でしょ。
今、竹尾に学校を作りたい人たちも、『竹尾で環境教育を』って言ってSDGsうたってるから難しいんだけどね。でも環境教育なら手光でもできる。もし竹尾緑地しか選択肢がないんだったら、竹尾緑地でするしかないけど、手光っていう、もっと適した場所がすでにあるから、僕はそっちでいいじゃんと思うのよ。SDGsの理念は『誰も置き去りにしない』でしょ。竹尾緑地の活動を行ってきた人たちの思いをね、置き去りにしちゃいけないんだよ。そういうのを、新しく始まる学校の歴史の最初にしたら絶対だめ」
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胸をガーンと殴られたような気持ちになって、しばらく顔が硬直していた。
「市長。市長も、環境守る活動を大切にしてたんじゃないですか。だから竹尾緑地を守ろうとする人の気持ちがわかるんじゃないですか・・・」
「あ、そうかな。あんまり自分でよくわかってなかった」
話し終えた本人は、何事もなかったような声をしていた。今、自分が話したことの価値を、この人はぜんぜんわかってないんだ・・・と私はわかった。「竹尾に反対するのは環境保護からじゃない」と言ってたけど、彼が安全面、費用面、教育面以外でも何かを守ろうとしてくれてたことは確かだった。彼が守ろうとしていたのは、人の優しさであり、思いであり、営みだったのか・・・。
そういった「ものの道理」から外れることは、どんな美辞麗句で飾れても(副市長のようにね)、根源的に「何か」が違う。その「何か」はうまく説明できないけど、長い目で見ていけばきっと多くの人に伝わる何かなんだと私は思った。とってつけたような票集めも、美化も、この人にはきっと要らないんだ。・・・でもそれだとあまりに、人に伝わらなさすぎる。
彼のポロっと出す宝物のような言葉を、つないで伝えるのは私の役目だ、と私は思った。家に帰ってすぐ文章に起こし、母に読み聞かせた。
今まで市と協働しているつもりで竹尾緑地を守ってきたのに、竹尾緑地問題が持ち上がったとたん、「私たちには何もできませんから」「沼じゃなくて、もう山に目を向けたらどうですか」など、市職員から冷たくあしらわれるようになった母たち。次に新聞に「一部の環境保護団体のために市長が竹尾案を凍結した」と書かれ、肩身が狭くなった。さらに娘の私が、「もうこれは環境問題じゃなく、お金の問題だから」と言い始め、母はどんなに悲しかっただろうと思う。松林に10年関わってきた市長だからこそ、そんな母たちの、竹尾緑地にかけた十余年の思いを当然のように見つめてくれたんだ、きっと。私が読み上げた市長の言葉に、「これが、私たちが市に言ってほしいことだった・・・」と母は涙した。
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自然保護という言葉を、私もこれから言っていこうと思った。確かに山奥には、カスミサンショウウオもニホンアカガエルもカヤネズミもいるかもしれない。でも街の真ん中で、こんなにたくさんの希少生物たちが生き、卵を産み、育っている。目の前で複数の蝶が給水し、卵を産んでいく。カスミサンショウウオの卵が孵化していく。こんな光景が見られる場所は、日本中でもなかなかないんだって。
竹尾緑地9.7haのうち3.5haが削られても、生き残る種もいるだろう。でも、そのときの竹尾緑地は、今の多様な生物群ではもうなくなっている。ぐっと幅が縮まった小さな生物群になる。子どもたちのためだからしょうがない、という考え方もあるだろう。でも私たちは福津市から、大切なアセットを失うことになる、という考え方もまたあっていい。竹尾緑地の生物多様性も、この地を愛する母たちの心もまた大切なんだから。
それを認めてくれた市長の心に、私はアセット大賞をあげたい。