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パラシャットハシャブア 1.「ベレシート」

前書き



先週から、聖書通読をユダヤ的聖書通読
「パラシャットハシャブア」でやってみている。
(別名:トーラーポーション)

そこで、これからそのパラシャットハシャブアで感じたことを書いていってみようかなと思う。

※パラシャットハシャブアについての解説はこちら

1.ベレシート(10/24〜10/26)


※今回は、あまりしっかり読めてないから
シオンとの架け橋さんの動画を観た感想。

〜この視点はなかった!と感じたポイント〜


1.罪について
・最初の罪→神からの命令に従わなかった罪
=神に対する罪
・2つ目の罪→カインがアベルを殺す
=人に対する罪

律法にも神に対するものと人に対するものがあるが、
神に対する罪と人に対する罪を親子で犯してしまった

2.カインは、アダムを継ぐポテンシャルはあったのか?
→その発想で考えたことなかった!

カインはアベルを殺したあとノデの地に行って、7代目のレメクまで神の前に悔い改めることがなく
その系図が絶たれた。
(※このあと、ノアとその家族以外の生きるものがすべて滅ぼされたことによる)

→本来、人は「耕すため」につくられた。
→カインが、その役割を担っていた。

新しい視点。

今回のまとめ

まとめというほどのことも書かないけど。。。
個人的には、シオンとの架け橋さんの動画で最初に語られていた言葉が一番印象に残ってる。

「ユダヤ教では、聖書を多角的な見方、解釈をする」
「トーラーには70の顔がある」と言われているらしい。

ユダヤ教のラビ(教師)たちは、
様々な視点から解釈をする。
(それこそ、巻物の隅に書かれた文字一つをとっても「神はここから何を語ろうとされるのか?」と考えるらしい)

だから、多分聖書の解釈については
「これが正解だ」とかはないのではないかな、と思う。
※ただし、自分勝手に解釈するのは違うと思うけど

今日の日本のキリスト教界でも教義の違いとかで争われることも多いけど、
そもそもが「これだけが正解」ということではないのだろう。

だからこそ、日々、
自分でイェシュアの名によって祈り求め、
訪ね求め続けることが必要なのだろうな、と思う。

☆シオンとの架け橋さんの解説、分かち合いは下のリンクから

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