1.「幕屋」を学ぶ上で大切な視点
アシュレークラス「幕屋」の学び
まとめノート。
まず初めの記事は、
幕屋の学びの際にいつも話される、
「『幕屋』を学ぶ上で大切な視点」についての分かち合いです。
①聖書全体が、イェシュア(イエスキリスト)を証ししている
Q.ここにある「永遠の命」って何?
あの書(=いのちの書)に記されているものは、
みな救われる
いのちの書に記されている者
=天の御父によって引き寄せられる
イェシュアをメシアと信じるもの
=永遠の命を得るもの
その永遠の命を得るためには、
「わたしの元へ来なさい」
御父が引き寄せられないと、イェシュアの元へ来ることができない
引き寄せられる
必ず歴史の中で起こる
②イェシュアは、私たちのただ中に住まわれる
・神は、イスラエルの民をエジプトでの400年から救い出したあと、荒野へ連れて行った。
→なぜ?=荒野は、神の言葉を聴くところだった。
しかし、彼ら(第一世代)は、神のされることを理解できず、従えなかった。
なぜ?→彼らのうちに、メシアがまだ住んでいなめかった。
・イェシュアが「私たちの間に住まわれた」のはいつ?
→イェシュアが復活した後、弟子たちに息を吹きかけられたとき。
この時、弟子たちは「内なる聖霊」を受けた。
(五旬節の時に弟子たちの上に下ったのは、「外なる聖霊」である。)
この瞬間に、聖霊が弟子たちの間に入った。
→「三一の神が人とともに住む」
この、ヨハネ1章14節のことばが成就した。
☆もともと、神は人を造るとき、
チリで造った人の鼻に息を吹きかけて、霊と魂を作られた。
私達の霊→神様を受け入れる場所
しかし、アダムとエバがサタンにそそのかされて
「食べてはならない」と言われていた善悪を知る知識の実を食べてしまった→神と交信する機能が、機能不全となってしまった。
彼らの魂はサタンの住処となってしまった
→その問題を解決するために、イェシュアは人となってこの世に来られ、十字架にかけられて死に、三日目に蘇られた
そして、その復活の日に弟子たちに息を吹きかけられ、彼らのうちに神の霊を入れられた
御子の栄光
☆「初めのアダム」がもたらしたものを取り払われた
新創造が行われた
神と人が住む場所が再創造された。
☆それは、創世記1章1節に書かれている。
「はじめに、神が」と書かれている「はじめ」は、
ベレーシート→「初穂によって」という意味がある
初穂=イェシュア
聖書のはじめから、イェシュアが証しされている
※しかし、まだ完成してはいない。
教会が完成するとき→携挙の時
イスラエルが完成するとき→千年王国が終わったとき
歴史が終わり、天に備えられた「新しいエルサレム」が、新しい幕屋としてこの地に降りてくる
(天に行くのは一時だけ)
私達は、やがて生きているものも死んでいるものも
携挙のときには全て天に挙げられて、完全な霊の身体に変えられる
作り変えられ続けている
☆これが、福音である
※これはまとめきれていないので、今後の学びの中でまた加筆修正できればと思っています。
イェシュアが語っておられることを、正しく理解する
イェシュアのうちに、知恵と知識の宝が全て隠されている!
→私達が語るキリストの奥義は、
「塩味の効いた」魅力ある言葉となる
(コロサイ人への手紙4章6節)
この、創世記のはじめから語られている
一貫したイェシュアの贖いの計画。
それを学んでこそ、本物の福音を語ることができる
3.イェシュアにとどまる
・わたしにとどまりなさい→1回だけ。
アオリスト命令形。1回きり。
→イェシュアが私達の中の霊に入ってくださったのは、1回きりの出来事。
そこにとどまる、ということ。
=私達の霊の中でのこと。
私達の霊と神の霊が一つとされるとき、
多くの実を結ぶ
イェシュアの霊と私達の霊がひとつになる
その新創造が始まった
このことを知り、
一回きりの出来事として信じ、
その事実の中にとどまることをし始めなさい、
ということ。
☆とどまる→最良のヘブル語は「ダーヴァク」。
→初出箇所:創世記2章24節