僕はどう治療されたいのか
眠れない。
神経が昂って眠れない夜が多い。明日は休みなのでそれでも良いのだけど、不健康であるし明日一日の生産性が下がることは確定的だ。
眠れないでいると無性に文章が書きたくなる。それは焦燥にも似た衝動だ。
スマホの小さな画面に文字を打ち込むこと、キーボードを薄く照らしてPCに向かうこと、最近取り入れたスタンディングデスクの上でiPadを開くこと。
どれも苦しさからの逃避行動なのだけれど、それでも何か満たされるような、息が出来るような感覚があって、僕はこの悪習を辞められずにいる。
「この治療のゴールってどこにあるんでしょう。」
「薬を飲まなくても日常生活を問題なく送れる所だね。」と先生は即答した。
今月のメンタルクリニックで交わした会話だ。なるほどその通りなんだろう。特別に何かをしなくても、もしくは良い習慣を身につけて毎日暮らせれば、それは治療の必要がないゴールだろう。
こうやって早朝4時にnoteを書いている僕は、まだゴール出来てはいないみたいだ。
僕は本当にゴールしたいんだろうか?
眠れない夜は今も苦しい。この苦しさから逃れたいと思う。
だけど何かに追われるような気分でnoteを書いている瞬間にしかない喜びも、確かにあるのだ。僕は矛盾している。
幸せな気分では文字なんて書いていられない。だけど文字を書くことでしか得られない喜びがあって、それは他の何物にも替えられない。
僕は苦しんでいたくない。だけど苦しみのない、のっぺりとした幸せなんか欲しくない。
僕は僕にとっての幸せが欲しい。だから僕は不幸になりたい。けれど不幸になんてなりたくない。
どうしてこうなってしまったんだろう。
僕は自分が何をしたいのか分からない。
僕は何を目指せばいいのか分からない。
だから僕は先生にこう質問するべきだったのだ。
「先生、僕はどうすれば幸せになれますか?」
そんなこと、自分で考える以外にないのだけれど。
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