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もしかして俺ってとんでもない幸せ者なのか?

しめじです。

会社の飲み会ってTwitterとかでの一般論としては悪様に語られがちですが、個人的にはそれなりに面白いところもあると思います。(もちろん社風とか同僚上司次第ではありますが)  
アルコールとかいう合法薬物を摂取して開放的になり、建前と本音の瀬戸際でダンスするのはそれなりに楽しい。お酌やら気遣いやらの諸々の飲み会仕草も、本気でやってみると意外とゲームみたいで面白い。


それに、なんだかんだ人の話を聞くのって興味深いところがあります。

今日は会社の飲み会があったのですが、「家に帰っても楽しいことがない」と言っていた人がいて衝撃を受けました。帰ってもすることがないから残業してコンビニ飯だし、単身赴任のため一人暮らしなので週末は即帰省しているそうです。大変そう。
もっともこれは比較的幸せなケースで、一人暮らしに耐えられないのにプラスして結婚出来ていない人とかはもっと大変なんだろうなあと思います。

自分は一人でいることを苦痛に感じたことがないので、その気持ちは全く分からないのですが、そういう人達も存在してるんだなあと知れて面白かったです。会社の飲み会って楽しくないものにはなりがちですが、自分と全く違う人間と交流できる機会と考えればかなり面白いですね。まあ週に何度もしたい物ではないですが。


それで、帰り道でこのことを反芻していたのですが、やっぱり信じられねえですわ。
一人の時間を楽しめない人っているんですね。

優劣をつけたくはないけれど。こう語ることもある種のマウント性を帯びていることは否めません。個人のライフスタイルに言及すること自体、どう足掻いても失礼なことかもしれない。

それでも僕は考えを言うならば、やはり一人の時間を楽しめる方が幸せじゃないかと思ってしまいます。
美術館に行ったり、好きな小説を読んだり、散歩してみたり、買い物に行ったり。
全部一人でなくても楽しめることですが、「一人でも楽しむことが出来る」という選択肢こそがアドバンテージじゃないかと思います。
一人美術館、一人映画館、一人ライブ参戦、一人ドライブ。世間ではこれらの趣味は友達とするものかもしれないですが、一人の時に出来ないなんて勿体無い。だって一人でも楽しいことなのだから。

人間、常に他人と一緒ではいられない。友達といつでも都合が合うなんてことはない。24時間一緒にいてくれる訳じゃない。そもそも自分と全く同じ感性を持った人間なんていない。
それは勿論家族であっても同じ。「家族だから」何かが伝わる、分かりあえるというのは幻想だと思います。
世界で一番身近にいてくれて、世界で一番自分のことを気にかけてくれる、赤の他人。それが家族ではないですか?

友人家族と同じ時間を過ごすことは楽しいけれど、貴方の人生の目的は都合のつく相手を探し続けることではないですよね。まずは自分の感性を楽しむことを知ることが先ではないかと、僕は思います。



僕だって友達といるのは楽しいです。ただ省みると「友達といることで自分を知ることが楽しい」というのが本質かもしれません。
同じ場所に行って、同じことをして、そうして別々の感想を持つ。(もちろん同じことを思うこともありますね)
感じ方の違いに気づくことで、自分が何を好きで、自分が何に心動かされるのか知ることを楽しんでいる気がします。
自分という存在は他者との関わりの中でしか定義できない、というやつですね。比較しないと自分を知れない。自分を知らないと自分を楽しませられない。

そう考えると、僕はもう自分を探すこと(すなわち他者と関わること)に満足しかかっているのかもしれません。
別に特別豊富な人間関係があったと思いませんが、それでも自分を楽しませることができる程度には、自分と他人の違いに気づけた気がします。

こう考えてみれば、案外僕は幸せ者なのかもしれない。

以前から僕は幸せだったのに、今日のコミュニケーションでまた一つ幸せになってしまった。
他人と関わることを楽しんでいるのに、その上僕は一人の時間をどんどん幸せなものに変えていく。そうして自分を理解するから、更に他者と感性を擦り合わせることが楽しくなる。
本当に不思議で楽しい因果関係です。

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