罪は蜜の味がする
しめじです。
月末は仕事が忙しいんですが、今日は適当に切り上げて帰りました。
先輩が「お前マジか」みたいな顔を初めてしていたのが印象に残っています。
罪って良いですよねえ……、罪悪感ほど酒を美味に変えるものを僕は知りません。
今日は昼に短編漫画を読んでから、罪悪感について考えていました。
ネタバレがあるので先に読んでほしいです。面白かった。
良い話、で終わるストーリーではあるんですが、それでも考えずにいられなかった部分があります。
本当にゾクゾクする告白です。
ずっと隠してきた罪、自分が本来耐えるべき業、行うべき使命から逃げてきたことの告白。
それをずっと隠して主人公と過ごしてきた時間。そして漫画には描かれなかった時間、24時間、一週間、一ヶ月、何年の間でしょうか?
彼女はずっとその罪に、描かれなかった間もずっと耐えてきたのでしょう。
それだけに彼女のこの告白はあまりに重い。主人公が「妹のことを考えていたはずが、実は自分のことしか考えていなかった」と告白するのと同じほどに重い。
二人とも「自分のことしか考えていなかった」ことに気づき、共に悔いる。自省する。俺はこの漫画のこのシーン、二人ともが自省して苦悩を打ち明けるシーンが1番好きです。一番美しいと思う。
罪、つみ。それは罪を犯した当人が認識するから罪になるのであって、他人が罪と断ずるのであれば、それは罪ではなく罰である。
当人の認識こそが罪を罪と成り立たせるためには必要なのである。
さて、話を少し飛ばします。精神と医療について話しましょう。
「抑うつ」について語られるときに、この「罪」という意識はネガティブな文脈で語られます。それは、「罪の意識を感じるべきではない」という文脈に他なりません。
うつ、というのは概ね心の病気、心が引き起こす病と言って良いでしょう。
抑うつ状態にある人間の心は、往々にして自分を責め立てるものです。自分が悪い。自分がうまくやれば、自分がこうでなければ……と。
勿論これは患者の過大妄想に過ぎません。様々な理由があって心を病んだ中にあっても、当人は自分の責任だけを問い詰め過ぎてしまうということです。
ですから、メンタルヘルスを維持する文脈においてはこういった自責感情は「よくないもの」として扱われます。
当然ですね。自分が罪を罪だと認識しなければ、それは罪とはなりえない。他者から罰は受けたとしても、それに追加して自ら罰を科す必要はない。必要以上に自己批判をするからこそ、患者は精神を病んでいく訳です。
自縄自縛というのでしょうか。側から見れば当人が勝手に病んでいるだけなので滑稽に映ることでしょう。
あまり自分を責めないで。
あなたが罪を感じているのは、あなたが自責感情に縛られているからよ。
罪、という意識はメンタルヘルスの分野ではこのように語られます。罪なんて必要ない。自責の念なんて抱くべきじゃないと。
最近会社の研修でそんな話を聞きました。なるほど全くその通りだと思います。全くもって正論。
でも、僕はそう思っていられない。俺は、罪を罪だと感じていたい!
なあ、罪こそが美しいものじゃないか。先の漫画に爆発的なカタルシスを与えていたものはなんだ? 主人公と女性が罪の意識を抱えていたからじゃないか?
互いにそれを自覚し、告白し、許し合うから美しいんだよ。
なあ、俺はそんな綺麗なものに「罪」だなんて汚い名前を付けたくないんだよ。
いや、汚い文脈で「罪」だなんて口にしたくないんだよ。
違う、罪は「罪」だからこそ美しいんだよな。
罪こそが最も美しい感情じゃないのか!? 罪悪感こそが人間の心を壊してしまうほど力のある感情じゃないのか?
ずっと苦しいんだよ。先輩より先に帰ることが。先輩の仕事が俺には出来ないことが。
なあ。
どうしようもないことばかりじゃないか。家族関係のことだとか、客先から理不尽に投げられる仕事とか、どこかの国で人が死んでいるだとか。
それでもこの酒がこんなに甘いのは、家で飲む酒がこんなに美味いのは罪の意識があるからじゃないのか。こんなに美味いものなんてないんだよ。罪以上に甘美なものなんてないんだよ。
俺の心が悪いんだよ。俺の認識が悪いんだよ、
俺が俺に罪を与えているから俺は辛いんだよ。
俺の主観が、俺が、俺が悪いんだよ。
幾ら薬を飲んでも辞められないんだよ。どれだけ増薬しようと、この苦しみを止める薬を飲もうと辞められないんだよ、俺が俺を罰することをさあ。
だってこれが俺の芯にあるものなんだから。
俺は罪を愛してるんだよ。罪を感じることこそに無上の喜びと美しさを感じてるんだよ。
悲しみだとか、苦しみだとか、それを感じる心が俺そのものなのに、それを薬で削り取るなんて可笑しな話じゃないか。薬で削られた俺には何が残るんだよ。
薬は飲むけれど、俺は俺でいることを辞められないし辞めたくもない。治すつもりが無いんだ。
俺は俺の心が治らないことを誰よりもよく知っている。
俺が悪いってことでいいじゃないか。
だってそう思わないと誰も救われない。俺が知っている誰かが悪いだなんて考えたくもないんだよ。
俺が悪いんだよ。なあ、そう思わないとやっていけないんだよ。
誰かのせいになんて、何かのせいになんてしたくないんだよ。自分の会社が悪いとか、客先の都合だとか、もっと大きな仕組みのせいだとか、そんなもののせいだとしたら、俺たち本当に救われないじゃないか。
俺の罪なんだって。俺が美味い酒を啜るためだって思わないとやっていけないんだよ。
俺が悪いんだよ。それでいいんだろ。それが俺の罪だろうと、勝手に背負い込んだ罰だろうと、俺がそう感じていたいというエゴだろうと。
それでいいじゃないか。俺が馬鹿なだけなんだよ。
心を苦しめて、痛めつけて、でもその中に美しい罪を感じて、そうして美味い酒を飲み下す瞬間があるんだ。
これでいいんだよ。なあ。
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