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いきなり玄関

荒川区で働き始めて街歩きをしていて、今まで感じたことのない違和感を当初感じていました。それは道路に直接面して玄関があるのです。玄関というか玄関のドアが道路に面しているのです。
最初はそういう家もあるんだーと軽く考えていたのですが、あまりにも多い。しかも古い家だけでなく新しく建てられた若者もの向けのアパートさえ、いきなりドアが道路に面して3つ4つ並んでいたりするのです。

それは私がそれまで暮らしてきた町とは明らかに異なる街のディティールでした。

参考までに私がこれまで暮らしてきた街をざっと説明。生まれ育ったのは神奈川県相模原市の県営団地。東京に1時間半以上かけて通勤する人が多く暮らすベッドタウンです。20代から30代は東京での一人暮らしに憧れ、渋谷・新宿にすぐにアクセスできる川崎近辺や世田谷区などの東京の西側エリアに暮らしていました。

ドアを開けるといきなり道路がある…そんな風景は相模原市では見たことがありませんでした。下北沢や三軒茶屋などに残る古い商店街などではお店の出入り口などとしては見たことがありましたが、普通の住宅なのに道路に面していきなりドアがある。その風景を私は「いきなり玄関」と名付けました。

なんでだ??町を歩くたびにずっと考えていました。
ある時気がついたのです。これは新しく作られた町ではなく、昔から人が集まり、自然に町ができたからできたからではないかということに。
つまり区画整理によって人工的にできたのではなく、自然発生的に人が定住しできた町、つまり長い歴史の中で空いている土地に人が住み始め住んでいる人が通るところが道となり自然発生的に形成された町。
ということは戦後の焼け跡、もしくは江戸時代から人が住んでいた場所。

ちなみに東京で関東大震災や第二次大戦で焼け野原になったところはキレイに区画整理され道幅もやたらと広いんです。例えば江東区とか墨田区。この辺りは震災で焼け、戦争でも焼け2回も焼け野原になった教訓から道路がやたらと広く等間隔で整備され、火事が起きても絶対延焼させないという気迫を感じます。

それに対し戦争で焼け残った地域や、焼け野原になったところでも区画整理が行われる前に人が先に定住して家を建ててしまったような場所は特徴として住宅が密集していて人が歩くところが道となるというような町になっています。特徴として道幅が狭い。車が1台通れるかどうかギリギリ。しかも道は直線ではなく不規則に曲がっており行き止まりも下手をすると消防車や救急車が入ることができない。そんな場所は東京の西側にもいくつかあったのですが、荒川区はやたらと多いのです。

つまり僕が今まで見てきた風景は計画的に作られた街の風景だったのです。特に相模原は何もない原っぱしかない場所に戦後東京の人口急増に伴い区画整理をしながら人口的に作られた町でしたので僕が住んでいたような団地や一戸建ても建売住宅が多く庭があって塀があって門がある家でした。ドラえもんののび太くんの家もその作りになっています。「庭があって塀があって門がある家」戦後の日本はそんな家を「普通の家」と定義し大量に作られたその風景をずっと見ていたのです。ドラえもんの街は戦後の高度経済成長時に生まれた町の風景だったのです。

今では街歩きをしながら、古い家から新築のオシャレな家まで荒川区内の各所にある「いきなり玄関」を見るたびに、ああここは江戸時代からきっと人が住んでいた歴史のある場所なのだなあと感慨に耽るようになりました。荒川区の路地は面白いです。そして迂闊に歩くとすぐ「迷子」になれます。特に狭い道は不自然に曲がっていたり行き止まりになっていたり方向があっという間にわからなくなります。そんなところに急に昔ながらの美容院があったり八百屋が現れたりするというさながらリアルな昭和のテーマパークです。