寝たきりになっても自分の時間を自分で楽しみたい
私は自分が寝たきりになった時のことを時々考えます。事故死や心臓麻痺などいわゆる急死しない限り、胃瘻や人工心肺などの延命措置を拒否したとしても、死ぬまでの一定の期間は「意識がある状態」でベッドから動けないような時間をある程度の長さで経験することになるからです。
喋れる間は、気の合う人とお喋りも楽しみたいし、目が見えている間は、TVや映像配信を観るでしょう。目が見えなくなってもラジオや音声コンテンツで楽しむことができるでしょう。聴覚は最後まで残ると言われてますから音声コンテンツは僕を最後まで楽しせてくれると思いますが、自分でそれを探したりすることができなってしまったらそれを楽しむことも諦める日が来るかもしれません。
そうなった時に何が自分を楽しませてくれるだろう。私は20代の頃からそんなことを考えていて、最後まで自分を楽しませてくれるコンテンツは「自分の経験した思い出」に違いないと考えました。だから、自分の好きなことをして「ワクワクする」ことや「楽しい経験」、「幸せな思い」をたくさんすれば、それは老後の資産づくりみたいなものだなと考えて「自分が本当にやりたいことはなんだろう?」と問い続けていました。いま自分がやっていることは、本当に自分がやりたいことなのか?とか。
しかし50代も半ばを過ぎて、思うのは、辛いことや悲しいこと、うまくいかないことも含めて「思い出」は財産だなーとしみじみ思うのです。自分の「愚かな振る舞い」も「悲しいこと」「腹の立つこと」「辛い思い」も時が過ぎれば、そういう経験をしながらも自分はこの年まで生きることができたのだなーというある種の感慨に繋がってきた実感があります。
というわけで自分は死ぬまで、自分で自分を楽しませることができるよう自分の何が起ころうとも絶望することなく最後まで、ただ生きていこうと思います。気負いすぎずに。