キリコの洞窟

ある、人里離れた土地に、一つの村があった。その村では、そこにある大きな洞窟を、村から大きな災害や、病気から守ってくれている神として祀っていた。
 洞窟が神として祀られているのには大きな理由があった。そこに一足踏み入れると洞窟の外では見たことのないような虫がたくさんいた。その虫たちが行く手を阻み、洞窟に一度入り、入り口の光も届かないような場所に行ってしまっては最後、もう戻ってはこられないという風に言われていたのだ。
 実際、その村は数千年の歴史があるとされていたが、どんなに屈強な若者が出口を目指して洞窟に入って行っても、誰一人として戻ってきたものはいなかったという。
 幸い、洞窟の外では魚がたくさん取れ、(洞窟は水辺の近くにあった。)それは洞窟の中にいる虫たちの養分が流れ出ているため、魚たちは繁栄しているのだと信じられてきた。
だから洞窟はますます大切にされ、踏み入れてはならぬものとして神格化されてきた。

 ある日、この村を訪れるものが現れた。彼は生態学を研究している若者で、自分では魚を釣ったり、狩りをしたりすることはなかった。その代わり、彼は村へ村へと旅をするうちに、それらの村の特徴や、信奉しているものなどを知っていた。彼は語り部として、村と村との情報を橋渡しする役目を持っていた。
 とはいっても、彼はもっぱら次の村へ行くときは自分で決めるので、一回行った村に帰ってくることはほとんどなかった。だから、村にこういう若者が現れると、村の人々はびっくりして、世の中にこんな生き方をしている人がいるのだと尊敬と畏怖の念を抱くのであった。
 「おーい、君たち。僕は隣町のリリスから来たクランというものだ。非常に厚かましいんだが、今晩の夕食をごちそうしてはいただけないだろうか。」
 彼は25歳くらいでやや茶色がかった瞳を持ち、その瞳は少年のように輝いていた。荷物はたくさん持っていたが、至って軽装で、防具などは一切身に着けていなかった。
 その変わった格好は、村の人々の興味を湧かせた。
「一体どうしてこんな村に来たのかね。私たちはこの土地で魚を取ってつつましく暮らしている。君の興味の湧くようなものなんて、何一つないよ。」
この村のかなりの年長者が言った。彼女は女では一番の年長者で、長老の補佐役をしていた。
 「僕はいろいろなところを旅してまわってきた。隣村のリリスで聞いてきたんだけど、ここには大きな洞窟があるそうじゃないか。それも、とっても古いと言われている。」
 村人たちはざわついた。怪しい格好をした青年が、自分たちの神として大切に守っている洞窟を目指してきたのだから当然だ。
「それで、あなたはあの洞窟になんの用があってきたんだい。あの洞窟は特別だ。興味があるといって、たやすく案内できるものではないよ。」
年長者の女が言った。彼女は名前をルースといった。
 「まずは僕の持ってきたものを見てもらいたいんだ。隣村のリリスの調度品もあるし、僕がもっと昔行った村の、珍しい虫のホルマリン漬けなんかもある。」
 「ほうほう、それは面白そうじゃの。」
この村の最長老であろう、腰をかがめた老人が言った。
「わしが、この村を管轄しておるキリコという。といっても私の村では代々、最長老はキリコと名乗っておってな。わしの名前が何代目なのか、はっきりはわからんのだよ。」
 その老人は聡明そうな目を讃えていた。ただ年を取ってきただけではない、いくつもの困難を乗り越えてきた者がもつ、深い瞳だった。
 「この若者の言う通り、今日は宴にしよう。ルース、女子供たちを集めてきておくれ。わしは男どもを集めてくるとしよう。」
 キリコはゆっくりと、クランに近くの岩に座っているよう指示をし、男たちが魚を釣っているであろう水辺へと歩いて行った。クランは内心ではキリコと一対一で話をしたかったのだが、とりあえず指示に従うことにした。
 その夜は盛大な宴となった。どこで拾ってきたのだろう、木の実や果物、そしてこの村の名物である魚が何種類も色々な方法で調理されていた。
 クランは、例のホルマリン漬けにされている虫を村の人々に見せた。
「ほう~。こんな虫は初めて見るわい。これは何という虫じゃ?」
40代くらいであろう、男の人が聞いてくる。
クランはそれに丁寧に答えた。
「それは人の体内に巣くう寄生虫の一種。でかいやつになると1m以上になって、人間がいくら物を食べても、食べた気がしなくなる。
そいつが人間が食べたものを全部体内で横取りしちまうからね。」
 そしてクランは、その寄生虫が流行していた村の話をした。
「その村の住民たちは全員やせていてね。みんな食っても食ってもひもじい思いをしているんだ。何かが自分の体に起きているとはみんな知っているんだがどうにかすることもできない。僕は、かわいそうな話だが、その寄生虫が原因で死んだばかりの婦人がいるってことを知り、解剖してみた。そしたらそいつが腸にひっついていたのさ。」
 ひょえーとため息ともつかない声が村人の間からもれた。
「僕は聞いてきたんだが、この村の洞窟には珍しい現象が起きるとか。つまり、この村の洞窟に入って、出てきたものはいないという
話なんだが。」
 その話をクランがすると、村人たちの顔が急に曇った。その話は誰も好んでしたがらないようだ。
「より正確なことを言えば、この洞窟に入って、入り口の光の届かない場所に行っては最後、もう戻ることはできないという話じゃの。」
 口を開いたのは、この村の村長、キリコであった。
「ちょっと詳しいことを話そう。わしがまだ、
20代の若者だったころの話じゃ。わしと、わしの親友であったイエールという男がおった。わしらはこの村で一番の勇敢な若者として知られておった。」
 長老はフゥーとため息をついた。そしてまた話し出した。
「わしらが若者だった時も、この洞窟は特別なものとしてあってな。やはり、一度入ったら最後、出てこられない洞窟とされておった。
 わしらはその洞窟に入ることに決めた。周りはもちろん反対したが、わしらはまだ20代の若者で怖いものなど何もなかった。
 わしらはその洞窟に入る前の日の晩、二人で盃を交わした。絶対に2人で洞窟の中を解明しようと誓い合ったのじゃ。
 その次の朝、わしらは村人たちの応援のもと、洞窟に入って行った。
 洞窟の中はひんやりとしていた。快適と言えるほどの温度だったが、奥に進んでいくとだんだん寒気がしてきての。それは温度ではない、得体のしれない寒気じゃった。
 わしは言った。『イエール、何か寒気がせんか?』と。
 イエールは答えた。『俺は何も感じないぜ。
へっちゃらさ。』と。
 今思ったら、イエールは寒気を感じておったのかもしれん。わしを元気づけるためだったのかもしれんし、ただ単に怖気づきたくなかったのかもしれん。」
 キリコは酒をちょびっとすすり、
「続きが聞きたいか?」
とクランに聞いた。クランはすぐにうなずいた。
「寒気はどんどん増してきた。気が付くと、
わしの体はガタガタと震えていた。だいぶ洞窟の中は暗くなってきていて、ふと後ろを振り返ると、入り口の穴は豆粒のようになっていた。
 わしは直感した。このまま前に行くと、わしらは死んでしまう、と。そこでイエールの手を取り言ったのじゃ。『もうだめだ。引き返そう。』と。イエールは叫ぶようにしていった。『だめだ!もう戻れない。』と。『お前の感じていることは薄々俺も感じている。だがだめだ。ここまで来た以上、進まなければならない。』と。
 わしは直感した。ここでわしらは別れなければならん。たとえ大切な、一番大切な友人を永遠に失ったとしても、わしは戻らなければならん。と。そしてイエールに告げた。『お前は行くのだな?たとえ身が尽きようとも。わしは家族が惜しい。未来が惜しい。だからわしらは別れなければならん。』と。
 ほとんど見えなかったが、イエールはうなずいた。そして前へ進んでいった。わしは戻った。一人で戻るのも怖かったが、ほとんど走るようにして戻った。それから50余年、
わしらは再会していない。」
 キリコの口元のしわはいつもよりさらに深かった。クランはキリコの話を聞いて圧倒されたが、彼はまだあきらめていなかった。
 「僕には自信があるんだ。」
クランは言った。
「僕はいろいろなところを旅しながら、その土地での変わった生物などを研究してきた。キリコが感じた寒気は、その生物によるものかもしれない。」
 キリコのまゆがぴくりと動いた。
「生物じゃと?わしの得体のしれない寒気が、その生物によるものじゃったというのか。」
「正確には生物とも言えないようなものかもしれないけどね。古い文献で、不安虫といったものを読んだことがある。そいつらは、近寄ったものを不安でたまらなくさせて、最後はノイローゼみたいにして殺してしまうんだ。」
「そうか・・。ということは、わしたちはその妖怪みたいなものにやられたということじゃな?」
「その通り!妖怪っていうのが一番正しいかもしれない。」
クランが言う。
「ただ、そいつらは 妖怪みたいに大きなものじゃない。実際、空気と同様に吸ってしまえるようなものも多いんだ。そして、体内でいろいろな悪さをする。」
「ふむ、なるほど。そなたのいうことをそのまま信じてしまうのも気が引けるが、不思議な説得力があるの。」
「この一件は僕に任せてほしい。僕にはいろいろなところでこの生物ともいえないようなものを研究してきた自負がある。」
「ふむ・・。わかった。この一件はそなたに託すことにしよう。でも、くれぐれも無理をしてはならんぞ。危険だと思ったら、引き返してこい。」
「わかった。ありがとう。」
「では、今日はぐっすり休むとしよう。」
 村人たちは、眠りについた。
 次の朝、クランが目覚めると、村人たちは何人か起きていた。長老、キリコも起きていたようだ。
「じゃあ、僕は行く。キリコさん、ありがとう。」
キリコが村人たちを起こそうとすると、クランは手で制した。
「起こさなくていい。もともと僕なんて、よそものなんだから。」
キリコはうなずいた。そしてクランに古びたカンテラを渡した。
「これを持っていくと良い。わしらはなんで、このカンテラを持っていかなかったのかの。これを持っていかずに洞窟に入るなんて、自殺行為だというのに。」
クランは笑ってうなずいた。
「ありがとう。頂戴していくよ。」
 そして村人何人かに見守られながら、クランは洞窟へと向かっていった。
 チャプ、チャプと音がする。洞窟近くの水辺を歩いている音だ。洞窟から少しだけ、水が出ているのが見える。
 そして、洞窟の入り口にたどり着いた。とても大きな洞窟だ。大人2人分くらい上のところまで洞窟の穴は広がっていた。しかし、それ以外は大きな特徴は見受けられない。
 クランは持っていたリュックの中から火付石を二つ取り出し、その石をぶつけあった。そこで起きた火花を足元に置いておいた枝にぶつけると、火が起きた。その枝の1つをカンテラの内部に入れる。
(さて、では入るか。)
クランはそう思い、中へ入って行った。
 洞窟は妙に静かだった。不思議なことに、自分が歩いている音さえほとんどしない。クランは、自分が歩いているのかどうかすら、少し怪しくなってきた。
 カンテラをつけてはいるが、光っているのはほんの周りの壁だけ。クランは孤独感を感じ始めた。
 ふいに寒気がした。この世界には、自分ひとりしかいないのかもしれない。助けを呼んでも誰も来ない。食べるものもなく、ただ死んでいくだけ。
 クランは思った。(これか。)と。多分キリコが感じていたのは、この不安感だったのだろう。
 それにしてもこの不安感は尋常ではない。
キリコがここで死んでしまうと思ったのも無理はないはずだ。(どこかに原因があるはずだ。)クランは思った。
 カンテラを洞窟の壁に近づけた。何も見えない。だがクランは直感していた。この不安感はおそらく、「生物とも呼べないもの」の仕業に違いない。
 そこで、リュックからシャベルを取り出し、洞窟の壁をほんの少し削ってみた。そして、その土をカンテラの火にかざす。
 キューッという音がした。するといきなり洞窟の壁に見えたものがひだひだのように変わった。
 ひだひだはゆっくり動いている。ときおり「キューッ」という音を鳴らしながら。こちらに敵意を持っているように見える。
(不安虫だな。)クランは思った。これだけ大量の、不安虫を見るのは初めてだった。
 対策は知っていた。不安虫を見たとき、体内に吸ってしまったときは、やることは1つしかない。できるだけ希望のあるものを思い浮かべるのだ。
 クランは生まれ育った故郷のことを思った。優しかった両親、一緒に遊んだ友達、故郷の風の爽やかさ。それらを思い浮かべると、少しずつ不安が解消されていくような気がした。
 ふと周りを見ると、ひだひだはもうほとんどなかった。
 むしろ、ひだひだの1つが線のようになって、洞窟の中を続いていた。クランを案内しているように見える。
 ふいに古い文献を思い出した。不安虫を追い払うと、そこには希望虫が残る。希望虫は不安虫を追い払うと、そのお礼をしてくれる。
「そうか、これは希望虫なんだ。君たちがこの洞窟を案内してくれるんだね。」
 クランは希望虫のあとをたどっていった。長い道のりだったが、不思議と不安はなかった。
 何百メートル歩いたころだろうか。前に光が見えた。
「やった。出口だぞ。」
クランはカンテラを揺らしながら、出口まで歩いていった。
 出口を出ると、そこにはこれまで見たことのないような景色が広がっていた。
 見る限り一面の青々とした雑草。故郷の景色とも似ているが、ちょっと違う。そしてその雑草を食べる大型の動物たち。空には体長3mはあるんじゃないかというような鳥が舞っていた。
「ここは、これまで人間が踏み入れなかった場所に違いない。何千年も、何万年も独自の進化を遂げてきたのだろう。村人たちには悪いが、この土地はそのままにしておくのが一番いい。この楽園については話さず、帰るとしよう。」
 ふと考え付いた。(もしかして、イエールは、ここの土地にたどり着いたのじゃないか?この土地に魅せられ、帰ることもなくこの土地で安らかに過ごした。)
 実際にクランはイエールを見つけることはできなかったし、ただの妄想であるかもしれない。でもそう考えると、心が安らぐのであった。
 「さあ、帰るか。」
クランは洞窟に向かって再び歩き出した。

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