大須賀乙字という俳人 2

2月号

大欠伸する魚飼うて冬ごもり 乙字

 
  大欠伸する魚飼うて冬ごもり
 大正七年正月に酒の席で臼田亜浪の義弟に短冊を頼まれて書いた、即興の句ということである。この「大欠伸する魚」というのが、先月書いた出雲から届いた山椒魚のこと。現在天然記念物に指定されているオオサンショウウオである。
 「冬ごもり座敷に鯢魚飼ひにけり」「冬眠の鯢魚息吐く夜は長し」などという句も残っている。「鯢魚」は山椒魚のことで、「ゲイギョ」とも「はんざき」とも読む。
 この山椒魚が夜中になると、ごろごろ、ブスと奇妙な音を立てるのだと飼い主の乙字は言う。そしてそういったオオサンショウウオの様子を息吐くとか大欠伸すると詠んでいるのである。あちこちでそんな話をしたためか、乙字が山椒魚を飼っているという話は有名になり、東京朝日新聞や東京日日新聞に記事が載り、少年雑誌の記者などもやって来たという。
 乙字に山椒魚を贈ったのは、野津新月という若者だった。出雲の俳人中津仏丈の弟子だったらしい。新月はもちろん捕まえたものを食用として乙字に山椒魚を贈るつもりだったようだが、これを殺して食べるのは残酷に感じた乙字は、それならば育ててみたいと思ったようだ。事前にそのことを新月に断り、急がないでいいけれども楽しみにしていると書き送っている。
 山椒魚といえば、北大路魯山人がそれを食したことを書き残している。震災前のこと、とあるので、同じ頃の話かも知れない。見た目に反して非常に上品な美味だったという。しかし、捌くとき料理人ががたがた震えて気味悪がったとも書いている。もし、乙字が食してみようと思ったとしても、乙字自身でもその妻でもそれは無理だったかもしれない。
 ともあれ、大須賀家にやって来た山椒魚たちは、特注の総ひのき作りの三尺×四尺の水槽を用意され、飼育について上野動物園からアドバイスを貰いながら愛育された。水槽は非常に大きなもので、玄関の靴脱ぎの下に置かれたが、時々客がそのオオサンショウウオの水槽に足をつっこむという事故もあった。出雲の太田柿葉もその事故を起こした一人だという。
 乙字は何度も新月宛に山椒魚の様子などを書き送っている。大正八年春には、「三年越しの飼育暦になるが山椒魚にとっては迷惑なことだろう」と手紙を書いている。そして、いつか田舎に引っ込む時がきたらこやつを伴っていこうと続けている。残念ながら、その時は来なかった。翌年一月に乙字は亡くなり、山椒魚は上野動物園で飼われることになったという。

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