大須賀乙字という俳人 3

3月号

比良一帯の大雪となり春の雷 乙字
 
 
  比良一帯の大雪となり春の雷
 大正八年の作、大須賀乙字の晩年にあたる頃の句である。比良一帯とは、近江の比良山の一帯のこと。比良山は「比良八荒」といって、三月中旬に寒の戻りがあるのだという。それが、思いもよらぬ程の大雪となってしまったのかも知れない。そこに時折雷鳴がとどろく。「比良一帯の大雪となり」と一気に詠んで、景の大きさと、自然の力の激しさを鮮明に表している。
  風ゆれの樹の音もいとゞ冴え返る
 これも同じく大正八年の句。晩年の乙字と親交の深かった出雲の太田柿葉の母の死を悼んで詠まれた句である。前書きに「母を失へる柿葉君に」とある。風に揺れて鳴る木々の枝の音を、母を失った柿葉の心痛に重ねて詠み、柿葉への悔みの句となっている。同じく若くして母を失った乙字が、自身の痛みを重ねて詠んだと考えるのは深読みしすぎだろうか。同じ年の六月に柿葉は父も亡くしている。「父の御声の又そら耳か時鳥」の句を乙字は贈っている。
 太田柿葉はのちに「乙字書簡集」を編纂したことからも、乙字との親交の深さを伺わせるが、二人でこの年十月に高崎へ旅行にも行っている。柿葉による、乙字追悼文に
「私も乙字氏に逢ふまでは冷酷な人だと想って居たが一週間寝食を共にし山野を跋渉する中に一種の矛盾を感じた。(中略)芸術上に於ては彼が如き乙字氏も芸術を放れては可なり世情に通じ且礼節を重んずる一個の好人物であった」と書いてある。
  忘れ霜すかんぽ既に甘きかな
 大正五年の句である。春とはいえ、霜も下りてまだ寒い頃。ふと道端のすかんぽの芽を摘んで口に入れるとすでに甘みが感じられた、という句であろうか。一月号にも書いた通り、乙字は野草を料理して食すのが好きだったので、そろそろ春の野草が楽しめる時期になってきたぞと喜んでいたとも思われる。しかし、大正五年の春というと、前年三月に妻千代が亡くなって、このころはひとり身である。今は食べることをしなくなったすかんぽの味は甘い郷愁の味だったのかも知れない。「すかんぽ既に甘きかな」の措辞にあるおだやかなユーモアの奥に季語「忘れ霜」がうっすらとペーソスを醸し出す。
 ところで、すかんぽは虎杖、酸葉とも言う。若葉を揉んで傷口につけると痛みが引くのでイタドリ、食べると酸味があるのでスイバだそうだが、つまり味はすっぱいということだろう。乙字が感じた甘さはどこからきたのだろうか。若芽は実際に甘いのだろうか、郷愁からくる甘さだろうか。すかんぽ甘いかすっぱいか、やはり郷愁の味かも知れない。

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