water
タイトル写真は 2009/03/15 鳴門の四方見展望台から撮った内の海です。
note.com 目次機能が便利なので、今まで章ごとに分けて掲載していたのをまとめることにしました。
これで読みにくい私の話が少しは読みやすくなると思います。
それでは…
01 court
私は皆で一緒に何かするというのが苦手です。
集団行動に向いてないんだと思います。
今は、少しはマシになりましたが、なるべくそういうことは避けるようにしています。
だから学校の行事は嫌で嫌で仕方なかったです。
始業式とか終業式とか、こっそり教室に残ったりしてました。
目立たない生徒だったから、いなくても特に気づかれることもなかったと思います。
教室に残って何をするってわけでもなくて、窓の外の景色を眺めてたり、くだらない空想をしていたり…こういうところは、今も変わりません。
さすがに小学校では、そういうの…こっそり教室に残るっていうのはやりませんでした。
入学式、終業式、始業式、卒業式もちゃんと出ました。
中学の入学式も出ました。
多分、出たと思います。
さて…
中学に入ったら軟庭部に入りました。
今で言うソフトテニス部です。
昔は軟式とか軟庭とか言ってました。
当時、「コートにかける青春」っていうドラマを見たからでした。
テレビで見たから…それだけでした。
まあ、子供ってそんなものだと思います。
「コートにかける青春」を見てたらテニスをしたくなるし、「赤き血のイレブン」を見てたらサッカーをしたくなる…そういうもんです。
でも「われら青春」を見てもラグビーをしようとは思わなかったし、「柔道一直線」を見ても柔道をしたくはなりませんでした。
痛そうだし、怖いし…
まあ、子供ってそんなものだと思います。
さて…
中学に入って軟庭に入りました。
やる気満々でした。
ところが、やたら練習がきつい。
「コートにかける青春」でも厳しい練習とかやってたけど、っていうか、中学の部活よりははるかに厳しい練習でしたが、全然楽でした。
特訓とか言ってたけど、全然でした。
テレビで見てただけですから。
週1だし。
実際にやるとしんどいんだろうなって想像はしていたんだけれど、こんなにしんどいというのは話が違います。
しかも、軟庭はウィンブルドンに出られないらしい…。
さすがに自分がウィンブルドンに出られるとは思っていませんでしたが、ゴールがないというのは…まあ、軟庭には軟庭のゴールはあるんでしょうけど、私が目指したのは「コートにかける青春」ですから。
「コートにかける青春」って嘘ばっかり。
私は思いました。
騙された…
誰も騙してないです。
私が一人で思い込んでただけです。
でも、思いました。
騙された…
1年の夏休み、私は軟庭をやめました。
続きます。
02 arrow
中学1年の夏、私は「走り」と「ウィンブルドン」で、軟庭をやめました。
そしてUコンと釣りを始めました。
Uコンを知ってる人は少ないと思います。
ラジコンはラジオコントロール、無線の電波で操縦します。
Uコンは、Uの字の形をしたハンドルから伸びた細い2本のワイヤーで操縦して飛ばす飛行機です。
初めて買ったのは、フェニックス09っていう低翼機だったと思います。
主翼は80cmくらい、動力は小さな2サイクルエンジンです。
エンジンはFUJI099、後ろに赤い燃料タンクを背負っていました。
マフラー…消音器を付けても手のひらに乗る小さなエンジンです。
小学生の頃から飛行機が大好きだった私はUコンに夢中になりました。
それから釣り…毎週みたいに自転車で沖ノ洲の堤防に行ってました。
餌は、百歩譲っても気持ち悪い…今なら絶対触れない…近寄りたくない気持ち悪い虫でした。
やっぱり子供心にも気持ち悪かったんでしょうね。
餌は色々試行錯誤してました。
ブラックバスとかブルーギルは日本に入ってきていませんでした。
もしかしたら日本には入ってきていたのかもしれないけど、徳島にはいませんでした。
だからルアーは知りませんでした。
オキアミは、もう少し後になって普及しました。
当時は、南極で採れるエビがスゴイらしいって情報だけ知ってました。
腐る直前の生イカの切り身が釣れる…と聞いて、生イカを腐らせて台所に置いてたら死ぬほど怒られました。
まあ、忙しくて充実した毎日でした。
そんなある日…中学2年になってすぐだったと思います。
充実した毎日を送る私に、耳寄りな情報が入ってきました。
弓道は走らなくていいらしい。
しかも練習もそんなに厳しくなくて土日はやらないらしい。
さらに中3が引退して人数足りないから、すぐに試合に出られるらしい。
「闘神降臨」を塾是としているくらいですから、元々、闘うことは大好きです。
軟庭もそういう意味では面白かったのですが、ウィンブルドンがないのと走るのが難点でした。
弓道はウィンブルドンはないけれど走るのもない。
土日お休みで、Uコンも釣りも続けられます。
ウィンブルドンは気になりますが、まあ、なんか代わりのものはあるんでしょう。
私は弓道部に入りました。
走ることはありませんでした。
練習もお手軽でした。
Uコンと釣りで充実した毎日に弓道が加わりました。
続きます。
03 four
中学2年になると、私は弓道を始めました。
弓道を始めましたが、いきなり撃ったり…射たりはできません。
まず射法八節っていうのを覚えます。
足踏み
胴造り
弓構え
打起し
引分け
会
離れ
残心
言葉と一緒に動作を覚えます。
結構、めんどくさいです。
だいたい、皆、こういうの考えながら撃ってるんでしょうか?
射てるんでしょうか?
当時から疑問に思っていました。
弓は戦場で遠くの敵を倒したり、獲物を狩ったりするための手段です。
いちいちこんなことしてたら、戦場なら先に撃たれるし、狩りなら獲物に逃げられます。
しかも言われた通りにやっているのに違うって言われます。
できてないって言われます。
心が入ってないって言われます。
文句言いたいけど、納得できないけど、言っても怒られるだけで何の得もないから、「はい」って、いいお返事だけして同じことをします。
そのうち射法八節ができるようになったら、巻き藁(まきわら)っていう藁を束ねて固く結んだ物を1mくらい前に置いてそれに向かって撃ちます…射ます。
射法八節はつまんなかったけど、巻き藁は突き刺さるときのパスって乾いた音に爽快感があって結構楽しかったです。
これで形ができてやっと安土の的…普通の的に向かって撃たせてもらえます。
ここまで2週間くらいでした。
本当はもう少し時間がかかるんだと思います。
私には弓道の才能がありました。
違います。
私には…私たちには時間がなかったんです。
闘いの時は迫っていました。
大会が近いんだけど、団体戦に出るには人数が足りない。
弓道は走らなくていいらしい。
しかも練習もそんなに厳しくなくて土日はやらないらしい。
さらに中3が引退して人数足りないから、すぐに試合に出られるらしい。
これらは、部員を集めるために、弓道部が流した情報でした。
それにまんまと釣られたのが、私と私の友達の2人でした。
釣りが趣味の私が、釣られてしまう…人生とは皮肉なものです。
さて…
団体戦に必要な人数は5人、弓道部男子は私を入れて5人…誰が脱落しても出場できません。
っていうか、私が撃てるようにならないと出場できません。
それは飽きっぽい私には絶妙のタイミングでした。
そして大会当日を迎えました。
当時、徳島市からは4校が県大会に進出することができました。
団体戦、私は5人中5番目の殿を任されていました。
殿って書いて「しんがり」って読みます。
弓道で殿って呼ぶかどうかは知りません。
今、検索して調べました。
前から順に、大前、二番、中、落ち前、落ち…だそうです。
私は落ちでした。
そういえばフィーリングカップル5対5でも5人中の5番目は落ちです。
今日は素敵な彼女を求めて徳島からやってまいりましたぁ(^^)/
解らない人は、家の人に聞いてください。
さて…
普段の練習で一番当たらなかったのが私でした。
単に当たりそうな順に並べて、私は最下位でした。
だから私が落ちでした。
今日は、素敵な的を射止めたくて徳島からやってまいりましたぁ(^^)/
さて…
試合は一人4本、5人の合計20本の的中数で競います。
私は4本中1本…4射1中って言います…4射1中でした。
練習では10本に1本も当たらなかった私ですから、立派なものです。
私は本番で力を発揮するタイプなんです。
そしてこの1中がチームを県大会へと導きました。
厳しい闘いでした。
出場校5校中4校…当時、徳島市内で弓道部で5人集められるのは5校だけでした。
5校中4校なら、いっそ5校全部出したれよって思いますが、選ばれた4校であることに意義があります。
そしてこの栄光の4校に入ったことが、後に私たちを恐怖の迷宮へと導くことになるのです。
続きます。
04 wind
私たち5人は徳島市大会の死闘を勝ち抜き、徳島県大会へと駒を進めました。
5人のうちの私ともう1人は、2ヶ月前に入った人数あわせの2人でした。
つまり弓道を始めて2ヶ月ほどの初心者2人を含む5人での県大会進出です。
そこには人であることを忘れるほどの過酷な修行がありました。
違います。
他の中学も同様の状況だったんじゃないかと思います。
知ってる人は多いと思いますが、私は、生徒の試合をよく観に行きます。
弓道部の生徒がいれば、当然弓道部の試合も観に行くんですが、私の頃とは選手の技術も気合も全然違います。
人であることを忘れるほどの過酷な修行…分かる人はいないと思いますが、修羅の刻です。
私たち5人は徳島市大会の死闘を勝ち抜き、徳島県大会へと駒を進めました。
これは、私が中学2年生のときのお話です。
私は富田中学に通っていました。
その頃、富田中学はサッカーとブラスバンドが強くて、四国大会にも出場していました。
全国大会に行ったって聞いたような気もしますが、確かではありません。
今は大好きですが、そういうのに昔は興味がありませんでした。
サッカー部の顧問は湯浅先生、体育の先生でした。
当時…今から50年くらい前は、今よりも怖い先生が多かったように思います。
体罰という言葉もなかった…知らなかった時代です。
特に体育の先生の威圧感はナイーブなローティーンには耐えられるものではありませんでした。
2年の春に富田中学に三木先生という体育の先生が異動してこられました。
三木先生の異動が決まったとき、三木先生の勤務先の学校の同級生から電話がかかってきました。
「絶対に『みっきゃん』に逆らうな。俺が言えるのはこれだけだ。これ以上は何も言えない。もう連絡もしてこないでくれ。ガチャ!ツーツー…。」
三木先生は『みっきゃん』と呼ばれていました。
確かに怖かったです。
すごい筋肉質でセルフレームの黒縁のサングラスをかけてて、怒ったときの威圧感は範馬勇次郎を超えていました。
いつも黒いTシャツにジャージなんですが、そのTシャツの袖がはちきれそうなくらいに腕の筋肉が盛り上がっていました。
でも面白い範馬勇次郎で、人気もありました。
私も大好きな先生でした。
当時を思い返してみると、体罰も普通にあったし怖かったけど、怖い先生は嫌いな先生ではなくて、怖い怖い言いながら、楽しく過ごしていたように思います。
威圧感のある怖い先生は貴重だと思います。
サッカー部の顧問の湯浅先生は体育の先生だけど、全然怖くなくて、いつもニコニコしてて面白くて優しかったです。
サッカー部に聞くと、やっぱり怖いのは怖かったみたいですけど。
ブラスバンドの顧問は糸谷先生という音楽の先生でした。
今でもラジオなどに出演されているようですが、当時から音楽の指導では有名な先生だったみたいです。
私は授業を受けたことはありませんが、お名前だけは知っていました。
その糸谷先生率いるブラスバンド部が四国大会か全国大会に出場することになりました。
続きます。
05 forced
中学2年の秋だったと思います。
糸谷先生率いるブラスバンド部が四国大会か全国大会に出場することになりました。
そして、出場するブラスバンド部の壮行会を開くことになりました。
校内放送がありました。
「これからブラスバンド部の壮行会を開きます。生徒の皆さんはグランドに整列してください。」
ところで…
私は皆で一緒に何かするというのが苦手です。
集団行動に向いてないんだと思います。
今は、少しはマシになりましたが、なるべくそういうことは避けるようにしています。
だから学校の行事は嫌で嫌で仕方なかったです。
始業式とか終業式とか、こっそり教室に残ったりしてました。
その上、何かを強制されるのはもっと嫌です。
小学生の頃から色んな先生に言われてました。
島村は会社勤めは無理やなあ。
確かに無理だと思います。
皆で何かをするのは本当に無理です。
こそこそ隠れて逃げ回るのは学校だから許されてたけど…本当は許されてはなかったけど、気づかれてませんでした。
それだって学校だから気づかれなかったけど、会社では気づかれるでしょうし許されもしないでしょう。
うちは商売してましたから、自分は会社勤めはしないだろうと思っていました。
そう思ってはいましたが、まさか、こんな夜の蝶になるとは思っていませんでした。
ネオン煌めく西新町の
虹色の闇に身を浮かべ、
今宵も舞います、夜の蝶。
いつかは虹を越えたいと、
星の数ほど流した涙。
涙の数だけ強くなるなら、
今の私は世界最強。
舞って魅せます。
ファイヤー・ヒート・アタック!
ファイヤー・ヒート・アタックが分からない人は、ゴジラ FINAL WARSを観てください。
モスラがガイガンを倒した最終兵器です。
さて…
「これからブラスバンド部の壮行会を開きます。生徒の皆さんはグランドに整列してください。」
私は皆で一緒に何かするというのが苦手です。
集団行動に向いてないんだと思います。
今は、少しはマシになりましたが、なるべくそういうことは避けるようにしています。
だから学校の行事は嫌で嫌で仕方なかったです。
始業式とか終業式とか、こっそり教室に残ったりしてました。
その上、何かを強制されるのはもっと嫌です。
始業式とか終業式みたいに必ずやって来る年中行事でも逃げてます。
そんな私が、大してからみのないブラスバンドの壮行会でグランドに整列…
私は決心しました。
やめとこ。
いつもみたいに、一番最後に席を立ってついていく感じで教室に残ることにしました。
目立たない生徒だったから、いなくても特に気づかれることもなく…
机の中の物を片付けるふりして座っている私は、同級生の1人に声をかけられました。
「グランドに出えってよ。」
私は目立たない生徒だったから、いなくても特に気づかれることもない…
「あ、うん。」
一緒に弓道部に入った奴です。
いきなり出鼻をくじかれました。
目立たない私は、もう一つの奥義、病弱キャラを出します。
「なんか、しんどいけん…。」
「ほんま、壮行会ってしんどいよな。」
続きます。
06 assemble
「ほんま、壮行会ってしんどいよな。」
私の渾身の奥義、病弱キャラを打ち消す壮行会ディスでした。
ここでさらに病弱キャラを押せば、何も起こらなかったかもしれません。
「ほんまよなあ。」
まだ幼かった私は、壮行会ディスを受け入れてしまいました。
「俺ら、県大会に出場するのになんもなかったでえなあ。」
私と一緒に弓道部に入った彼は、弓道部とブラスバンド部の処遇の違いに不満を感じていたのでした。
普通に考えれば、出場5校の徳島市予選で4位に入ってギリギリで徳島県大会に出場できた弓道部と徳島県予選、もしかしたら四国予選を勝ち抜いたブラスバンド部の扱いが同じだったら、その方がおかしいんです。
しかも弓道部に入ったのは数ヶ月前、人数あわせで入った2人です。
「学校は、俺らの努力を認めとらん!」
ボルテージは上がります。
地味でおとなしい上に病弱キャラまで使ってしまった私には、彼の怒りを静める方法がありませんでした。
「どしたん?」
私たちの横を通り過ぎようとしていた奴が、話に加わってきました。
中学1年の夏、私は「走り」と「ウィンブルドン」で、軟庭をやめました。
そしてUコンと釣りを始めました。
中学2年になって一緒に弓道部に入り、今、壮行会ディスを繰り広げているのは、一緒にUコンをやってた奴でもありました。
「どしたん?」は、一緒に釣りに行ってた奴でした。
魚を釣るのも飼うのも好きで、そういうところですごく話の合う奴です。
生イカを腐らせたら…の情報源は彼でした。
その他にも、二軒屋の用水路に凄い魚がおるらしい…という情報も彼からでした。
ライギョが入ってきたばかりの頃でした。
それで近所の用水路に2人で行きました。
餌はなんだろう…
ほんなごつい魚、ミミズとか普通の餌ではあかんのちゃうか?
鶏肉?
近所の肉屋さんで鶏肉買って…
用水路の魚たちもびっくりしたと思います。
いきなり鶏肉のチョン掛けが降ってきたんですから。
当然、何も釣れません。
2人、用水路に鶏肉ぶら下げただけで帰ってきました。
それから暫くして、ライギョの写真を見ました。
よかったあ…釣れんで。
あんなん釣れたら絶対触れません。凄い…の意味が違います。
魚じゃないです。
あれは完全に蛇です。
だいたい、淡水魚はなんとなく不気味です。
まあ海水魚でもウツボとかアナゴとか釣れたら死にそうになりましたけど。
今は、釣りは全然しません。
メバルやチヌでも触れないと思います。
さて…
解りにくいので、壮行会ディスを『ディ』、釣りを『釣人』とします。
私「ちょっとしんどいんよ。」
私は、あらためて病弱キャラに戻ろうとしました。
ディ「ほんま、しんどいなあ。俺ら弓道部、こんなんしてもろうとらんでぇ!」
わざとやってるとしか思えません。
ほんの数ヶ月前に私と一緒に人数あわせで弓道部に入った彼は、弓道部の創設者みたいな勢いで憤っています。
釣人「ほんまやなあ。いつもブラスだけ特別扱よなあ。」
釣人も同意します。
ブラスの顧問の糸谷先生は、その後、徳島文理大学で講師をされたり、徳島県吹奏楽連盟理事長をされたりした熱心な先生でしたから、そういう行事は確かに多かったと思います。
「どしたん?」
また1人、加わってきました。
続きます。
07 justice
「どしたん?」
また1人、加わってきました。
釣り人と仲がよくて、その流れで私も少し話したことがある奴でした。
とりあえず『釣友』としましょう。
確か、彼は釣りはしなかったと思います。
「グランド行かんの?」
もう1人、あんまりからみのない奴が来ました。
確か卓球部だったと思います。
『卓球』とします。
「何しよん?」
もう1人…サッカー部の奴でした。
『サカ』としましょう。
ディ、釣人、釣友、卓球、サカの5人が、雪だるま式に私の机の周りに集まりました。
地味で目立たない私が、まるでクラスの人気者のようなチヤホヤぶりです。
ただし、全く嬉しくはありませんでした。
地味で目立たない私は、地味で目立たずにいたいんです。
そんな私の葛藤をよそに、釣人が問いかけます。
釣人「ブラスの壮行会ってしんどうないん?」
釣友「なんでブラスばっかり壮行会するん?」
ディ「俺ら弓道部や勝ってもなんちゃないのに。」
このとき、多分、ディ以外の5人、もしかしたらディも含めた6人は、市大会5校中4位の弓道部に壮行会オプションがないのは当然だと薄々感じていたのかもしれません。
なんとなく薄笑いでシャレっぽい感じで言っていました。
「俺らやって壮行会やしてもろたことない。」
サカです。
その頃、富田中学はサッカーとブラスバンドが強くて、四国大会にも出場していました。
全国大会に行ったって聞いたような気もしますが、確かではありません。
そうです。
彼は…サカは、ブラスの壮行会に異議を唱える正当な権利、少なくとも集まった6人が納得できる正当な権利を持つ男だったのです。
今は6人しかいない教室の空気が一変しました。
ディ「ほうよな!なんでブラスばっかりなん?!」
卓球「別に俺ら、ブラスがどうなっても知らん!」
釣友「四国大会でも全国大会でも勝手に行ったらええんじゃ!」
一言一言、文末に『!』がつき始めました。
私「しんどいんよ。」
ディ「別に俺ら行かんでええんちゃうん?」
私「しんどいんよ。」
卓球「行くんやめるか?」
私は諦めて移ろいゆく時の流れに身を任せることにしました。
続きます。
08 uprising
卓球「行くんやめるか?」
多分、皆…ディ、釣人、釣友、卓球、サカも壮行会には行きたくなかったんだと思います。
もちろん私は行きたくなかったです。
私以外の5人は、多分、行きたくはないけど行かない理由がありませんでした。
もちろん私にも行かない理由はありませんでした。
そして、それが見つかりました。
中学2年生の私たちにとって、その理由の妥当性は大きな問題ではありませんでした。
壮行会には行きたくない。
理由はある。
子供にはそれだけで十分でした。
理由を求めるのは大人たちです。
子供には理由は必要ありません。
ましてや理由があるのなら、やらない理由がありません。
私たちは行かないことに決めました。
私は元々行かないことに決めてたんですが、6人で行かないことに決めました。
私は皆で一緒に何かするというのが苦手です。
集団行動に向いてないんだと思います。
今は、少しはマシになりましたが、なるべくそういうことは避けるようにしています。
皆で一緒に何かするというのが苦手な私が、集団行動に向いてない私が、集団行動から逃れるために6人で集団行動するというB級映画のような状況で、私たちは壮行会への不参加を決めました。
これはサボるのではありません。
ブラスバンドだけが特別扱いされていることに対する抗議です。
ブラスバンドのために壮行会を開くなら、サッカー部や弓道にも開くべきです。
少なくともサッカー部のためには開くべきです。
自分たちの理屈や都合を押し付ける大人たちに対する宣戦布告です!
正義は私たちにあります。
私たちは壮行会への不参加を決めました。
決めたからといって何をするわけでもなく、むしろ何もしないことを決めたわけですから、何もしませんでした。
教室には私たち6人だけでした。
移動する生徒たちの足音や声も聞こえなくなりました。
行くのをやめると決めてからも、しばらくは、大人たちへの不満を一つずつ数え上げていた私たちの声は、少しずつ小さくなり、やがてみんな黙り込んでしまいました。
それは絶対にダメな破滅への旅立ちでした。
私は、それまでにも始業式とか終業式とか、こっそり教室に残ったりしてました。
目立たない生徒だったから、いなくても特に気づかれることもなかったと思います。
さすがに6人いないとなると、どんなに目立たない6人でも目立ちます。
6人の中でも釣友や卓球は結構目立ってる…いわゆるクラスの人気者でした。
しかもクラス40人のうちの男子6人がいないんですからクラスで男女別に2列に並ぶと他のクラスよりもかなり短くなります。
これは、かなり危険です。
私以外の5人は分かりませんが、私は、この危険に気がついていました。
私一人が教室に残っているのなら先生に見つかっても病弱キャラで乗り切れます。
6人で病弱キャラは無理です。
特に日頃元気一杯のサカや釣友も参加しての病弱設定は、ダメです。
パンサーの尾形さんやワタリ119さんの病院コントを想像してみてください。
だいたい、そんな感じです。
話は変わりますが、『11人のカウボーイ』という映画があります。
ハリウッドを代表する名優 ジョン・ウェインの西部劇でも異色の作品で、ジョン・ウェイン演じる経験豊富な保安官が子供たちを連れて旅に出ます。
面白い映画なので、細かいことは書きません。
機会があればご覧ください。
イベントをサボるということに関して経験豊富な私が、サボりの意味も危険もわかっていない、まったくの初心者、サボり入門の5人を連れて教室に残ったのです。
私はジョン・ウェイン…。
もう長くなりすぎて、ちょっと飽きながら続きます。
09 rising
教室に残った私とサボり入門の5人以外、誰もいなくなった校舎はとても静かでした。
引き返せない静寂の中、私たちも静寂を保っていました。
そのときです。
校舎の扉の開く音がしました。
誰かが校舎に入ってきたのです。
革靴の音が響きます。
全校生徒はグランドに出ています。
私たち以外、校舎には誰もいません。
中学生はゴム底の運動靴です。
革靴は生徒ではありません。
教室のドアが開く音、それから閉まる音が響きました。
2年5組の男子の列が短いことに気がついた先生が探しに来たのです。
靴音…開く音…閉まる音…靴音…開く音…閉まる音…
こんなに恐ろしい繰り返しを聞いたのは初めてでした。
ここから先は、誰が言ったのか、覚えていません。
内容も定かではありません。
あまりにも鮮烈な恐怖は記憶を識閾の彼方へと追いやりました。
6人は頭をよせて小声で会議を始めました。
「どうする?」
「こっち来るぞ。」
「誰な?」
「解らん。」
「みっきゃんちゃうか?」
「みっきゃんか?」
みっきゃんの可能性は高いです。
全校生徒が集まると、だいたい、体育の先生が、朝礼台の上から生徒に号令をかけます。
朝礼台に上れば、間違いなく異変に気づくでしょう。
「みっきゃんやったら殺される!」
「どうする?」
「逃げな。」
もう『理由』とか『抗議』とか、そういう問題ではありませんでした。
ひたすら怖い…見つかったらどんな目にあうか…
もちろん、本当に殺されることはないと思います。
でも殺されないからいいってもんでもありません。
そんなに腹をくくった中2はいません。
三木先生が富田中に赴任されることが決まったとき、三木先生の元の中学校…徳島中学だったと思います…徳島中学の知り合いから電話がかかってきました。
「絶対に『みっきゃん』に逆らうな。俺がしてやれるのはここまでだ。これ以上は何も言えない。もう連絡もしてこないでくれ。ガチャ!ツーツー…。」
噂というのは大なり小なり誇張されて伝わるものですが、みっきゃんの場合は噂の方が控えめでした。
富田中学に赴任されて半年足らず、みっきゃんは、この情報が嘘でも大げさでもないことを実に見事に証明していました。
みっきゃんの目の前で『みっきゃん』と呼んだだけでボッコボコです。
別のクラスの奴は、授業中ふざけてたら教壇の前に立たされてビンタされました。
ビンタされて後ずさり、みっきゃんも一歩追いかけてもう一発ビンタ、後ずさり、もう一発ビンタ、後ずさり、もう一発ビンタ…後ろの壁まで…。
三日後、半分、壁にめり込んだ状態で見つかったそうです。
『みっきゃん』だけでボッコボコ、授業中、ちょっとふざけたら壁にめり込む…6人で全校集会をサボったら…。
名前を言ってはいけないあの人、ヴォルデモートみっきゃんの名を口にしてしまった私たちは、半笑いでした。
誰もが限界を遥かに超えた恐怖の中、その恐怖を恐怖として受け止めることができませんでした。
ヴォルデモートが分からない人は、ハリーポッターを読むか観るかして下さい。
でもヴォルデモート卿とみっきゃん、どちらが怖いかといえば、みっきゃんの圧勝です。
みっきゃんに比べたら、ヴォルなんか幼稚園児がすごんでるくらいのもんです。
みっきゃんのコメカミグリグリは、許されざる呪文を遥かにしのぎます。
靴音…開く音…閉まる音…靴音…開く音…閉まる音…
私たち6人がそれぞれ物凄いものを想像をしている間も恐怖のリフレインが叫んでします。
どうして、どうして、僕たちはサボってしまったのだろう。
分からない人は、松任谷由美さんを聴いてください。
どうして私の話はこんな風に散らかるのか…。
当時、私たちの教室は2階でした。
靴音は1階の教室を一つずつ確認しています。
1階が終わったら2階に上がってくるでしょう。
逃げるとしたら今です。
逃げるとしたら上です。
他に選ぶ道はありませんでした。
私たちは上に逃げることにしました。
上に逃げる…しかしそれは破滅へのプロローグでした。
続きます。
10 runaway
靴音…開く音…閉まる音…靴音…開く音…閉まる音…
恐怖のリフレインに追い立てられ、私たちは教室を出ました。
時間はありません。
みっきゃんは、一つだけしかない階段を上がってきます。
私たち6人は同じ階段を2階から3階まで上がらなければいけません。
時間はありません。
しかし音を立ててはいけません。
みっきゃんは、私たちがこの校舎にいることに確信は持てていないはずです。
それは、私たちの唯一の希望でした。
一通り見回って、誰も見つからなければ、みっきゃんはグランドに帰ります。
音を立てて、みっきゃんに確信を持たせるわけにはいきません。
ここで私たちは幸運に恵まれていました。
私たちの教室のドアは開いていました。
私たちが最後まで残っていたから、最後に出て行った生徒はドアを閉めていなかったのです。
それは、神が与えてくださった幸運でした。
私たちは音をたてずに教室から出て、みっきゃんが1階の教室を確認し終えて2階に上がってくる前に3階に上がることができました。
3階に上がってどうしようというプランはありません。
ただただみっきゃんから逃れたかった…それだけでした。
高知大学教育学部保健体育科に進学した生徒がいます。
彼は小、中、高とバスケットボールをやっていました。
長身で身体能力の高い、いい選手でした。
彼が夏休みに帰ってきて言いました。
「体育の先生がごつい理由、わかったわ。」
器械体操、陸上競技、バレーボール、サッカー、水泳…学校で教えるほとんどすべての競技を毎日朝からこなしていくんだそうです。
体育の先生になろうっていうんだから、元々、体力にも自信があって体育が好きな人間です。
それが朝から晩まで体育ばかりやるんだから、それはそうなるでしょう。
みっきゃんは、普段は黒のジャージに黒のTシャツでした。
けして太ってはいませんでしたが、黒のTシャツから生えている2本の腕は、はち切れそうな筋肉の鎧を纏っていました。
黒のTシャツは、私たち生徒をビビらすためだったんだと、今でも思っています。
その筋肉の鎧が私たちを探しています。
捕まればどうなるか解りません。
捕まればどうなるかは解っています。
誰もいない3階の廊下は静かでした。
ブラスバンドの演奏が遠くに聞こえます。
続きます。
11 close
誰もいない3階の廊下は静かでした。
ブラスバンドの演奏が遠くに聞こえます。
3階の教室のドアは全て閉まっていました。
私たちのいた2年5組の教室のドアは開けたままにしてきました。
それは仕方のないことでした。
みっきゃんにドアを閉める音を聞かれるわけにはいかなかったからです。
開いているドアを見て薄笑いを浮かべるみっきゃんの姿を見たような気がしました。
結局、私たちは逃れることのできない矛盾の罠においこまれていました。
短い列、開いてるドア、おいこまれる罠、幻とリアルなみっきゃん、感じていました。
尾崎豊さんの『卒業』のメロディでお願いします。
特に意味はありません。
リズムが似てると書いてみたくなる…それだけです。
さて…
3階の教室のドアは全て閉まっていました。
屋上に上がるドアは鍵がかかっていました。
追い詰められた私たちに神が与えてくださった幸運は、実は、追い詰められた私たちに悪魔が示した恐怖の罠でした。
靴音…開く音…閉まる音…靴音…開く音…閉まる音…
恐怖のリフは続いています。
時間はありません。
私一人ならなんとかなるかもしれません。
私はこの頃には既に、相手の怒りがピークに達しようとする直前、一瞬の隙をついて相手も引くくらいの全力で謝りたおして難を逃れる技『謝力(シャオリー)』を身につけていました。
この技でこれまでどれほどの窮地を生き延びてきたことか…。
誤解のないように言っておきますが、郭海皇の『消力(シャオリー)』とはまったく別のものです。
だから私一人なら、みっきゃんの攻撃も『謝力』で受けきれるかもしれません。
なんなら最後は郭海皇みたいに死んだふりでもいいです。
でも残り5人に同じことをさせるのは無理です。
本当に役に立たない奴らです。
かといってみっきゃん…富田中学の範馬勇次郎と戦うのはもっと無理です。
この頃は、まだ『刃牙』は始まっていませんでした。でも、みっきゃんを思い出そうとすると、どうしても物凄い笑顔の範馬勇次郎の姿が浮かびます。
郭海皇の話を出したからではありません。
みっきゃんがあまりにも範馬勇次郎に似ているからです。
時間の流れを考えれば逆です。
範馬勇次郎があまりにもみっきゃんに似ているんです。
範馬勇次郎のモデルは『のたり松太郎』の主人公の坂口松太郎だと言われています。
でも私は違うと思います。
範馬勇次郎には実在のモデルがいます。
みっきゃんです。
私たちを追っているのは範馬勇次郎のモデル、角刈りの範馬勇次郎、みっきゃんです。
漫画の範馬勇次郎は息子の刃牙との最終決戦からこっち、すっかり丸くなって話の通じる人になっています。
元祖地上最強生物みっきゃんにそういうものはありません。
49年前の私はみっきゃんから逃げ回っています。
やはり隠れてやり過ごすしかありません。
3階の教室のドアは全て閉まっていました。
屋上に上がるドアは鍵がかかっています。
私たちにとって隠れられる場所は一つしかありませんでした。
私たちは男子トイレの個室に隠れました。
このとき、私たちは、また一つ、そして今回の事件で最大にして最悪の失敗をしていました。
続きます。
続きます…と、言いながら…
このお話は、以前、yahoo!ブログで書いていたものを、少しだけ修正加筆しています。
そのときにも思っていたことなんですが、「刃牙」って、「グラップラー刃牙」って、どのくらいポピュラーなもんなんでしょう?
youtube の番組で、納言の幸さん、安部さんとラランドのサーヤさんのトークの中で、サーヤさんは、相方のニシダさんが、「刃牙」を例えによく使うけど何言ってるのか分からないと…。
そしたら安部さんが、「グラップラー刃牙」は、男の子向けの漫画だけど、そこまでポピュラーじゃない…みたいなことを言ってたと思います。
もしかしたら、みっきゃんの恐怖もあんまり伝わってないんでしょうか?
ヴォルデモートは、どうなんでしょう?
まあ…
続きます。
12 water
恐怖のリフに追われた私たちは男子トイレの個室に隠れました。
このとき、私たちは、今回の事件で最大にして最悪の失敗をしていました。
一つの個室に6人が一緒に入ってしまったのです。
一人になるのが怖かったんだと思います。
そんなに広くない個室は6人で満員でした。
っていうか、トイレの個室はお一人様専用です。
しかも足元には大きな水溜りが存在感を示しています。
こんな劣悪な環境でも文句を言うものは誰もいませんでした。
私たち6人にはブラスバンドだけを優遇するという学校側の間違った方針を正すという使命があったからです。
たとえこの辺地で朽ち果てようとも、正義の礎となるなら、本望でした。
ここまでくると誰も分からないと思いますが、立原あゆみ先生の「本気」です。
たとえこの辺地で朽ち果てようとも、正義の礎となるなら、本望でした。
違います。
あまりの恐怖で声が出なかっただけです。
靴音は階段を上がってきました。
靴音…開く音…閉まる音…靴音…開く音…閉まる音…
これまで階下で聞こえていたリフ、今は、とても鮮明に力強く聞こえてきます。
3階のトイレは階段の横にありました。
みっきゃんは、トイレの前を通って、教室の中を確認しているようです。
みっきゃんは、トイレに誰かいるとは考えていませんでした!
2年5組男子の列の短さから、相当の人数だと考えたからでしょう。
私たちの勝利です!
追い詰められた中での選択、トイレの個室は、私たちを守る最後の砦となったのです!
靴音…開く音…閉まる音…靴音…開く音…閉まる音…
恐怖のリフは勝利のリフとなりました。
遠くで聞こえるブラスバンドの演奏は、命を懸けた私たち6人の完全なる勝利を称えていました。
あとはみっきゃんが立ち去るのを待つだけです。
個室は狭いけど、大したことではありませんでした。
私たちは勝ったのです!
無言の安堵と歓喜の中、流れる時間…
その静寂を破って、いきなりの大音量が響きました。
『ザーッ!』
誰かが水洗のレバーを踏んだのです。
水が流れます。
時間も流れます。
永遠のような一瞬でした。
足元を見ると、釣友でした。
私を含めた5人は無言で釣友を睨みました。
釣友は和式の水洗の配管の上に立っていました。
狭い個室に6人、足元には大きな水溜りですから、足を置く場所も限られていました。
だから仕方なかったんだと思います。
だから仕方なかったから許せるかというと、それは別の問題です。
私を含めた5人は全力で釣友を睨んでいました。
釣友は誰とも目をあわさず、今は流れが止まって揺れる水を見ています。
遠くで聞こえるブラスバンドの演奏は私たちの敗北を教えていました。
勝利のリフは恐怖のリフへと原点回帰を果たしました。
そしてアップテンポで確実に近づいてきます。
靴音靴音靴音靴音靴音靴音…靴靴靴靴靴…
続きます。
13 voice
アップテンポに進化した恐リフは、急速に近づき、私たちの前で止まりました。
私たちを守るものは、一枚の薄いドアだけです。
ロックはしていますが、みっきゃんの攻撃力の前にはティッシュ1枚ほどの意味もありません。
私たちは黙っていました。
コンコン…
みっきゃんがドアをノックしています。
コンコン…
みっきゃんがドアをノックしています。
誰もノックを返すことはできません。
コンコン…
みっきゃんがドアをノックしています。
個室の6人はフリーズしています。
ガチャガチャ…
みっきゃんがドアを開けようとしています。
ガチャガチャ…
みっきゃんがドアを開けようとしています。
ブラスバンドの演奏は終わっていました。
水も流れ終わっていました。
静かな中、ドアノブを回す音だけが響きます。
ガチャガチャ…
私はこのとき生まれて初めて、一生に一度のお願いをしました。
「神様、僕を透明人間にしてください!」
何も起きませんでした。
みっきゃんの恐怖の前には、神様も沈黙を守るしかなかったのでしょう。
私の生まれて何回目かの一生に一度のお願いは叶えられませんでした。
ドアの向こうでハスキーボイスが響きました。
「中におるん、誰な?」
私は、神様が違う形で私の願いを叶えてくれたことを知りました。
ドアの向こうにいるのは、みっきゃんではなかったのです。
歴史の野田先生でした。
当時の富田中学生1500人が選ぶ富田中学教員ランキング恐怖部門、常にベスト4に顔を出してはいましたが、みっきゃんから比べれば可愛いもんでした。
みっきゃんを範馬勇次郎とするなら、野田先生は渋川剛気です。
怖いのは怖いけど、文句なしに怖いけど、百歩譲っても怖いけど、それでもまだ話が通じます。
有無を言わさず全員タコ殴りで3日後に半分壁に埋まって発見される…みたいなことは、絶対ない先生です。
恐怖と安堵の中、私たちはロックを外し、ドアを開け、外に出ま…引きずり出されました。
野田先生が天使に見えます。
天使は怒っていました。
「お前ら、ここでなんしよんな?」
「………」
「みなグランドに行っとるだろ?」
「………」
「なんで行かんのな?」
「………」
もうブラスバンドもサッカー部も正当な権利もありません。
みんな黙って下を向いています。
こういう場合は、ただ黙って下を向いていた方がいいです。
もちろん、黙っていると、野田先生の怒りは倍増しますが、下手な返事をして攻撃の矛先が自分に向くよりはましです。
黙っていれば怒りは平等に6等分です。
簡単に説明します。
仮に今の野田先生の怒りを12ゴルアだとします。
ゴルアは怒りの大きさを示す単位です。
食べようと思っていた冷蔵庫のアイスクリームが、誰かに食べられていたときの怒りが、だいたい1ゴルアです。
私たちは6人いますから、1人が受ける怒りは、
12÷6=2 2ゴルアです。
黙っていることで、先生の怒りが3倍になったとします。
12×3=36
黙っていると先生の怒りは36ゴルアまで大きくなります。
でも6人とも黙っていますから、誰かに矛先が向くことはありません。
平等に6等分して、一人が受ける怒りは、
36÷6=6 6ゴルアです。
くだらない男気を出して、
「自分です!」
とか言うと、怒りはそのまま12ゴルアです。
でもその12ゴルアは全部、男気に集中します。
他の5人は0ゴルア、言った本人は12ゴルアです。
全員が黙って怒りが収まるのを待った場合は全員が6ゴルア、男気で1人だけ12ゴルア…
野田先生の怒りの絶対量は少なくても、男気の受ける怒りは2倍です。
そういうのは男気とは呼びません。
貧乏くじです。
誰も貧乏くじは引きたくありません。
私たちは黙っていました。
続きます。
14 history
「お前ら、ここでなんしよんな?」
「………」
「みなグランドに行っとるだろ?」
「………」
「なんで行かんのな?」
「………」
こういう場合は、ただ黙って下を向いていた方がいいです。
「なんで黙っとんな?」
「………」
だから、こういう場合は、ただ黙って下を向いていた方がいいからです。
「誰が言い出したんな?」
「………」
恐怖四天皇の野田先生らしい、実に理に適った攻撃です。
人間を撲殺するための…。
分からない人は、『はじめの一歩』、鷹村守VSブライアンホーク戦をお読みください。
私以外の5人が私を見ています。
野田先生も私を見ています。
私は流れ終わったトイレの水を見ています。
5人に睨まれた釣友の気持ち、今なら理解できます。
世の中というのは理不尽なものです。
一番平和を望んでいたのは私なのに。
「島村か?」
野田先生の声が響きます。
私以外の5人がうなずきます。
私「ちが…」
恐怖に言葉が続きません。
みっきゃんにくらべれば可愛い野田先生ですが、それは相対的に可愛いだけで、絶対的価値観で量るなら恐怖でしかありません。
例えば、夜、秋田町を歩いていて、前からラプトルが大きな口を開けて、こちらに向かって全力で走ってきたとしたら…
「ああ、ティラノサウルスでなくてよかった。」
と思う人は、いないと思います。
野田先生の怒りは、すでに3倍の36ゴルアに達しています。
しかも、その36ゴルアは、私一人に集中しています。
野田先生の単調で執拗な攻撃に、謝力を出すきっかけも見つかりません。
「なんな、お前、ほんなに偉いんか?」
愚問を投げかける野田先生にこれまでの経緯を見せたかったです。
私は、悪くありません。
ただ、流れに逆らえなかっただけです。
「ほんなに偉いんだったら、中学生やめて先生せえ。」
理不尽にもほどがあります。
しかも行きがかり上の言いがかりかと思ったら、どうやら本気でした。
この理不尽さが、野田先生を富田中学生1500人が選ぶ富田中学教員ランキング恐怖部門ベスト4の常連、富中恐怖四天王の一人たらしめていたのです。
体長13mのティラノサウルスだろうと体長4mのラプトルだろうと怖いもんは怖いんです。
これは自慢ですが、私は数学で困ったことがありません。
特に勉強しなくても、授業中紙飛行機作って遊んでても、数学だけは富田中学でも城東高校でも10番以内にいることができました。
1番になることも多かったです。
島村塾の生徒なら解ると思います。
私は、今でも公式をそんなに知りません。
ちょっと数学の得意な高3生の方が、公式をたくさん知っています。
しかもちょくちょく妙な解き方をします。
ちゃんとした解き方を知らないから仕方ないです。
こういう仕事をしてるんだから、今からでも公式を覚えたらいいのにと思う方もいるかもしれません。
でも、頑張って公式を覚えたら、頑張って公式を覚えて解く数学になってしまいます。
私が教えているのは、そんなに頑張らなくてもいい数学です。
数学は時間をかけずに仕上げて、余った時間は、他の教科に回した方が得です。
これが全教科教える島村塾の基礎の一つです。
覚えるのがめんどくさいから言い訳してるのではありません。
野田先生が数学の先生ならよかったんです。
これは秘密ですが、私は社会が大嫌いです。
嫌いだから勉強しません。
だから社会は、中学でも高校でも10点以下をとることがよくありました。
最初に7点とったときは10点満点かと思いました。
さすがに0点はとったことはありません…と思います。
全然ダメでも奇跡のように記号はいくつかあってました。
多分、勉強する能力が理系に偏りすぎてるんだと思います。
7点とか8点とかとっても、社会を勉強することはありませんでした。
社会の点数が低いから社会の勉強をする、それは社会に対して負けを認めることです。
社会の勉強をせずに社会でいい点を取ってこそ社会に勝ったといえるのです。
私は、そう信じて社会の勉強はしませんでした。
私が教えている社会は、社会を好きではない…社会が嫌いな…社会を憎んでいる人間が、入試を控えて仕方なく、やりたくないのに仕方なく、なるべく努力しないで合格点を取る社会です。
人見知りで人前で何かするのが嫌いな私が、歴史のテストで7点とか8点とかしかとれない私が、同級生の前で歴史の授業をする。
さすがに富田中学生1500人が選ぶ富中恐怖四天王、ラプトル野田先生です。
なかなかポイントを抑えた攻撃を仕掛けてきます。
ラプトルが分からない人は、映画『ジュラシックワールド』を観てください。
私の講師歴は36年になります。
大学1年の夏に始めた家庭教師から数えるなら44年です。
でも本当は、中学2年の夏の富田中学2年5組の歴史の授業から数えて47年です。
本当に授業をしました。
1回ではありませんでした。
2回か3回授業をしたと思います。
最初に教壇に立ったときの景色は今でも覚えています。
私は一つのことを学びました。
あかんことは一人でする。
人数集まったらやめる。
それからも、こっそり消えるのは治りませんでしたが、必ず1人で行動しました。
島村塾の生徒の皆さんは、聞いたことがあると思います。
「私は盛るけど作らない。」
このお話、『water』は、作ってはいませんし、盛ってもいません。
47年前の話なので、細かい会話は思い出しながらで間違っていることも多いと思いますが、作ってはいませんし、盛ってもいません。
大筋はリアルです。
本当にあった話です。
壁に埋まる話だけは盛ってます。
半分壁に埋まってたと書きましたが、それは確かに盛りました。
本当は5cmくらいしか埋まっていませんでした。
昔は、本当に怖い先生がいました。
12年前、中学の同窓会がありました。
2年前にもあったんですが、生徒の出場するウィンターカップ決勝と重なって、行けませんでした。
35年ぶりで、同級生のほとんどは、名札を見ないと分からなくなっていました。
先生方も来られてて、サッカー部の顧問の湯浅先生、2年のときの担任の三宅先生、国語の森先生…三木先生と野田先生は来られてなかったと思います。
ちなみに、三宅先生は鬼の三宅と呼ばれる富中恐怖四天王の一人でした。
自分では、仏の三宅と仰ってました。
中学生だった私が歳をとったのと同じだけ、先生方もお歳を召されておりました。
そして驚いたことに、皆さん、私を覚えていてくださっていました。
私だけではなく、同級生のこともよく覚えていてくださいました。
富田中学恐怖四天王はもとより、当時の富田中学校の先生方は、一人残らず教育に頗る熱心で、われわれ中学生をどこに出しても恥じることのない立派な大人にすべく、日夜研鑽に研鑽を重ね、常に努力することに微塵の疑問も抱かない、最高にして最大の尊敬に値する、一点の曇りもない完全無欠、鬼面仏心、剛毅果断、松柏之操、真実一路、仁者無敵、進取果敢、無私無偏、磊磊落落、一唱三嘆、音吐朗朗、解語之花、迦陵頻伽、気韻生動、謹厳実直、錦心繍口、純神韻縹、春風駘蕩…素晴らしき高潔の人格者の皆様方でした。
大恩ある先生方、私は、ここにおります。
先生方のお教えを胸に、今日も、正しく生きております。
正しく生きようとしております。
感謝いたします。
ありがとうございました。
全部、実名で書いてしまったから、埋め合わせのヨイショなどではございません。
それっぽい四字熟語を検索してコピペとかは、してはいません。
ちなみに、上の四字熟語、なんとなく意味が想像できるのが2割くらいです。
ブラスの壮行会があったら、また6人で逃げると思います。
あの頃に戻りたいです。
実は、今でも、たまに夢を見ます。
6人で入った個室のドアがノックされる夢を見ます。
壮絶に怖くて、めっちゃ楽しい思い出です。
終わりです。