映画「渇き。」問題のこと
お聞きしたかった中島哲也監督からの言葉を読みました。
知り合いの映画や舞台、イベントなどの手伝い(雑用・端役)をしてきた&自分もモノづくり(絵が中心、あと個人制作のアニメとか)する立場として。
こういう行き違いはあるあるというか、人が集まって何かやると、まああります。
最初か最後に一度は直接会うべきだったとは思いますが、編集中に呼ばずに仮編集したものを見せるというのもわかります。
(※A子さんの記事は「監督の「後日、編集時にA子本人立ち会いのもと不都合なシーンはカットする」という言質を取った上で、」とだから、自分も編集室に行くと考えた?
監督は「A子さんも編集に参加して」だから、編集物を見せてチェック&修正すればいいと考えた? この認識の齟齬はどうして生まれたのか)
改めて気になるのは、
他のスタッフには渡した絵コンテを、なぜ・誰の意志で出演するA子さんに渡さなかったのか?
ぎりぎりまでヌードの件を隠していたと捉えられても仕方がないですし、そうでないなら出演者への扱いがこれでいいのか、と。
あと、制作にトラブルはつきもので、ヌードができない、とわかったならその時点で、ヌードなしの演出に切り替えられなかったのか? 撮ったものを後から全直ししろと言われたわけでもない。
創作は持っている条件の中でベストを選択していくしかないのです。
翌日に撮影が延びたんだから、その間にプランは考えられたのでは?
あとはA子さんの要望はどこで止まり、届かなかったのか?
いくら監督が「伝わっていなかった」と言っても、映画の現場の責任者は監督とプロデューサーです。
そこで深刻なトラブルが起きたなら、それを把握できていなかったなら責任がないとはいえません。
今からでも当時のプロデューサーと連絡を取って、事の次第をはっきりさせて、A子さんに直接の謝罪と補償、プロデューサーの見解も含めた世間への発表があってもよいのではと思います。
A子さんの記事では「クランクイン前にNG事項を伝えていた」にも関わらず監督の記事において「まったく直前まで知らなかった」という事態を作ったのもプロデューサーです。
二人のnoteを合わせるとプロデューサー(編集後のA子の要望を伝えなかったのが所属事務所だとしたら、加えて所属事務所)が一番悪いという形になるのですが、プロデューサーからの発表があったらまた違う真実が見えてくるかもしれません。
ただ今更、A子さんがそれを望んでいるかはわからないことですね。改めて聞き取りとかしたら心身に負担がかかりそうですし。
あるあるといっても、こんな深刻なトラブルになることはそうそうないです。行き違いが起こってしまったとして。その後にも軌道修正できたタイミングはあったはずです。
ではなぜここまで深刻なことになってしまったのか。
自分の後学のためにも分析したい。
1、ヌードから演出プランを変えなかったこと。
いざトラブルが起きたらできる範囲で演出を変えて対応、は絶対ヌードなどの契約がなければできるはず。制作会社とそういう契約でもあったのか? 監督のこだわりなのか?
制作会社と契約があったなら、「これこれこういう事情でヌード撮れなさそうです」と伝えて指示を仰ぐ。絶対ヌードが必要ならバスト部分だけ代役を立てる、などの選択をとるのが常道で、撮りたくない相手を説得するのは方向が違う。
「後から編集して希望に合わせる」で妥協点だと考えたのでしょう。このとき現場で脱がされる心理的負担までは配慮が行き届かなかった。
2、編集の際に、一度も本人と直接会わなかったこと。
編集中にずっとついていてもらうことはできない、というのはわかる。しかし、編集前とか編集後に一度、直接会ってみてもらっていればその後のことは防げたと思う。
こういうときに人を挟まず直接本人に見てもらう、ということの大切さを強く感じました。
(A子さんは「編集に立ち会う約束」と表現、監督は「編集物を確認してもらえばいい」と判断。これは、意思の疎通がしっかりできていなかったのでしょうか)
3、編集の連絡がA子さんにつながらなかったこと。
これが一番謎で怖い。だって「修正要望」は返ってきている。どういうことだってばよ? 一体だれが、何のためにA子さんに編集を見せずに勝手に修正プランを伝えたのか?
しかしこれは「2」を実行していれば防げたこと。
4、A子さんの訴えがなぜか監督に届けられなかっこと。
これも怖いよ。誰が情報を止めていたんだよ。
3,4についても推察は可能です。
3は 時間がなくてギリギリで、A子さんに確認撮る暇がなく、誰かが自分でチェックして終わらせて監督に送って済ませた……とか。後でA子さんに「こう伝えておきましたー」と事後承諾とればいいかと考えていて、そのまま忘れてしまったとか。
4は これ以上こじれたら大変だから監督に繋がなかったとか。そういう判断に至るくらい、監督に声をかけにくい状態だったとか。
本当に本当にギリギリで回していたらこうなる原因はいろいろ想像できて、とても、辛い。
とにかくめちゃくちゃ「ホウ・レン・ソウ」大事! 人に任せない! 大事なことは自分で確認をする!!
ということの大切さを改めて認識しました。
作品発表前の謝罪というのは、難しい。
私は過去に洒落にならない迷惑をかけられた相手から、直接謝罪されずSNS上で謝られた(らしい。直接見ていないが間接的に知った)。
胸中穏やかになれなかったが、それでも自分の中でがんばって許した。
それから間もなく、ひと月くらいでメジャーデビューされた。
なんだ…デビューするから謝罪したのか…
がんばって、本当にがんばって許したのにな。
許さなくてもよかったんだな。
問題を知っているうえで雑な対応のままデビューさせたところのことも信じられなかった。
メジャーがそういうことするんだな。
(後にあろうことかそのトラブルをいじるようなことまでされたんだけど。まあもう、そこの部署残ってないからいいんだけどさ)
……という風に、謝罪して清算→すぐに新作お披露目というのは印象が非常に悪い。
(今回、批判を受けて上映前に声明を出したのは良かったと思います。)
やはり、文春で明るみになってすぐに今回の釈明が必要だったでしょう。
自分が誹謗中傷を気にしないとかの問題ではなく、A子さんへの誠意として。
文春に協力してもらって当時の関係者の言い分と事実関係を洗って発表していくというのも可能だったでしょう。
それから、数年地下に潜って、その後のふるまいでも反省を見せていれば、今よりはよかったと思います。
あと、こういう被害を告発したり取材を受けると、すぐに「売名だ」という人がいます。
最近でも「性被害を受けたのにグラビア写真を出してる。同情して損した。売名だ」(グラビアを出したのが被害者というのも憶測と決めつけです)というのがありまた。
まったく理解できません。
まず売名で何が悪いのでしょう?
一方的に被害を受けた、ならばせめて何かの形で取り戻す。そのことがなぜ責められるのですか?
もちろん、被害を受けた方が売名目的だと言いたいわけではありません。ですが仮に売名であっても問題はありません。
また、被害を訴えたら売名、被害を受けた人が活動を継続したら売名、なぜこれらを売名だと思うのでしょうか?
何がどう売名なのでしょうか?
ずっと泣き寝入りしていろと。やりたかった活動も我慢してしおらしくしていろというのでしょうか。
理解できません。
被害の乗り越え方はさまざまで、あえてグラビアを撮ることで前に進もうとする、そういう選択だってあるでしょう。まったく不自然ではありません。
中島監督の言葉で、当時の経緯を詳しく知ることができたのは良かったです。
他の事案でも気になることはありますが、総じて中島監督個人の問題というより、映画製作現場全体の問題、という感じがします。
監督にのみ言葉を求めるのは違う気がしています。
芸能・芸術に限らず、仕事仲間・お客さん問わずパワハラ・セクハラ・その他……信じがたい話はあちこちに転がっています。
本当はいつだって「ミッキーマウスに中の人はいません」って言いたい。
結果、我慢したらいけないようなことを我慢して、なかったことにし続ける。
そんな犠牲の上に築かれてきた楼閣はいつか崩壊します。