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プロ意識を持つということは、覚悟なんだと実感しました。
僕はピアノを習っているのですが、先生は毎回熱のこもったレッスンをしてくれても、決して怒ったり不機嫌になったりはしません。
教育者としても素晴らしい先生です。
過去に習った先生は、入った瞬間に不機嫌で、「何かあったのかな。。」と逆に気を使ってしまうようなことがあったけど、この先生は私情と教えることは絶対に混ぜない。
例えプライベートで何があったとしても、生徒の前では絶対に出さず、仕事に徹するプロ。
僕からはそう見えます。
先生のピアノの音を聞いていても伝わってくる、妥協のない徹底して洗練された音。それは生き方そのものです。
今日はプロ意識の持ち方について、気づいたことを書きます。
こういうプロとしての意識って、けっこう大事かなと思っていて、ピアノやソルフェージュ、技術以外にも先生から学べることは多いんです。
僕もセラピストをしているので、お客さんの前では例えプライベートで何があっても、お客さんには悟らせてはいけないと思っています。
お客さんには全く関係がないことですからね。それはお金をいただく側として、当たり前だと思っていました。
ですが今年の5月に、セラピストとしての姿勢を試される出来事が起きたんです。
数日前から愛犬リンの具合が悪く、朝病院に連れて行ったところ、病気で手術をしないと助からないと診断されました。その日は午後からちょうどお客さまの予約が入っていてたんです。
手術は五分五分と言われていたので、気持ちがバタバタしてしまい、死んでしまったらどうしようと心配で頭から離そうにも離せませんでした。その日の夕方に手術が決まっていたのですが、もう気持ちが落ち着かなくて心臓もずっとバクバク打ってる。
ですが、このことはお客さんには全く関係ありません。
リンのことを一旦置いて、心臓のバクバクを悟られないように、平静を装いながら施術しました。自分では100%で施術したつもりですが、お客さんはどう感じられたのかな。
プロ意識を持つということは、覚悟なんだと実感しました。
そして、自分がどんな状態にあっても、クオリティーを落とさないこと。
この2つがプロの条件だと思うんです。
こんな出来事が重なったからこそ、気づくことができたこともあります。ちなみにリンは手術無事成功しました。
意識高く持ってるつもりでも、こんな出来事があると、どこまでそれが本気なのか問いかけられます。ピアノの先生を見てると、生きてる姿勢から違うんです。
僕は意識高い人は好きですが、意識高いことをアピールするのは好きではありません。なので意識を高く持つというよりは、生き方そのものにこだわりを持つ。そうしたら自然と意識は高くなりプロとしての何かを感じてもらえると思っています。
これも、ピアノを弾く1つの理由かもしれません。
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