「母さんの料理には愛が入ってるからね、美味しいのは当たり前。」と母はウィンクした。
なんだか今年はクリスマスもお正月も実感がないです。1日は速く感じるのですが、年越しって感じが全くしない。行く年来る年でも見たら少しは実感がわくのかな。
今年の帰省は迷ったけど、万全の対策をしながら実家に帰ることにします。なぜなら、我が家のお正月は豪華だからです。母の料理はほんとにおいしい。小さい時から食べてたから舌がそうなってるのかもしれないけど、たぶんそれを抜いても激うまい。
東京で一人暮らしした時に、母に料理のコツを教えてもらおうと思って聞いたのだけど、「ばーーっとやって、ぺって入れるの!」と言われた。
…まったくわからなかった。
それじゃさすがにわからないから、「どのタイミングで何g入れるとかで教えて」と台所でメモ帳を持ってスタンバイしているが、「ぺって入れるの!」
また謎のペー。調味料何gとかではなく、感覚でやっている。
「細かいことは考えずに、入れれば大丈夫!」と謎のフォローまでされてしまった。
実際自分でも作ってみた。調味料を掛け声とともにペーっ!と入れたが、驚くほど不味かった。
ミスタージャイアンツの長嶋監督も選手に教える時、「ここに立って、バーンと打つんだ!」と言われたエピソードをテレビで見たことがある。
真っ先に、母と似ていると思った。
パターンとしては同じかもしれない。
もしかしたら母も天才肌なのかと、疑いを持った。
天才肌の人は理論ではなく、感覚でできてしまう。だから、教えられないのかもしれない。
ミスターと並べて書いてしまうと怒られそうだけど、やはり母の料理はプロ並に美味しい。外食よりも美味しいと感じるぐらい。
ベーー、パッと、バキューン、こんな擬音語の連続では凡人の自分には出来そうもないから、料理は諦めた。
惜しい、秘蔵のレシピをまとめようと思っていたのに実に惜しい。
実家に帰ると、全力でウマウマしながら食べてる僕を見て母が、
「母さんの料理には愛が入ってるからね、美味しいのは当たり前。」とウィンクした。
ちょっと待てよ、小さい時から料理作ってもらってるけど、冷めていたことは一度もない。作りたてのアツアツ。いつも食べる人のことを1番に考えてくれていた。
もしかして、料理が美味しいと感じるのは、本当に愛なのか?
ただペーっと料理を作っても美味しくはならない、そこに食べてくれる人への愛のスパイスが入るとペーっは完成する。
僕は突然ペーっの意味を理解した。
工場で作られているコンビニ弁当は、やっぱりあまり美味しくない。でも自分のために作ってくれた料理は美味しい。素材だけの話ではない、込められている気持ちもスパイスになっている。
そしてもう一つ。食事は誰かと美味しい時間を共有するエネルギーみたいなもの。どんな立場の人でも、どんな人種でも、食べている時は同じ。一緒に同じものを食べる不思議な空間。
食事がエネルギーだと知ってから、自分の好きな人としか一緒に食べないようにしました。
母はよく言っています。
「食べることを疎かにすると、心が貧しくなるから、ちゃんと食べなさい。」と。
僕はたまに食べることを疎かにしてしまいます。そうすると、少しずつ心がトゲトゲしてくるのがわかる。
そんな時に母のこの言葉を思い出します。
小さい時から、そんな料理を作ってくれる母には感謝しかありません。母さんありがとう。実家に帰って、また美味しく料理をいただきます。