父から聞いたzippoの話
こういう雑記を書くのは久しぶりだけど、ちょっと思うところがあったので、僕の父が生きていた頃、繰り返し聞かされた話を一つ紹介してみようと思う。
僕の父は元々、伊藤商事という化学系商社だった会社の営業マンだった。とはいえ僕の父は理系出身でもなく、化学の造詣が深いわけでも無かったので、そのままでは埋没していくだけだと思ったそうだ。
そこで父は一計を講じた。それは1人の先輩と共に、会社に輸入雑貨を扱う新しい部署を作ることだった。
当時の社長に相談した時、こう言われたそうだ。
「3年は好きにやって良いけど、それで利益が出せなければスッパリ諦めなさい。」
まぁ、釘は刺されたがひとまず新規事業の了解はとった。
父が商材に選んだのはアメリカのzippoライターだった。zippo社と正式に代理店契約を結び、なおかつアウターケースを日本国内で自由に加工出来る特約もとりつけた。
さてさて、ここからが大変だった。当時オイルライターはダンヒルのような高級ブランドが市場を独占していて、zippoは価格が安いわけでは無く、かと言って知名度が高いわけでも無く、大苦戦。
「値段がもっと手頃なら買うんだけどね...。」
営業先で何度も言われたそうだ。当時は父も若かったし3年で利益を上げるという約束もあったので、社長に相談したところ、逆にこう尋ねられたそうだ。
「とりあえず目先の売上が欲しいの?それとも一流の商材に育てたいの?」
その言葉に父はハッとしたそうで、様々なところから持ちかけられていた大幅な値下げの要求を全て蹴った。
その後、石津謙介氏との出会いでzippoはファッションアイテムとして大ヒットし、その後もJT等のノベルティに大々的に採用されるなど、会社に莫大な利益をもたらす事になったのだが、まぁ、そこまで結構大変な時期が続いたそうだ。
この話で僕がいつも思うのは、父がもし目先の売上だけを期待して大幅値下げに応じていたら果たしてどうなっていたかという事だ。
『何処にでも有る、簡単に買える、安物のライター』
zippoがそうなってしまった後で、VANジャケットやJTその他の多くの企業のノベルティになる目が残っていたかどうか?
まぁ商売も色んなやり方があって絶対の正解は勿論無いんだけど、僕自身は商品を簡単に安売りはしないというのは結構大事な事なんじゃないかなと思ってる。
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