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短歌:本探しの愉しみ

いまだ見ぬ世界があると言う君を書物の壁が誘っていく/銀猫
いまだみぬせかいがあるというきみをしょもつのかべがいざなっていく

 Xで開催されている「単語で短歌」の、お題「本屋」でポストしたものです。

 どれだけネットが発達しても、リアル本屋にはなくなってほしくありません。本屋巡りは、わたしの大切な愉しみのひとつなんです。


「~屋(本屋、床屋、肉屋等々)」は表記に留意すべき表現だと言われていますが、このエッセイに「書店」は書き手として馴染めないので、本屋と記すこととします。当然、敬意はあれど差別意識など微塵もございません。

 「おもしろい本、ないかなあ」という欲求は、決してネットでは満たされません。逆に言えば、買う本が決まっていればネットのお世話にもなります。

 ただ、わたしには少々困った習性があって、ずっと欲しいと思っていた本(特に、なかなか見つからなかった本)を本屋で見つけて、歓喜のあまり手に取ったところ、何やら欲しくなくなることがままあるのです。なんでしょうね、これ。

 子どもの頃からちょっと過敏な部分があるので、そこらへんで感じ取ってしまっているのかもしれません。

 ネット書店(こちらは「書店」の方がしっくりくるのはなぜだろう)では、その部分を体験できないので、念願だったはずの本が届いてから手に取って、「あれ、失敗だったかも」となってしまったこともあります。

 本選びにも第六感が必要です、わたしの場合は。

 電子書籍が苦手なので紙ばかりが増え、実家から亡父の蔵書を持ち込み、現在、積読山でえらいことになっています(笑)。
 でも、本に囲まれていると幸福感を得られるのは、まあまあお手軽な趣味ではないかと思っています。枕元に積んでいるので、地震で落命しないように何か考えないと。その前に自分の寝相をどうにかすべきではないかという気もしますけれど。

 今日のサブタイトルは、ヘルマン・ヘッセの名著「庭仕事の愉しみ」からいただきました。


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北乃銀猫
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