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どん底から楽しい事を見つける!

手術を無事に終え、通常の暮らしが出来るとこまで来ました。ただ、まだ痛みなどは少々残っているものの…って感じです。

人って残りの時間を切られた時、本人しか分からない色々な景色が見えるもんです。俺の場合、病気とは切っても切れんかった人生なんで、「またか!」って感じなんですが、初めて余命宣告をされた方々にとったら、どんな思いなんでしょうか?

寧ろ、そういう意味で考えたら俺の場合「特殊」なのかもしれませんね。

病気に会うたびに元気な顔をしているだけで、「大した事なさそう…」周りはそう思ってきていたのでしょう。

「元気な振りをしてきていただけ…」本音を言えばそういう感じです。

しんどい姿って人のいない所で見せるもんであって、実際の苦労って見せた事ない。

だからみんながこんな俺を頼ってくるのかな?っていう感じです。

今回は、主治医、執刀医から「やるべきことは全て出来た…」

「後は、時間を大切に遣ってください…」


と言われただけ…

闘えば延命は出来るかもしれない…しかし、抗がん剤は「そうそう効かない」と言われた時点で、終わっているよね…

でも、何か少しでも「光」が見えているのなら…「その光を頼りに、残された時間を楽しんで過ごしたい」と思っています。

「くそっ!」っと思った事は何度でもある。

「病気の前では、無力な俺」

「もう無理すんなよ!」って自分に言ってあげたい俺と、限られた時間しかないが、遣りたい事に生き甲斐を求めて楽しんで過ごせ!って言う俺がいる。


関わって来た者の前で縁が離れたら、俺の努力や功績は「全くの無」となって消えて行ってしまう。

現に、今の俺は「全くの無」でしかないのであろう。

歴史を振り返って、人生が変わった者も沢山いるだろうが…

今では、全くの他人である…


そこに、「感謝」ってのも存在しない。求めてもいないけど、それが世の中での現実だって事に最近気づいた。


「もっと早く、元気なうちに自分の為に何かをしてきたらよかった…」

自分の才能に気づかなかった俺の落ち度です。

「利用されておしまい…」っていう、「敗北感」をひたすら後悔した。

この身体の状態での52歳になり、来年の誕生日にはこの世に存在しない…



ハッキリと言われたからこその「どん底の崖っぷち」


なんかのプラスのために頑張るとかじゃなく、ただ「無」になって「何がしたいのか?」と自分に尋ねたら、「生きている実感を保ちたい」としか答えは出てこなかった。

人と話していても、何かしら「よそ事を考えている」

家族が気を遣ってくれていても、なんだしかよそ事を考えている。

リハビリで歩いていても、復活とか夢を見て頑張っているのではなく、ただ「ノルマ」として歩いているだけである…


ここまで弱くなってしまったのかと、悔しさだけが込み上げる事も多々ある。


誰かに縋ってきたわけでもなく、いざ一人になった時…


健康な俺なら、この状態でも物ともせずに戦っていく闘争心や向上心が常に溢れかえっていた。


それが、今ではこんなありさまであるのか?


励ましの言葉が、心に突き刺さる。


「このままいっそ、消えてしまおうか?」


TwitterなどのSNS、LINEなど全ての環境から消えようと思った事もあった…


寧ろ引退後は、この色々なSNSで多くの人たちと出会いワイワイと楽しんできた「この居場所を捨てれるのか?」って思い返した事ばかりである…


「存在感」が消える…


俺にとっての「最後の光」なんじゃないのか?


そう言う風に思えたからこそ、配信をしているわけだが…


皆様には、どう映っているのだろうか?


寝て起きたら、「今日も元気だな…」って言い聞かせている。


今の俺に唯一の支えは、「自分にその日を頑張れるエネルギーを与える…」助かった者は、全て背中を向けている…


そこに助けを求めてまで生き延びようとは思わないし、これはプライドの問題でもある…


「絶対的王者」で最後まで存在していたい。


「強い俺であり続けたい…」

「才能に溢れかえった俺で、最後まで生き抜きたい」


そう思って、病院のベットの上で考えていた…


「俺にとっての光って何なのだろう?」


まだ、本当の光って見えていないのかもしれない…



誰かに話を聞いてほしい・・・しれで、もう一度何かに気づき動けたら…


光が見えるのであろう…

それをずっと感じている、今日この頃の俺である…




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著者・銀狼
悩んでおられる業界の関係者の方々…もしもですが、私でよろしければご相談とかお伺いさせていただきます。そこで何か「光」が見えるかもしれません。メッセージ等、お気軽にどうぞ。