価値 of ものごと
今日は読みにくい文章を書きます。一年のうちにはそういう日もあります。具体的には、冥王星の配置と関係があります。張り切っていきましょう。
実在する能力者たち
能力者、いますね。漫画とかアニメとかに。ところで現実世界にも能力者みたいな人たちはいます。企業の上のほうとか、大学の奥の方とかによくいます。みんなも探してみよう。
ぼくはこういう能力者を見てなんとなく分析するのが好きなので、きょうはその話をします。もっとも能力者のやり口を翻訳するのはぼくの能力に余る仕事なので、群盲象を撫でるということで、ここはひとつご勘弁を願いたいと思います。
こういう話は、言葉で説明すればするほど遠ざかってしまう感じがして難しいんですが、文章をなるべく読みにくくすることでそのあたりを補っていきたいです。よろしくお願いします。
価値とは?
能力者と言ってもいろいろありますが、今回は、ものごとの価値を変更する能力者についての話をしましょう。そのためには、価値の話をしないといけないですね。
価値。経済学とかでいろいろ言われてるとは思いますが、ここではとりあえず関係ないです。ここでいう価値とは、ある一定の社会集団がそれに対して認める重要さの程度、としましょう。
何も全世界の人に認めてもらう必要はないけども、自分ひとりが認める価値についての議論はちょっとナイーヴですね。クラスのみんなぐらいの人数がいたらそれでいいかなと思います。
技術的な話をすると、ここで集団を固定することで価値の定量的な議論がしやすくなります。
ふつう、1万円と100円は比較できても義理と人情の価値は比較できないですが(人によってどちらに高い価値を認めるかが違うから)、集団の価値観というのを仮定すると、人情より義理に高い価値を認める集団があったり、その逆があったり、比較がしやすいです。
で、どうするのよ
さて、ものごとの価値を変えるには基本的にどうしたらいいかというと、基本的には取り扱い方を変えればいいみたいです。あるものを、価値があるかのように扱うと価値があるものになり、価値がないかのように扱うと価値がないものになります。木の葉を神格化することもできれば、金塊をビニール紐で縛って廃品回収に出すこともできます。真髄はここに凝縮されていますが、当たり前すぎてよくわかりませんね。
ふつうならここで具体例を出すところですが、今日はそんなことはしません。百尺竿頭に一歩を進め、さらに抽象的に説明します。
上で言っているのは、答えの価値を変えたければ問いを変更すればよいということです。このテクは禅坊主がよくやっているやつですが、単純な答えを用意しておいて、それの前段階にめちゃくちゃ難しい問いをくっつけて、弟子にウンウン考えこませるわけですね。
たとえば禅の公案に
雲門屎橛(うんもんしけつ):
雲門、因みに僧問う、「如何なるか是れ仏」。
門云く、「乾屎橛」。
というのがありますけども、これは現代語訳すると
雲門和尚はある僧から、「仏とはどういうものですか」と尋ねられて、
「乾いたクソの塊じゃ」と答えられた。
というものです。公案というのは悟る手助けとして解く問題のことです。禅問答的な。
まあ公案はこの問答を見てから考えるのが大事なので、このやり取りをそのまま信用していいかというと微妙なところですけどね。この公案を聞いて「なるほど、仏っていうのは乾いたクソの塊のことなのか〜」となっていたら、師匠に頭をペチンといかれてしまうでしょう。
つまるところ、これはわかりやすい例すぎて罠なんですが、この程度の技でも、乾いたクソの塊の価値をかなり上げることができました。すごいですね。
ここまでは価値変更の能力を上向きに使う話をしましたが、これはもちろん下向きに使うこともできます。
先程からの流れでいくと、この場合は質問をしょ〜もない質問に変更すればいいわけですね。これもまたわかりやすすぎる説明なので罠なんですが、たとえば答えが「6」になる質問を考えてみましょう。「最小の完全数は? 」と問えば6の価値はまあまあ高いですが、「うちで飼ってるめだかは何匹? 」と問えば、そんなことは一向に知らなくていいわけです。
がんばりましょう
今までの説明は、説明のための人工的な説明でしたが、価値を操作する能力者は、こういう技を日々の会話で自然にかけることができます。すごいですね。
この文章を読んであなたが能力者になれるかどうかはわかりませんが、何かの手助けになるといいなと思います。余談ですが、能力を身につけるもっとも簡単な方法は、能力者に殴られることです。お互いがんばりましょう。それでは。