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【受験生必見】ドーヴ統一戦争まとめ④ カイマー死去〜統一解放戦争

クリュンケ体制のもと、崩壊への道を進みはじめるドーヴ統一政府。
前回に引き続き、ドーヴ統一戦争についてまとめていきます。今回で最終回となります。


1933年12月30日

総帥シュレーン・カイマー死去。ドーヴ人至上主義を掲げるフォルカ・クリュンケがその跡を継ぐ。
統一軍の拠出負担率の是正と、ドーヴ人の優遇政策を打ち出してドーヴ連邦内で支持を集めた。

クリュンケ総帥こそ、ドーヴ中心の統一政府を作る。

ウィゼット・ハーケン連邦外務大臣、ドーヴ連邦首相就任の所信演説にて

間接統治国の統一軍拠出負担率は40%→55%に引き上げられ、ラフ大陸・ユラオスト洋における軍事力拡大を図った。

当時、アメジスタ(首相ケイネル・ジョアス)はラフ大陸やマラリン海石油などにおいて勢力を伸ばしており、エンテカリア支配で手一杯のドーヴはそれに対抗できていなかった。

ボー王朝

マラリン海貿易の覇権の要になったのはボー王朝だった。
ボー王朝はクシリオ大陸東岸部で古来より強い影響力を持っていたが、近代化の遅れによりツェルニアから搾取を受けていた。

王朝はツェルニアの搾取を受け入れるかわりに、自身の権威護持を保証させた。

1924年

ドーヴ統一に伴うツェルニア併合。これを契機に、ボー王朝国内で民主化運動の機運が高まる。

1929年

「革命の雄」オン・ガンが革命軍を率いて王朝軍と内紛状態に突入する。(ボー臣民革命

1931年

アメジスタ・ボー王朝の同盟が成立する。アメジスタは王朝軍側として参戦し、臣民革命がボー革命戦争へと発展する。

クリュンケが総帥に就任した1934年当時も革命戦争は続いており、彼はアメジスタが疲弊している間にラフ大陸を奪還することを狙っていた。

1936年

ドーヴ統一政府がアメジスタの占領植民地に軍を派遣する(ラフ南部戦争)。

統一軍とアメジスタ軍はバフォアで衝突する。

ドーヴはボー革命戦争におけるアメジスタ軍の兵器性能を調査し「大幅な技術革新なし」との結論を出していたが、実際にはアメジスタ政府はあえて旧式兵器で革命戦争に参戦しており、対ドーヴ戦まで最新兵器を秘匿していた。

ドッグソン財団

ツェルニアの資本家マーレン・ドッグソンが設立。彼は統一戦争以前より、植民地貿易を中心に金融・造船・資源などの分野で莫大な利益をあげていた。

彼は1918年アメジスタに亡命した。莫大な資金を背景に世界中の科学者を財団に招聘し、高度軍需産業を次なるビジネスとして兵器の研究開発をすすめていた。

統一政府は南セルブルのジョアバンバ軍事基地で兵器の研究開発をおこなっていた。しかし、予算不足もありドッグソン財団に比べてその程度は劣っていた。

1939年

アメジスタがボー革命戦争から撤退。王朝軍は敗北し、オン・ガンを民主政府代表とするボー共和国が誕生した。

これ以降、アメジスタはラフ南部戦争に注力する。
ドーヴは軍拡で対応するが、それは国内の政情不安定を招いた。

1940年5月

ドーヴ統一政府が、反乱の動きを見せたソターリア帝国の王族を解体。傀儡政権が樹立される。ソターリア帝国はソタータリ連邦となる。

これと同時に、アメジスタも国内問題を抱えていた。
1920年代、アメジスタは西エンテカリアから大量の亡命者を受け入れた。それに端を発し、国内で民間人どうしの摩擦が発生していた。
亡命者は富裕層が多く、それゆえに兵役を免除されることも多かった。西エンテカリア解放、ドーヴ打倒のために血を流したのはアメジスタの貧困層だったのである。

放射性兵器問題

1930年代後半、ドッグソン財団は放射性兵器の開発に着手する。
彼らはそれをアメジスタ政府に明け渡す意思がないことを通達した。

ドッグソン財団はあくまでツェルニアの民間企業であり、アメジスタがその動向を完全にコントロールすることはできなかった。
アメジスタ議会ではドッグソン財団の兵器開発規制案が提出されたが、財団の戦争への貢献を無視できなかったことから最終的には廃案となった。

1941年6月13日

ドーヴ連邦軍の過激派将校が首都ベールヴの統一政府フェンゲルト庁舎を襲撃。総帥フォルカ・クリュンケを射殺する(フェンゲルト事件)。

ドーヴ連邦軍の酷使、食糧管理の崩壊によって連邦と統一政府の関係は冷え込んでいた。

将校たちは連邦首相ハーケンを脅迫し、ドーヴ連邦によるエンテカリア統治を宣言させた。

一方、当時のドーヴ統一政府副総帥であったヒックスは、滞在中であったソタータリで臨時統一政府の樹立を宣言。
ドーヴ統一政府とドーヴ連邦が内戦に突入する(統一崩壊戦争)。

クーデターの混乱によりドーヴ連邦軍の指揮系統は乱れており、統一軍が早期に首都ベールヴを奪還する。

1941年8月2日

アメジスタ軍がバーデルタ沿岸部に上陸する(統一解放戦争)。

内戦によりラフ大陸から連邦軍・統一軍が撤退したため、アメジスタは事実上ラフ南部戦争に勝利していた。

1944年1月20日

ドーヴ連邦が降伏する。これに伴い、ツェルニア、バーデルタ、ハルボニア、ホッドルフ、キエンドルフ、トイドナが解放された。

1944年3月21日

ドーヴ統一政府(在ソタータリ)が降伏する。
これにより、20年にわたるドーヴのエンテカリア統一は崩壊した。

アメジスタに亡命していた多くの西エンテカリアの民が帰国し、復興が急がれた。

1944年8月

ベールヴ戦争犯罪裁判。
ヒックスを筆頭に、戦争指導者が裁判にかけられた。

今後の世界は、アメジスタ、西エンテカリア諸国、ドッグソン財団による新たな秩序のもと、さらなる激動の時代を突き進む。



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