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『漆黒の友引』 短編ホラー小説【9,189文字】

無重力


 内臓が上がってくる感覚。浮遊感。無重力。

 そういえば子供の頃、地味な遊園地に連れて行って貰った時の記憶が蘇ってきた。
 子供の頃は、それがくすぐったくて常に爆笑していた。只の大きな船、パイレーツを模した外観に我先にと乗り込み、それが左右と大きく揺れる。下腹部がぞわぞわと、今までに感じた事の無い一瞬の無重力が、ひたすらに楽しかった。

 慣れてくるとそれはまるで麻薬かのように、より浮遊感を味わう為にとその海賊船の先頭・・・が、どっちかは分からなかったが、船首か船尾かをとにかく陣取るのにまるでお宝をゲットする海賊になった気分で、競争心を狩り立たされていた。あの頃は色々と無知で良かったなぁ、としみじみ思う。

 今は、胃の内容物が込み上がってきて嗚咽感と悲壮感、そして、血流までもが波打ち際の海水かのように、押したり引いたり、干潮のように血の気が引いていく。眩暈のように視界がグラつき。そして目から出血するかのように眼圧を感じる。
 世界が私の周りをぐるぐると回っている、それは地動説でも天動説でもなく、自動説とでも言うべきか、個動説とでも言うべきか。視界による天地、上下が分からなくさせられた。

 そうだ。どうせ分からないなら目を瞑ろう。

 安らかに心を落ち着かせる為にも、目を閉じてみた。

 ビューーーーッ!!

 と、風を切る音しかしなくなり、余計に恐怖心を煽られる。

 ・・・いや、落ち着け、落ち着け、落ち着け。
 別に高所恐怖症っていう訳では無いんだから。ただ、普通よりも高いってだけだ。

 そうだ、そう・・・なぜか薬局の上、都会の真ん中にあったお店の屋上に小さな観覧車があった。それにその場のノリで初デートの時に乗った、あの絶妙な高さの観覧車。肉眼で真下にある川とその川沿いを歩く人達が見えるリアルな高さ。あの方が断然、怖かったのだ。



走馬灯


「なぁ、あれ、乗ってみる?」

「え~?マジで??あれ乗ると、みんな早くに別れちゃうって噂だよ?」

「いや、それって『吊り橋効果』で付き合ったらってやつだろ?高さとかおお化け屋敷に入った恐怖のドキドキを、恋愛のトキメキと勘違いするやつ」

「なにそれ?そうなの??・・・じゃあ、乗ってみる?」

 そう言って、私たちはカップルで乗ったら必ず別れると噂の観覧車に初デートで乗り込んだ。小さい分、一周の乗っている時間が短く一回だけのくせに、まぁまぁな値段を取られるにも関わらず私は怯まずにカッコつけて、そして二人ともが自分達は違う、特別な存在と絆で繋がっていると信じて疑わなかった。

「・・・ねぇ、さっきの言葉。『付き合ったら』ってことは、私たちはもう付き合ってるってこと?」

「ん?・・・さぁ、どうだろね」

「なによ、それ~」

「わっ、見て、下。こわ~」

「わ、ほんと、リアルな高さで見慣れた景色を上から見るの、変な感じ~」

「え?あっこのカラオケ、こんなに近かったっけ?」

「うん、そうだよ」

「え~、じゃいっつも遠回りしてたわ」

「マジ?バカじゃん」

 そんな、私たちはひと時の二人きりの空間の雰囲気が気恥ずかしくて、無駄にいつもしないような世間話で自分の緊張を隠そうと必死だった。

「・・・ねぇ。頂上についたら・・・やっぱ、するの?」

 少し照れくさそうに言っているその表情が、凄く可愛く見えた。

「・・・え・・・そりゃ、定番、だしね・・・・・・」

「・・・もう少し、だね」

 私は徐に、向かい合っている状態から隣の席へと移った。

「キャッ!」

 一応に揺り籠状態のその箱は、一人が移動した重みで少し揺られ傾き、私も少し心臓が高揚してときめいているのを感じた。

 頂上に到着すると左右の観覧車の箱からはお互いに見えなくなり、その瞬間に私たちはその年齢に相応しいような可愛いフレンチなキスをして、その後は手を繋いだまま会話は一切せずにその沈黙をお互いに噛み締め合っていた。



 ガチャガチャ、ガッコン・・・・・・

「はーいお疲れさまでしたー足元ご注意くださーい」

 そうしてあっという間に終わる甘い時間と空間を、乗る前にはバカにしていたその観覧車の箱という二人の世界が終演し、私たちは別に悪いことをしている訳でもないはずだが、そそくさと逃げるように主役たちは小さな二人だけの舞台から捌けていった。

 私たちは手を繋いだままお互いに目を合わす事も無く、屋上から階段を使って一階下の飲食店が並ぶフロアへと降りて行こうとする。

「・・・いやぁ~、意外と良かったよね」

 私は沈黙が続くのを恐れて、階段の階層途中の踊り場で気分と雰囲気を変える為に、振りかえって笑顔を振りまいた。すると、そこには別人の女性が俯き付いてきていた。その途端に繋いでいた手も冷たく感じて、誰かも分からない人の手を振り払い、ドッキリにかけられた人のように驚き叫んだ。

「うわっ!・・・だ、だれ?!」

 黒のワンピースを着たその女性は、何の返答も微動もせずに俯き、佇んでいる。私は気持ちが悪くなり、さっきまで居たはずの彼女のことも忘れ一心不乱に階段を駆け下りて行った。

 三階下まで止まらずに降り、少し振り返る。黒の女は追いかけてくることは無く、私は少し冷静になろうとした。ぐるぐると螺旋では無く交差し続くその階段は誰かとすれ違うこともなく、必死で焦り、汗だくな自分を見られる心配は無かった。そんなことを考えながら心を落ち着かせ、さっきまであの女の冷たい手を握っていた右手に掴む手摺りを引き寄せるように身を寄せて、少し階段中央、吹き抜けた細い空間の上を覗いてみた。すると、下を覗き込むようにしてさっきの女が髪を垂らしながらこっちを見ていた。私は改めて悪寒を感じ、冷や汗とともに再度その場を走り去って行った。少し遠くからだったから定かではないが、黒の女の顔はニタニタと笑っていた気がする。


夜景


 あれから彼女とは、なんとか距離を置いてよくある自然消滅ってパターンで関係は途絶えた。あんなことがあっては、どうしても普通に接することは疎か、会いたいと思うような感情になることこそ難しい。
 何回かは共通で使っているSNSへDMはきていた。

 何で突然、消えたの?
 何で返事してくれないの??

 どうやら彼女は事の経緯を覚えてないのか、それとも見てないのか・・・どういう流れで彼女と逸れて、あんな訳も分からない女と入れ替わったのか。彼女と話をして、確認もしたいという気にはなったが、それより恐怖心が勝っていて思い出したくもない体験な為に、申し訳ない気持ちでいっぱいだが仕方が無かったと自分に言い聞かせて何とか誤魔化してきた。



 そうして数年後、またある女性といい関係になり付き合い始めた。私は二度と観覧車には乗らないと決意し、順風満帆に関係は続いて行った。

 もう成人になって間もない頃だったので、カッコつけて正に馬子にも衣裳、似合わなくも夜景が綺麗なレストランでフレンチを楽しむ。高いビルから見下ろす景色は本当に絶景で、様々な光が地上を煌めかせている。夜空の星々が見えない代わりを果たそうと、多くの人工的な光源がエネルギーを消費していく。
 方々に張り巡らされたハイウェイをどんどんと、そして次々に流れて行く車のヘッドライト群は、まるで動脈を流れる赤血球や白血球のようにも見え、彼女は感動している最中で私はなんだか気持ち悪さを感じていた。

 お上品な食事を楽しみ、年代も価値も味もまだ分からないワインを舌鼓みながら引き続き夜景を堪能し、私たちは店を後にした。何十階もあるビルのエレベーターは合計六つも設備され、奥の二つは今いる上階から一気に二階、一階、そして地下三階まで直球で降りられるシャトル仕様で、私はそちらの下ボタンを押してエレベーターを待っていた。

 少し早めに夕食を済ませていた私たちの周囲に人気は無く、その間を埋めるかのように二人で口づけを何度も交わす。

 チーン!

 やっと到着したエレベーターは無人で、私たちはまた少しだけ喜んだ。
 この後の手筈は大人としてはもう決まっている。ちょっとしたBARで様々なお酒を嗜み、二人で一夜を過ごす。その流れが当然かのように暗黙だろうと、この時の私は考えていた。

 地下駐車場まで降りるのにも数分かかるそのビルのエレベーター内で、手を仲良く繋いでいる私はまた口づけをしようと彼女の顔の前まで覗き込んだ。すると、またそこには別の女が、数年前に現れた黒い女が手を繋ぎながら立っていた。

「う、うわぁぁあぁぁっ!!」

 私は何も成長していなかった。無様に狼狽え、情けない程に尻もちをついて怯えていた。黒い女はニヤニヤと笑みを浮かべながら、私の方を一切見ずに真っすぐに前方を見ている。なにが一番不気味だったかと言うと、まばたきを一切していないこと。

 私は急いで手あたり次第の階のボタンを押そうとするが、今いるこの『箱』はシャトルエレベーター。停まることなく淡々とこの鉄の箱は下へと音も無く降りて行く。
 私は諦めて箱の出入口である自動ドアの方へ顔を鼻先が付くほどに近づけて、後ろの『モノ』をとにかく見ないようにした。直感的にだが、見たり話しかけてはいけない。そう思った。

 ドク、ドク、ドク、ドク・・・・・・

 聞こえてくるのはエレベーターが降りる、スーーー・・・という音と自分の鼓動。

 早く早く早く早く早く早く!!

 真冬だったにも関わらず、私は汗が止まらなくなり呼吸も荒い。目の前のガラス張りの自動ドアの鏡面が自分の息でどんどんと曇る。後、たったの数秒の間が何時間にも感じた。

 チーン!

 車がある地下ではなく一階に到着した音からの、ドアが開く間すらも何十秒と感じ、少しの隙間からでも出たいとの思いで肩を強打しながら一階フロアをかけ走った。


前日

 
 私は、それから女性と付き合う事が出来なくなり、高所には行けず、狭い空間を極力さけて今まで生きてきました。
 なるべく広いワンルームを借りて引っ越し、トイレと風呂も必ず扉は開けっぱなし。

 真冬の車は極寒で、真夏の信号待ちは灼熱です。

 仕事はなんとか在宅ワークを主流にした職を選び、ずっと一人で引きこもるような暮らしをしているのですが、ただ、どうしても打ち合わせやら会議、郵送では間に合わない案件で紙媒体の急ぎの資料などは会社へと取りに行かなければならない場合がある。そんな時はなんとか車で向かい、オフィスは8階だが階段を使ってなるだけ窓ですら近寄らない様にして、女性社員や清掃員の方などは距離を置き、なんとかやってきました。

 しかしある日、最悪な事態へと追い込まれました。

 また、今度は必要書類を提出しなければならない状況になったのです。それは私の怠慢が原因でもあり、締め切りの日を勘違いしていた。
 チームリーダーである上司に連絡をすると、直ぐに持ってきて欲しいってのと、そして支社が移転したという知らせです。住所などをメールで貰い、確認すると私は絶望しました。

〇〇 〇〇<ーー_ーーー@ーーーーー.co.jp>
to 〇〇 〇〇ーーー_ーーー@ーーーーー.co.jp▾
2個の添付ファイル・スキャン済み

〇〇県〇〇市〇〇
    **-**〇〇オフィスビル 18F
        TEL **-****-****

 ・・・18階・・・・・・

 こんな引きこもり運動不足野郎が、18階までも階段を上ることなんて出来る訳がない。

 ・・・いや、気合と根性だ・・・やるか・・・・・・

 試行錯誤していると、ふと思った。
 異性ではない者や、大人数でならエレベーターは使えるのでは、と。
 少なくとも、外の街中や広い店内では問題がなかったのは間違いない。あくまでも
「高所」「密室空間」「女性と二人きり」
 この三つが揃わなければいいのかもしれない。

 翌日、行く前から私は緊張と不安で、その日はろくに寝れませんでした。


当日


 オフィスビルが込み合う時間帯、朝の七時から八時の間。

 歓楽街とオフィス街が入り乱れる都会街の一画、連なるタワー群の一つであるガラス張りの塔のように佇むビルの二重自動ドアを入ると、一階は中央に受付嬢が二名、鎮座している。壁際にいくつものエレベーターが点在していて、右奥にはコンビニ。左奥には有名なカフェ店がオープンしていて、手前とこのビルの外側、敷地内でのテラス席がいくつか設けられている。このような豪華な佇まいでこの場所に移転できたということは、私の会社はかなりの経常利益が上がったんだろうと伺える。
 地下には駅への直通で繋がっている地下街へと行くことも出来て、そこは多くの人で賑わっていた。

 早めの行動をしなければならない私は、少し時間に余裕があったのでコンビニで飲み物などの必要になりそうな物を購入し、ビルの反対側も探索しておこうと思った。念のための逃走経路の把握として。

 コンビニの反対側の出入口から出てみると、ビルの側面に降り出たのでそのまま裏側へと向かう。すると反対側がメイン道路へ面していて、一般人も出入りできて店舗のテナントを多く貸し出している商業エリアだった。裏だと思っていた反対側がメイン入口のようで、服屋や雑貨、飲食店など、多くの店が並ぶショッピングモールのような雰囲気があった。これらを知らずにこの目立った表から入ってしまった新入社員や関係者などは、こういった複合オフィスビルだとオフィスエリアに到達できない構造の建物を右往左往しなければならない運命だっただろう。私はたまたま裏の入口から侵入できたことを、小さな幸運だったと思うしかない。

 オシャレで彩りが鮮やかな看板や各お店の入口周辺が乱立し、その一階フロアは吹き抜けていてそのまま地下一階へと降りる階段が左右へと交差している。

 降りてみると、そこはちょっとしたイベント会場のような作りになっていて、小さなコンサートやライブが行えるような舞台が中央に設置され、その天井は雨避けのようにアーチ状のガラス張りで区切られている。よくテープカットをしている偉いさん達や、駆け出しの芸人が漫才をしていたり、ソロから四重奏程度の演奏が舞台上で繰り広げられている姿が連想され思い浮かぶ。
 小さな舞台会場の反対側は様々な地下連絡通路となっていて、他の商業施設や駅構内へと張り巡らされているのでどこにでも逃げれそうな場所でもあった。最悪の場合はこのルートであれば、直ぐに人気が多い場所へと行けてそのまま逃走も可能だろうと目測する。



 間もなくして私は上司へと連絡し、彼の出勤と同時に事務所へと入っていった。

 皆が出勤する時間帯はひっきりなしに、人がビル内にまるで底なしのブラックホールのように人を飲み込んでいく。どんどんと人を運び、反重力でも作用しているかのようなそのエレベーターという『箱』は、現在、誰よりも稼働し寡黙に働いている。

 私の鼓動は張り裂けそうなほど胸部の太鼓を叩き、汗だくになりながら乗り合わせた全員を警戒態勢で見守っている。上司には入社初日から私が高所恐怖症ということと閉所恐怖症だという事にしている為、何度も「大丈夫か?」と気遣ってくれていた。だったら下で上司が書類を受けてるだけにしてくれればいいものの、新オフィスの見学兼、移転ついでに着任した支社長への挨拶がまだだったのもあり、仕方が無く顔を出さなければいけなくなったのです。


当日②


 背後からの気配、存在を感じることは絶対に避けたくて、少し無理やりエレベーターの奥端へと潜り込みました。目の前には何人もの寡黙に沈黙し続け、上部に表示している数字の羅列を整列した人々がじっ、と空虚に眺め、自身との所縁がりがある階層へと待ち望んでいる。見られているパネルとしては、きっと最悪な気分だろう。

 天へと上がるその箱は途中の層へと次々と止まり、魂が抜けたように待っていた人たちがどんどんと降りて行く。一人、二人と消えて行き、とうとう最後には上司と私、二人きりになりました。
 ガタガタと震えている私を、上司は気を紛らわせようと下らない話をしてくれていましたが、全く耳に入らず覚えていません。

 スーーー・・・・・・

 とエレベーターはスムーズに音も無く止まり、同じように扉も開く。かなり性能のいいエレベーターのようで、重力と気圧の変化も感じずに目的地へと到着しました。

 良かった・・・・・・

 上司もナニカに変わることも無く、ナニカが現れることも無く、無事に箱から出られたのです。やはり、異性でなければ大丈夫なのかと緊張の糸がプッツリと切れ、急に過度のストレスからの安堵により、お腹が猛烈に痛くなってきました。

「すいません・・・ちょっとトイレに・・・・・・」

「ああ、言っといで。事務所はこの奥を左にいった突き当りだから。私は先にもう行かなきゃならないが、お前、本当に大丈夫か??」

「はい、大丈夫です、すいません」

 そそくさと私は、お腹を抱えてトイレへと向かいました。


 抵抗はありましたが、背に腹は代えられません。神に祈りながら、自宅と同じく個室のトイレの扉を開け放ちながら用を足していると、トイレの出入口の方から物音がしました。最悪です。私は息を殺し、誰も居ない空気感を出すために気配を消しました。

 カタン・・・コト、コン・・・・・・

 どうやら、清掃員の午前の作業と鉢合わせてしまったようです。いくらなんでも早すぎだろうとも思いましたが、こんなにも高いビルです。仕方が無いにしても、なんて不運なんだと、つい神を呪いました。
 私は急いで目を合わさず、手も洗わず、挨拶もせずに冷静に落ち着きながら静かに廊下へと出ました。

 手を洗わずに行くなんて気持ち悪い、と、思われても構わなかった。速足で事務所内へ入ろうとしましたが、当然の様に事務所にはセキュリティが掛かり入れません。訪問者用の内線通話が可能な受話器があるが、事務の方にご足労を煩わせるのも憚らい、上司へ電話をしようと考えました。上司が先に行ったのも、朝の出勤データを更新するためだけだろうとも思いスマホを手にしたその時、廊下の奥に人影を目端に捉えました。

 恐るおそるその通路奥を見てみると、そこには黒い女がバケツとモップを手にしながら、こっちを見つめていたのです。

「ひぃぃ!」

 叫ぶと同時に女がその通路を一直線に、全速力で向かってきます。まるでアスリートの様に綺麗なフォームで、凄まじい勢いを感じられることが更に恐怖を感じました。数年ぶりに子供が親に、数年ぶりに飼い犬が主人に出会ったというような雰囲気は感動的ではありますが、私のこの状況はただただ絶望的としか言えません。
 直ぐ様に私は当然の様に反対側へと同じく全速力で逃げました。

 ビル内の入り組んだ迷路の廊下を右へ、左へ。

 泣きそうになる心中で必死に、もつれる足を前へと何とか送りだし、最終左へと曲がるとそこの突き当りは非常用に行き来できるように作られた連絡通路で、恐らくオフィス側と商業側とを隔たるガラス張りの扉なため、重く閉ざされ「立入禁止」の刻印かシールが張られていた。

 私は咄嗟に引き返そうと振り返るが、その通路先にはあの女が立ちはだかっていた。

「ひぃぃっ」

 またもや情けない悲鳴を上げながら、進行を防ぐ用の丈夫な帯を筒内に収納ができる「ベルトパーテーションのポール」を持ち上げて、その隔たるガラス扉を割って入ろうとした。

 ドン!・・・ドン!・・・バリン!ガッシャーン!!

 後ろを振り返る余裕も無く、あのスピードだと私の頭の中にあるイメージではもう、真後ろに来ていてもおかしくない。粉々に砕かれたガラス片が飛び散るが、否応なしに潜り逃げる。

 手や腕に痛みを伴ったが、そんなちょっとした痛みなどもどうでも良かった。社会的体裁なんかもどうでもいい。


無重力②


 様々な洋服の店舗が立ち並ぶ。日中であれば多くの人で賑わうのだろう。ただしかし私はその場所でまた落胆していた。
 飲食フロアも当然のように営業開始時間は午前10時か11時からで、この場所も例外なく今の時間は殆ど人が居なかったからです。

 拘りがある飲食店の店主やコックであれば、仕込みの時間を加味し早朝から出勤する所もあるだろうが、私が脇目も振らずぶち破り、活路を得たこのフロアはアクセサリーや女性服専門フロアだった。

 人気が無いのは今の私にとって、幸か不幸か、吉か凶か・・・・・・

 内側に設置してあるエスカレータで陣取れば直ぐに上下へと逃げれるだろうと踏んで向かうのだが、右側前方の店頭に置かれたマネキンの様子がおかしい。
 ビクッ!ビクッ!っと腕が何かに反応しているように小刻みに跳ね、そして黒い影が全身を纏う。長い黒髪がバサッ!と優雅に舞うように生えて首だけがこちらを向いてくる。私は直ぐに左折して逃げるが、走り抜ける間も目端にはさっきと同じように通り過ぎて行く店頭に設置のマネキンが、次々と影に覆われ髪がバサッ、バサッと生成されながら私をどんどんと追いかけてくる様子があまりにも怖かった。

 このフロアはダメだ!

 私は直ぐに右折してやはりエスカレータ側へと急がなければと思った。とにかく下へと降りなければこの猛攻は止まないかもしれないと、エスカレータを滑るように降りて行く。

 疲労は限界に達している。少し休憩がてら下を確認すると、このエスカレータは一階までずっと続いてはいなかった。反対側へと更に下へ行くには回る必要がある。

 10階まで降りてきた私は反対のエスカレータまで走った。すると、突然横から強烈なタックルを食らい私の身体は宙を浮き、吹っ飛び天地が逆転する感覚を味わった。


 そうして・・・・・・


 内臓が上がってくる感覚。浮遊感。無重力。


 私と同じく、ラグビーの選手張りに突っ込んできた女と私は共に宙を舞う。
 なんだか懐かしい匂いがした。甘く、切ない、初恋のようないい匂い・・・・・・

 その匂いの元の女は私の腰をガッツリと掴み、私と共に落ちて行く。

 ビューーーーッ!!
 と風の音が相変わらずうるさい。

 死の間際の走馬灯は何分にも感じるというのは本当だった。

 落ちて行くその先を、私は見た。

 迫りくるは、上がる前に見た地下にあるステージの天井。ガラス張りの雨避け。


 ・・・ガッシャーン!!!


 その天井をも私たちは突き破り、落ち抜ける。

 その後の一瞬、私は見た。

 例の黒い女が両手を広げ、満面の笑顔で私が落ちてくるのを受け止めるかのように待ち受けていた。


《お、か、え・・・り》


 ドッ!グチャ・・・・・・


 擦れた女の声が聞こえたと思うと直ぐに、全身から聞こえてくる衝撃音と共に骨が砕け身体の方々に刺さる痛みを最後に、私たちはステージ上で永遠に混ざり合い、絡み合う骨々はもう、離れることは出来なくなった・・・・・・


⇩NEXT 竈魔(仮)

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