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深淵なる水縁 短編ホラー小説【3,785文字】

河原


 私は気が付くと、目の前には川の迂曲地、河原に立っていた。

 右奥から山の麓沿いに、川上から水が大量に流れてきている。
 足元には丸く角の取れた綺麗な石が沢山と転がり、私がまだ子供であれば水切り遊びをついしていたことだろう。
 川は左へとカーブを描き伸び続け、山と森の木々の中央へと進みその先は見えない程に長く続いている。

 ふと、その左手前に誰かがうずくまっているのが見えた。

 私は徐に近づき、声を掛けようとした。何故ならば、そのモノは背丈は小さいが、少しふくよかな男の子だったから。
 こんな所で、子供が一人で何をしているのだろう。周囲を見渡すが親らしい人影は一切無く、至極当たり前なようにその子はそこに存在していた。
 手先などが見えるまで近づくと、男の子は落ちている石を物色しているようだった。私の子供の頃と同じく、よく跳ねそうな平べったい石を探しているのだろうか。

「・・・ねぇ」

 声を出してみるが、自分には声が出ているのかどうかが分からなかった。鼻腔内や口腔内の反響が全く聞こえてこなかったが、男の子はこちらを振り向いた。くるっと振り向いたその子の目を見ると、まるで目玉が無いかのように真っ暗で「うわっ!」っと、また出ているかどうか分からない悲鳴を上げて私は驚き尻もちを付いた。

 唖然としている内にその男の子は、すっ・・・と、消えて居なくなり、コロン、と持っていた石ころが転げ落ちる。しかし、その音は聞こえない。

 そういえば、川のせせらぎも聞こていないことにこの時点で気が付いた。
 木々が揺れているが葉擦れの音もなく、晩夏にも関わらず蟲たちの声も一切しない。

 ここは・・・どこなのだろう・・・?

 耳が聞こえなくなったのではないかと少し怯え、耳の有無を確認した。耳という物はあったが、意味の無いことをしているなと自分がバカみたいだと感じ、尻もちを付いているそのまま、手元の適当な石を川へと投げてみた。

 ・・・ポッチャンッ・・・・・・

 石が水面へと落ち跳ね上げる水の音だけがハッキリと聞こえた。耳が、鼓膜がどうにかなった訳ではささそうだった。

 何なんだ、ここは・・・・・・

 そう考えている間も無く、今度は川の上流から多くの人影が連ねて川の中を歩いて行く。その軍行は先ほどの男の子とは違い、みんな半透明で向こう側が透けて見えていた。


遁走


 泳ぐ、という動作をしたモノは一人も居なく、全員が水面を歩いているように軍行は続き、その内の何人かは川から逸れて山の方へと向かうモノや、真っすぐに進行を変えずに進むモノ、そして、何人かはこっちに向かってやって来る。

 なんだか、凄く嫌な予感がした。

 殆どのその人影群は頭を垂れて俯き、腕を一切振らずに下をずっと見て歩いている。しかし、稀に上を向いてヘラヘラしているようにも見て取れるモノもいて、全員がそれぞれに気持ち悪かった。

 しかし、それらよりもっと気持ちが悪いのが川の中から、水を滴らせながら這い上がってくる女がこっちへと向かってきていた。気がついた頃には上半身が水面から出ていて、そいつと目が合いながら何故かこっちを見据えていた。そいつは周囲の半透明どもとは違い、私にはハッキリと見える、人?なのかどうかも今としては怪しかったが、四つん這いでよく映画で見るような細い四肢を蜘蛛のように広げて、長く黒い髪から滴る川の水の音と小石をギャリジャリと跳ねのけながら、不器用に四足歩行で向かってきていた。

 私はゾッとして後ずさり、振りかえって逃げようとすると何かに躓き大きく転んだ。肘や肩を強打し、顔を顰めながらまた踵を変えてぶつかった障害物を確認すると、さっき見た目の無い少年だった。私は更に恐怖に怯え、情けなく手足をバタバタさせながらもなんとか立ち上がり、必死に痛みも忘れて走り去っていった。


 周辺と空はずっと白みがかっていて、明朝なのか曇り空なのか、なんとも言えない曇天であり、そして森の中へと入ると草木が不気味に恐怖の雰囲気を演出してきていた。全く何も見えない闇の中では無かったことは良かったが、焦りと恐怖で足が時折もつれて、何度も転んで手や膝は擦り傷だらけとなっていた。
 目端に捉える様々な影が、さっきの化け物か人影どもかと見間違え、左右や前後をきょろきょろと忙しなく脅かされる。ただの木の影だったり、ただの草葉の隙間だったり。体力というより心労による疲弊が、限界に近づいていた。

 その時、突然に目の前に光が差し、明るく眩い世界が森を抜けた先に待ち構えていたので、私はそこへ飛び込むように駆け抜け走った。


現実


 光の中に包まれると途端に、私は全てを思い出した。

「・・・おい!何してんだ!!大丈夫か!?」

 目の前にはイメージをしていたような、後光を背負った菩薩やマリア様といった聖母や神ではなく、無精ヒゲを生やした夜漁のおっさんが私に手を差し伸べてくれていた。

 大量に海水を飲んでいた私は意識が朦朧とし、上手くその救済の手を掴むことが出来ずに海面を漂っている。
 その最中、何故、また生き延びてしまったのかと、死にきれない自分が情けなくなってきてしまった。そう、私は事故で最愛の妻と息子を亡くしていたんです。しかも私の過失で・・・・・・

 小型クルーザー程の大きさである夜漁船の側面が波に押され、私をまた海中へと飲み込む。集魚灯の明かりが周囲を照らし、海面の方向と船底がハッキリと分かる。
 私はそのまま上がらずにもう一度、死のうと思いました。

 すると私の両足が何かに捕まれ、グン!っと少し海底へと勢いよく引っ張られた感覚を感じ、目の前の集魚灯の明かりがもう少し暗く、その海中はさっきまで走り逃げていた曇天の森の中のような薄暗がりに支配され、恐怖がふつふつと蘇ってきた。
 急いで足元の下を確認すると、真っ暗な闇の私の更に足下の深く暗い海中からさっき河原で見た男の子と、そして蜘蛛のような細い手足の女が私の両足を掴み引き込もうとしていた。私は足をバタつかせ必死に二人の手を払おうとするが、離れずにどんどんと私の身体を登ってくる。
 私の胸元あたりまで、女の方がせり上がりその顔を見せつけてくる。その顔は男の子と同じく両目が無く、瞼も無くなっていた。顔は手足とは違いパンパンに膨らんだ風船のように、ボクサーが試合した後の翌日のように、晴れて膨れてしまって水膨れている。私は水中で叫び大量の酸素を吐いてしまった。

 怖い!嫌だ!死にたくない!!
 そう思い、長く黒い髪を引っ張り女を遠ざけようとすると、ズルっと頭皮から髪が皮膚ごと剥がれるだけで、まだ目の前に水死体の女が私を掴んで離さない。その腕は骨と少し残された肉しか残っていなく、それで細く見えていたことが分かった。

 段々と意識が遠のく最中、魂が抜けるかのような浮遊感を感じながら気を失った。このような死に方が私には相応しいかもしれない。そう考え、抵抗を止めて全てを受け入れた。


謝罪・贖罪


「・・・ゴボッ!ゴボゴボゴボ!!・・・がはっ!げほっ!!ごほぉ!!」

「はぁ、はあ、はぁ、・・・あんた!大丈夫かぁ!!」

 男の声が遠くから聞こえてくる。頬をぺちぺちと叩かれるような音がまるで、フルフェイスのヘルメットの上から叩かれているように聞こえる。その後に、少し痛みが来て徐々に意識が戻ってきた。

 まだ肺に海水が在るのを感じ、更に咽ながら上体を起こして四つん這いで吐き切る。口と鼻奥の全体に強い塩味を感じながらも、背中に置かれた手の感触がさっきの水死体の女の手を連想させて、振り払うかのように身体を返し腹を見せながら後ずさる。

「・・・おい・・・大丈夫か??」

「はぁ、はぁ、はぁ・・・こ、ここは・・・・・・」

 周囲を見渡すと、そこは船上で眩い程の集魚灯が船ごと照らされていた。そして、先ほどの無精ヒゲの男がずぶ濡れで、私を心配そうに見つめている。それだけでもう十分に理解できた。この人が助けてくれたんだと。

「はぁ、はぁ・・・あ、ありがとうございます」

「はぁ・・・全くこんな夜中に、海にふらふら入っていくもんだから、幽霊かなんかかと思ったよ」

「ゆ・・・幽霊・・・・・・」

 その言葉で寒気を一気に感じ、船の外側の海洋を見渡す。

「なんだかわかんないがよ。考え直せって。お前、まだ若いじゃないか。何度でもやり直せるし、何度でも詫びることもできるだろ?ちゃんと謝れって。頑張って、謝罪して、誠意を見せても許してくれなかったら、その時は好きにしな。ただ、死んじまったらその謝る事もなんもできねぇぞ」

 その言葉に、なんだかハッとした。心の中でしか、謝ってはいなかった自分に・・・涙を流し、後悔と自戒しかしてこなかった。供養も葬式もせずに、ずっと現実から逃げていた。それらも涙も全て、自分の為でしかない。



 よくよく考えてみれば、さっきの女と男の子の霊は私が亡くした妻と息子に少し面影があり似ていたかもしれない。水膨れて顔の形が全然違っていたが、そう見えなくも無かった。もしかして、私に「生きろ」という想いで出てきたのか、もしくは・・・・・・


 ただ、私はそう思うようにして、今を生きています。漁師さんが言うように、謝罪の人生を歩むつもりで・・・なんとか二人の為にも・・・この【牢獄の中】で・・・・・・


⇩NEXT ~追憶の景色(仮)~


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