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【不定期連載エッセイ:二進も三進も行かないVol.17】 まんなか

あなたが持ってきた真ん中を私は愛した。
ただそれだけ。

真夜中のディスコでそう想い返した。
日中の活動で疲れ果てて床に寝そべる人々。座ってゆったり楽しむ人々。前方で踊り狂う人々。後方で踊り狂う人。私はいつも通り後方で遠慮がちに揺れている。

彼が連れてきた表現者の数々が各々の最大表現を提示してははけていく。その日初めて知り、観る人も、知っていて楽しみにしている人も誰も彼もが心で、人によっては体で踊ることができるフロア。ミラーボールはそれぞれの頭上直下に垂れている。
予定にないアクシデントが起きても、それすらも飲み込んで泳いで行く。どう転んでも表現に昇華されていく。マリンステージから抜き足差し足。不朽で、輝いている。理屈も、まやかしも、ゴシップもいらない。
音で飛べるそんな中毒さえあればよかった。
さよならはしないで、真夜中が待ってる。
パノラマのような景色が広がる。

明け方には釈放され港から電車に乗る。「床への座り込みはおやめ下さい」というアナウンスが流れ、現実に戻されると同時にいつからこんな物騒な注意が必要になったんだと思う。2年前帰国した時には流れていなかったはず。社会は割と暴力的な速度で移り変わるのだ。顔面にヒットを喰らうように端にもたれてうとうとしてしまう。こうなることは想定して休みを取っていたのだが、いざ起きて夕方だともう次の朝の方が近いのがつらい。ツラタンイブラヒモヴィッチ。

最近出た第二集より、彼の車窓の景色が変わったそうだ。人は変わるし、そうなんだと文字からその視界を妄想する。
私の車窓からは大抵後頭部しか見えないのだが、稀に眼球とリンクする時がある。決まって何か小作業をこなして全集中している時で、頭の中の音しか聞こえなくなって、特に勤務中だとあまりよくはない。

常連とはなんなんだろうか。この認識はどちらが授けるものなのでしょう。
お店柄、まあ色んな人がやってくる。お前絶対それ他の場所とか外ではやらないだろということを平然と繰り出してくる。まだ店頭に出さない商品の箱を無言で開けてきたりする。本屋とかでやらないだろそれみたいな。友達の部屋じゃないんだからさ。
取り置いた商品を渡す工程として必要な名乗りの部分を自己判断で省略しようとして、こちらが名を伺うと「ああ分かんない?」じゃないのよ。今後も知りませんよ。あなたと私はいつでも初めましてだと思う。いつか思い変えすかもしれないが今はとてもそう思う。

ダウ90000第六回演劇公演を観た。めちゃめちゃ面白かった。
本当にすごい本だと思った。8人が生きていて交差していてすれ違っているのをただただずっと観ていたい。あの後も、その次の日も、まだレンタルビデオ屋さんがギリ存在できるくらいの街でただ生きていてほしい。もう2,3回くらい拗れてほしい。店長にはプレーヤーを買い替えるのを渋っていてほしい。なんか恋人とサービスエリアに行きたくなった。運転できたらいいのに。恋人いたらいいのに。免許はある。あとは半分だけ。
じゃあ本当の意味では分かってないのかもしれないと我に返る。

私も研修をする立場になった。軽くアイスブレイクしようとして好きなものの話とかし合おうと思ってたら「ラジオってエモいっすよね大好きっす!」って言われた。別に良い人ではあるのよね。エモいの包括するニュアンスによっては賛同できないかもしれないけど思うことはそれぞれだからね。
でもradikoの中でいらないハッシュタグを発行する仕事をしている小さい私はまだ現在進行形で日々の楽しみとしている文化だけど!

今日も居ただけだったな。僕のまんなかはどこにあるんだろう。
祝う。愛。窓。

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