Fountain Pen(泉のペン)

じーっと、萌葱色(もえぎいろ)の眼が極小の泉を見つめている。
拡大鏡を覗きこみ、泉の中に蒼いインクがたえず湧いているのを確認すると、
やがて視線は、そこから流れ出る水路へとうつった。
小さい泉のほとりは貴金属の18金、水路はプラチナで装飾されている。

“Fountain Pen(泉のペン)”と呼ばれる筆記具が、この学術書地区では欠かせない。
こんこんと湧き出るインクをペン先へと導き、紙に文字をしたためる。
インクは公文書の場合「ブルーブラック」で書くよう定められているが、プライベートなら堅苦しい決まりはない。好きな色で書かれた文字が、個性豊かに紙上を彩る。

「今度の夏は、孔雀インクをオススメしてみよう。ちょうど、商品展示に使えそうな孔雀の本が何冊かあるし」
そんなことを頭の片隅に置きながら、店主はペン先の調整に忙しかった。

“Fountain Pen”でもっとも大切なのは、ニブと呼ばれるペン先の調節で、ここを所有者の書き癖に合わせて調整するのが腕の見せ所。

書き癖は人それぞれで、ペンを寝かせて書く人もいれば、立たせ気味にして書く人もいる。だから、医者がカルテを作成するように、その人に合った調整方法を記録しながら、書き手にぴったりの一本へと仕上げてゆく。

ぴったりのペンとは、カリカリと紙にひっかかったりしないで、紙面を滑るかのごとくスルスルといつまでも書いていられるペン。
思考の流れを乱さず、それでいて筆記を着実にサポートしてくれる安心感。
上質なペンほど、指へ心地よい感触を伝えてくれるものだ。

……と、こうして作業に没頭していたら、もう周りはすっかり暗くなっていた。
「閉店後に少しだけ様子を見るつもりだったのに、これではいけないな」
銀色の髪の毛を指で整えながら椅子を立つと、もう窓から月の光が差し込んでいる。

天井裏への階段を上って、パートナーの様子を見る。
パートナーとは金の繭(まゆ)をまとう蚕で、やがては蛾になってしまう虫なのだけれど、蛾になる直前、美しい金色の糸を口から吐いて繭を作ってくれる。
食べ物をあげて日々世話をしながら、可愛いこいつが天からの賜り物としか思えない糸を作るのが不思議でならない。

繭をまとう営繭(えいけん)までまだ少しかかるなと思いつつ、ふと、金色のインクを作れないだろうかと思いついた。
過去に一度だけ「金色のインクはあります?」と聞かれたことがあって、そのお客様は年配のご婦人だった。

「金色のインク? うちにはそういったインクは残念ながら」

「そうですか。もしかして、ここならあるかと思ったので……」

あまり聞いたことのない問い合わせだ。けれど、そのご婦人は冗談を言っている雰囲気でもなく、茶色の瞳がそっと伏せられたとき、むしろ悲しげだったのを覚えている。

「中央図書館に行ってみよう。もしかしたら金色のインクに関する書物があるかもしれない」

翌日、親切そうな司書の男性をつかまえて、著者も書名もわからない本を探したいと申し出た。
最初は怪訝そうだったが、こういう時は明るく話せば、熱意が相手に伝わることもある。

「金色のインクって使ったことある?」

「あぁ、スタンプでたまに金色のインクを見かけるね」

「それもいいけど、僕はペンのインクが金色だと素敵じゃないかって思うんだ」

「Fountain Penに金色のインクか……。うん、ちょっと楽しそうだね」

親切そうという第一印象に間違いはなく、閉架書庫まで入り込んでインク関連の書物を調べてくれた。
しばらくして戻ってくると、ため息混じりにこう言う。

「良い知らせと、悪い知らせがある。良い知らせは君の求めている本が一冊だけあった。そして悪い知らせは……、閲覧できない。禁書に指定されてる」

まさか。
禁書という制度がこの国にあるなんて初耳だった。なぜあのご婦人が金色のインクを探していたのか、わかったような、わからないような気がした。

「金色のインク」について研究を始めたのは、その日のことである。

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