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幾何学と宇宙と世界の話※専門的な話ではありません

あとで読み返したら加筆修正するかも。

私の父親はかなり浮世離れした人物だったのだが、感謝しているのは彼が一般的に理科に分類されるさまざまなことが好きで知識が深かったこと。色々教えてもらった。

それは、植物をこうやって育てたらこのように育つといった時間のかかることから、薬の話、花火の作り方、ラジオの作り方、時々は、蓋を開けようとすると触れた指に電流が走るキャラメルの箱、のようなふざけたものもあったが、思い出すのは星を見上げて星座の話、神話の話、星の出来かたや成分の話、働く力の話や望遠鏡を覗いて語る無言の物語等々。

私が興味を持ったのは、子供用の言い方だったのだろうけど、ミクロとマクロは同じ形っていう話で、フラクタル幾何学や流体力学、時と次元の話。こうやって書くと専門的なことを深く教わったように聞こえるがそうではなくもっと実践的で感覚的なものだった。

一つには、絵を描くこと、また、建物を建てること。私は今でもマンデブルロ集合体の式を使って作る幾何学で絵を作成し、そこに手を加えて作品を作っている。流れる絵の具で描いていた絵も、今はポーリングアートという名前のものに変わり断続的にだが、続いている。自然の中には数式があり法則があり、それはとても美しい。

最近は昔みたいにはっきりと見えなくなっているのだが、私は数字に色がついて見える共感覚がずっと残っていて、素数はラメの入ったようにキラキラ光沢がある。迷路は数字とよく通じていて得意だった。大人になってそういうのが共感覚というもので、人間に全員あるものではないのを知った。そして、一度臨死体験をしてから見えにくくなり、難病を発症してからさらにわかりにくくなったがまだ色がある。

霊感というものがあるのか定かではないが、異なる次元のものを感知することがあり、いわゆる鬼籍に入った意識体というかエネルギーのようなものと邂逅することがある。でも、そういうものたちとは私は何でもかんでも、魔法みたいにコントロールできないので子供時代や思春期に苦しんだ時期があった。

宇宙の法則は当たり前にそこにあり、多次元のエネルギーや意識らと矛盾はしないのに、科学か非科学かなどの議論をしている人たちがいて、そういう人たちは苦手だ。日本語で言うところのスピリチュアルに倒錯しているタイプの人たちもとても苦手だ。どちらにもあまり触れないようにしている。※海外でのスピリチュアルという言葉の意味するものは日本のそれと異なり、まだしっくりくる

私はしゃべるのが苦手です。

そういうもの。そこにおさまるもの。そこへ収束するもの。そこに在るもの。そうとしか言えない、言語化するのが非常に面倒で、する気が起きない。為せば成るの説明をする気にならないのである。

世界は今でできている。時間はどちら側にも流れている。何も矛盾しないけど、言語化できないので喋らない。フラクタル構造の物質を見ていると説明できそうな気がする。この間、投資家の方でうまく説明しているのお話に参加した。色々話してみたかったけど、こちらは文字でうまく説明できそうもなかったのと

他に人がたくさんいたのと 会議の内容テーマと関係なかったので、「めっちゃわかる」とは言えなかった 。

それはともかく、人間が人間になる前からのずっとずっと以前から在る数字と法則、そこに落ち着く場所や形について、今明かされる!みたいなのはちょっとずれてるなあと思っていたところに、まあ、土星のせいもあるからそういうタイミングなのかもなとも思ったりしたのであった。


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