神隠し その2 東三河(自身の体験)
これは2021年の春に「神様の土地」のある生まれた屋敷に帰省した時におきた出来事です。(私の生家の話は他記事参照してください)。
その時は晴れ、時刻は確か午前10時とか11時とかでした。屋敷から徒歩10分くらいのスーパーAに行こうと5さいになったばかりの息子を伴い、軒を出て20メートルくらい進むと息子がぐずり、買い物には行かないと座り込んでしまいました。わたしは、いうことを聞かない息子をなだめて連れて行くのがとても面倒になってしまい、「それならばあちゃんとお留守番しといて」と、『もう一度屋敷へ戻り、私の祖母に私の息子を預けて』再度軒を出てスーパーAへ向かいました。実の祖母に預けたとはいえ、あまり頻繁に連れてはこないわたしの実家。息子が慣れていない屋敷に高齢の祖母と二人きりではやはり何かと心配で、早足でささっと買い物を済ませて、きた道をIターンではなく、くるんとDの字のように回る形で、(来た道とは別の道)お墓と小学校の間の道を通り、神社の前を通って帰ろうとしました。小学校からはたくさんの子供が校舎の窓から乗り出して、こちらに向かって手を振っていました。
小学校から神社を過ぎて歩いていると、T工業の社宅が左手に見えてきます。車二台がすれ違うことがギリギリくらいの幅の道路です。その道路を挟んで右手にはバスが3台間隔を開けて停まっており、さっき私に手を振っていた小学生たちがぞろぞろと、T工業の社宅の前を通りバスに乗り込んでいきます。100人はいました。とてもたくさんの子供たちの身長はさまざまで、そのことから学年はバラバラだと思いましたが服装はみんな同じで、紺色の半ズボンに白い半袖の、なんだか体操服のような格好でした。砂場で遊んだのか土で薄汚れていたり、体操服?が綺麗な子がいたりさまざまでしたがみんな楽しそうにしていました。小学生かなと思ったのですが、それにしては小さな子も時々いました(4歳くらい?等)
「こんなバスまだあったんだ」そう思ったのは、そのバスが丸っこくて・・・なんか昔のバスみたいだったので珍しいなと思いました。クリーム色で、下三分の一くらいが赤茶色のバスでした。古いフォルクスワーゲンバスみたいな形で大きさは今の市バスくらいの大きいのでした。明るくて、どこか埃っぽいのです。埃っぽいというか、セピアの写真の世界のような。気候も暖かくて歩いていて気持ちがよかったです。
バスや子供たちをみていて「この先は畑を越えたら山なのにどこにいくのかな」なんて思ったような気もします。停まっているバス3台を越してから屋敷のある右手に曲がりました。そうして少し歩くと美容室の角に影になっているところに母がいました。「あれ?私が曲がった角からだと、もう一本北側の道に出るはずなんだけどな・・・」とぼんやり思いました。周りは畑で、ところどころに民家がまばらに建っていました。母と何か言葉を交わしたような気がしますが、ここから記憶があいまいで、次に気が付いたときにはわたしは全然違うところにいました。
それは、スーパーAからもしもIターンできた道を帰っていたら通っていた道・・・つまり私はきた道を戻っていました。気がついたのは、前から軽トラックできた弟に「何やってたんだよ!」と大きな声を出されたからです。
その声にハッとして、「何って・・・スーパーAに買い物に行ってたんだけど?」
「ずっと探しとったに。息子泣いてるぞ!ばあちゃんが俺に何回も電話してきて、「姉さんが帰ってこん姉さんが帰ってこん」と、お姉ちゃんのことみんな探しとるに!?」と、怒られるので・・
行先も告げて、祖母に息子を頼んでOKをもらって近所のスーパーに買い物に行って急いで買い物を済ませて・・・全然噛み合わなかったのですが時間を知って愕然としました。14時になろうとしていたのでびっくりしました。二時間以上も経ってました。どう考えても30分か、せいぜい45分くらいで済む道程、用事だったもので・・・。
「ごめん、でも、母さんにあって何か言われて、」
「母さんは3年前死んだでしょ・・・」そうだった。
「社宅のとこ曲がったら・・・」
「社宅って?T工業の社宅?そんなんもうずっと前なくなって、建売たっとるよ・・・」
ああそうだった・・・
この話は地図とか色々使って、怪談作家の幽木武彦さんにお話ししました。
幽木さんとのやり取りのどこかで、この子供のたくさんいた場所が50年以上前私の父親が幼い頃神隠しにあった場所であることや、「鬼木路」という言葉を誰かから聞いた(ばあちゃんだったか白龍天だったかそれ以外のもののけからだったか・・・)話をしたのですが、それはまたいつかの機会にお話しできたらと思います。