【実家の一軒家との別れ】が迫ってきました~家族で過ごした日々をありがとう
空家になっていた実家を売りに出していましたが、ようやく実家の一軒家の売却が決まるかもしれません。
「早く売ったほうがいいよ~」と母に言っていたわたしですが、本当はあの家と別れたくないのです・・・。いざ売却が決まりそうとなって、いろいろな想いが沸いてきています。
実家が空き家になって半年
母の救急搬送から10ヶ月。1年前には想像もしていなかった展開となりました。
母が入院⇒老人ホーム⇒マンションへ移ったときの想いは、80歳を前にして入院⇒老人ホーム⇒マンションへ引越しをした母の再出発に書きました。その後、空き家になった実家の片付けから売却依頼まで、少しずつ進んでいました。
母が救急搬送されてから10ヵ月の経緯:
4月:母からの電話⇒救急搬送⇒緊急入院⇒介護保険申請⇒老人ホーム探し⇒
5月:退院⇒自宅&妹宅滞在⇒老人ホーム入居⇒母の新生活開始(老人ホーム)⇒
6月:母が住むマンション探し⇒
7月:マンション契約⇒実家の片付け⇒
8月:母の新生活準備⇒母の引越⇒母の新生活(マンション)⇒
9月:実家の片付け継続⇒
10月:実家の不要品廃棄処分⇒ハウスクリーニング⇒
11月:庭師さんに庭の草刈と剪定を依頼⇒実家を売却を依頼する不動産者の選定⇒
12月:不動産屋に実家の売却仲介を依頼。
1月:寒さで実家の水道管破裂。要介護認定の訪問調査。
2月:実家を購入する申込みあり ←この記事執筆時の状態
母が「実家を売りたくない」「家が壊されたくない」と思っている気持ちを痛いほどわかっていますが、わたしたち姉妹は「売却するしかないよね~」と言い続けて、ここまでに至りました。
わたし自身は、正直なところ「売却に出してもかなり長期間かかるだろうな~」と思っていたので、実際に具体的な申し込みが入ってちょっと驚きの気持ち。と同時に、実は「実家とお別れしたくない」という自分の本当の気持ちをひしひしと感じています。
住んでいた家への思い入れ
わたしの場合、住んでいた家への思い入れが強くて、毎回つらいです。
たくさん引越しをしてきたから、これまで家との別れでつらかったことは数知れず。特につらかったのは、離婚する前に住んでいた家、海外で住んでいた家、一人暮らし10年を過ごした家との別れ・・・。でも、これらの家との別れは、すべてわたしの人生が次のステージへ進んだときでした。
今回の実家の一軒家の売却は、わたしの中で永久にあるべき存在になっていたので、これまでの別れとはちょっと違う意味があるんです。さらに、新しい購入者は実家を解体するということで、「とうとう実家がなくなってしまうんだ・・・」と考えると、胸がいっぱいになります。
想い出があふれる家・・・
実家とは言っても、実際にわたしが住んだのは、小学2年生から高校3年まで10年と大学を卒業してから最初の結婚までの1年で、合計11年あまり。
わたしの人生の5分の1くらいですから、実家の存在は大きくとも、過ごした期間は意外に短いものですね。でも、想い出はつきません・・・。まったく自分の独り言に過ぎませんが、大切な想い出をいくつか記しておきます。
ずっと覚えていようと思う実家の想い出シーン
(あまりに多くなりすぎていたので、ここからは一部割愛しました。自分の胸に刻んでおきます。)
引越したときの新しい家の匂い。壁が木目でできていて、うっすらと覚えている「わーっ」と思った瞬間
学校から帰ったら、庭の周りに植木がずらっと植えられていて、妹と一緒にびっくりしたこと
生まれたばかりの小犬ヨークシャーテリアを飼うことになり、いつもいつも一緒に遊んだ日々
父が手入れをしたサツキやツツジの花が小さな庭に咲きあふれていた春の光景
リビングで、母が歌、わたしがピアノを弾いて、本当に楽しかった時間
結納のために、母が和室用に買ってくれた重厚なテーブル
離婚後にわたしが自立していく過程をただ見守ってくれた父と母との時間
わたしが実家へ行くたびに、料理教室で習ったメニューとおりに父がつくった夕食
母と妹と姪っ子と一緒に、懐かしい人生ゲームやデートゲームをして笑いすぎた夜
47 年分の荷物と想い出の整理に、泣きながら片づけをしたこと・・・
今振り返れば、お金で計ることはできないプライスレス&オリジナルな家族との時間でした。その舞台になった実家の一軒家へ、たくさんの想い出をありがとうと言いたいです。
月下美人の想い出
実家にあった月下美人の花には想い出がつきません・・・。
夏の月夜の夜半に咲き始めて、夜中に独特の香りと共に美しい花を開いて、そして明け方には萎んでしまう・・・豊かさと儚さを合わせてもっているが故か、父はこの花を気に入って大切に育てていました。
そして、毎年7月8月の満月の前後には、父は「今夜は咲きそうだ」とライトアップの準備をはじめて、わざわざ通りを歩く人に見えるように花の置き場所を移して、それは嬉しそうにしていました。
後日、実家の整理をしていたら、父が遊び半分で詠んだ、あまり上手ではない(?)短歌が出てきました。
「吾が宿の 月下美人咲けり 見に来ませ 今一夜だに あらば散りなん」
父が末期がんだとわかった夏、花びらを開きつつある月下美人の花を、父と一緒に眺めた夜のことは、忘れることができません。父が部屋に入って休んでいるときに、今度は母とともに月下美人の花を見守りながら、「これが最後になるかもしれない・・・」と、言葉には出さずとも、母もわたしも感じていました。
そして、それは本当に父と眺める最後の月下美人になりました・・・。
家族で過ごせる時間は意外に短い
家族で過ごせる時間はたくさんあったようで、家族4人でいた期間は実際にはそんなに長くなかったな~と思います。
今はもう真っ暗で空っぽの実家の一軒家に、もう住むことはできませんが、ただ「あの家があの場所にあるのだ」というのが、母だけでなくわたしの心のよりどころにもなっていたようです。
何気ない日常の日々は、そのときは永遠に続くように感じてもそんなに長くは続かないで、人生のステージの変化とともに次のステージへ移るタイミングが、いやでも来てしまうのですね・・・
次のステージへ移るタイミングを自分で決める人もいれば、なかなか決められなくてギリギリまで粘る人もいます。
決めること=選択することって大変で、父も母もなかなか決めれないタイプ。そしてそんな両親を持ったわたしも・・・。
50代前半が人生の底でもピクニック型人生で日々を大切に生きたいで、「国籍や統計が違っても50代前半が人生の底」であることを書きましたが、先送りしてきた決断のときが嫌でもやってくるのが50代前半というタイミングということもあるかもしれない、と感じました。
本当に大切なもの
以前は、何かを買うときに捨てるときのことまで考えなかったのですが、この1年で明らかに変わりました。今は「これもいつかは捨てるときが・・・」と考えるようになりました。
大切なのは物ではなく、「大切な人との笑顔あふれる時間」「話がつきない楽しい時間」なのだとしみじみ思います。楽しかったという想い出は永遠ですから・・・。
もうすぐ実家の一軒家とお別れ
片付けをしているなかで、実家の家が建築中の古い写真が出てきました。あの家が生まれる過程の写真・・・おそらく昭和45年ごろの写真ですね。
その後およそ半世紀にわたって、わたしたち家族のよりどころとなったこの家に、もうすぐ幕が下りようとしています。あの場所で暮らす次の家族の幸せな時間を願いつつのお別れです。
人生って、家族や友達、学問や仕事、趣味や生きがい、そして住む場所も、振り返れば次から次へと流れて舞台も変わっていく・・・。
この週末は、母に「家の買主さんが決まりそうだよ~」と伝えるのが、ちょっと複雑な思いで動揺しそうですが、がんばります。
「実家の売却」という体験は、複雑な揺れ動く気持ちを抱きながらも、突き進んでいくしかないですね・・・。
(当記事は元ブログからの移管です。オリジナル公開日:2018年2月24日)