この世に正解はない。グラデーションから選択した可能性と捨てた可能性。
正解を探させる教育の問題は根深いな、と社会に出てからずっと、年々強く思うようになった。実験工学系で青春を過ごした身としては、世の中正解なんてない、と刷り込まれるように理解できているのだが。
どうも世の中そうでも無いらしい。
正解とは、正しい解と書くが、では正しいとは何か?
それを理解するには、主語をつけてみれば良い。
「僕にとって(正しい)」
「あの人にとって(正しい)」
「この国にとって(正しい)」
「この星にとって(正しい)」
正解とは「どこかにあるものを見つける」のではなく、
「それが正しいと決める」ということだ。
すなわち、選択することであり、同時に、以外を捨てることに他ならない。
矛盾という言葉がある。
バカバカしい言葉だ。
最強の矛と盾が戦ったら、使い手の強さで決着することは明白だ。
矛と盾という道具が何するものかを考えず、点で物事を推し量ろうとする。矛と盾が何に使われるものか?それを考えれば自ずと思考は広がり、点は面に変わる。可能性はグラデーションのように無数に現れる。
自分が指し示した赤と違うからと言って、違う赤を選んだ他人を否定する必要などないのだ。赤を選べと言われた時、あなたと違う場所を指した人は、不正解なのか?
いわゆるデータ的に赤は、R255 B0 G0 と定義されているが、
そのデータは上の画像には含まれていない。
では、あなたが指したそれが、赤ではないのか?
しかし、それを選んだ、ということは、それ以外を捨てたというだけの話だ。違う場所を指した人は、あなたが捨てた可能性を拾っただけ。
正解とは選択すること。
選択とは選んだもの以外を捨てるということ。
それを理解せず、正解を探してはならない。
この世のどこにも正解など無いのだ。