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毎週noteを書いてみてわかったこと

プロ雑用です!
さぁいよいよ2024年も終わりますね。今年も色々あったよなぁ、という思いと、あっという間に過ぎてしまったなぁという両方の思いを持っている方も少なくないと思うのですが、今日は今年一年のチャレンジとして実施した、毎週noteについて感想を書いていきたいと思います。


なんでやろうと思ったのか?

まず、note自体は5年以上前からやってましたが、あまり本数は書いてませんでした。多くても一年に10本ぐらい。それもだいたい年末とかにまとめてバーっと書いてる感じ。元々Facebookだとかにもたまに長文投稿してたんですが、SNSでは長文はほとんど読まれないんだよな、ということもあってあんまり積極的にはやってませんでした。

アウトプットが足りてない危機感

世代的にはHTMLで自分のホームページ作ったり、BLOGで発信したりなど、インターネットで個人の考えや想いを発信するのが比較的慣れていたということもあって、媒体を変えながら色々と発信はしてきたほうだと思うのですが(それについてはこちらのnoteにまとめてます)、人生折り返し地点は回ってる年齢になってきたとき、自分の考えてることは他人の役に立つことも多いらしいということに気づいてきて、去年ぐらいから「noteを書かなあかん」という思いが沸々と湧いていました。が、忙しさにかまけて後回しに。

私をよく知る人は知っているのですが、基本的に私の行動の原点にあるのは「静かな怒り」です。喜びとか楽しさではなく、怒りです。それは特定の個人ではなく、社会とか仕組みに対する怒り。言い換えると「めんどくささ」。(私にとって「めんどくせぇ」は怒りの表現です)

それで、年月が経つごとに自分の中に怒りが溜まってきたんですね。何に対するかというと、自分に対する。「おまえ、自分が知ってるとかやってるだけでそれを人に伝えねぇのは怠慢やぞコラ」っていう怒り。まぁ、危機感とも言えるかも知れませんが、どっちかと言うと怒りです。

義を見てせざるは勇ゆう無きなり、ではないですが、人にアウトプットしたほうが良いよと口にしながら、忙しさを理由にやらない己に対して「このバカモンが!」という怒りが閾値を越えてきたんですね、ということを今これを書きながら理解しました。そうか、私は自分に怒ってたのか。一年越しの答え合わせ。

毎日はちょっと無理だったので

それで、実際には年明け前の年末からほぼ毎日更新がはじまってまして、それは2月いっぱいまで続きました。連続日数は記憶が確かなら13日ぐらいだったかな。(10を越えていることはnoteのバッヂでわかります)
一日以上空けずに投稿はしていまして、これは元々初めたときの目標の一つに「毎日投稿できるぐらい軽いネタを書く」「長文にならないようにまとめる力をつける」というのもあったからなのですが、まぁ、それが難しかった。一回のnoteを2000字程度にまとめることを心がけてましたが、書き始めると越えちゃうんだこれが。なので、途中から1万字になりそうなのはあらかじめ分けて書くことにしました。そのほうが読む方も負担が少なかろうということもあり。

あと、悪い癖(とばかりは言えないけれど)というかなんというか、書いてる途中に言いたいことが変わってる…というかもっと本質的に書きたかったことが見つかってリテイクするということもしばしば起こりました。これはアウトプットすることの利点でもあるので、それは良いのだけど、リテイクすると時間がかかるのは当然なので、サクサクとはいかない。そもそも、私の特性的に薄くてネタがないものが書けんのですよ…書いてて「で、だから?」って思っちゃうんですよね。ここらへんはわたしのストレングスファインダーの上位3つ(原点思考、内省、最上志向)らしいといえばらしい…

無事に一年終えて

ということで、3月からは毎週に切り替えて一年間走ってきたわけです。このnoteが2024年の97番目の投稿になります。年内に100本行く予定で下書きを溜めてますが、約100本やってみてたくさんの学びがありました。それを3つにまとめると以下のようなことが言えます。まぁ全部当たり前といえば当たり前なのですが。

  1. 習慣化するのは大変なのに、習慣はすぐ消える

  2. 時間はトレードオフ。何かを成すには何かを犠牲にせねばならぬ

  3. 良質なアウトプットは良質なインプットから

やってみてわかったこと1
習慣化するのは大変なのに、習慣はすぐ消える

ダイエットでも筋トレでもなんでも良いんですが、何事も習慣化が物事の習熟には必要です。しかし、習慣化したからといって、油断するとその習慣は霧散していきます。特に、肉体的・心理的・認知的に負荷が高いことは習慣化までに時間がかかるのに、消えてくスピードは大変なものです。

習慣化にはある程度の快楽が必要とも言われますが、noteでのアウトプットは自分にとってそれほど快楽にはなってません。バッヂとかは全然興味ないし、人からのいいねもそれほどモチベーションにはなりません。途中も結構危ういタイミングがありましたが、なんとか続けられました。しかし、これは2つ目にも通じるのですが、他に興味が移りつつある今、たぶん、続けないだろうなとは思います。あれだよ、便秘が解消した感じ()。

やってみてわかったこと2
時間はトレードオフ。何かを成すには何かを犠牲にせねばならぬ

こちらのnoteでも書きましたが、今年はとにかく読書が滞りがちでした。ウィッシュリストに読みたい本が加速的に溜まっていってます。ただでさえ積読も多いのに…そして趣味の撮影はほとんどできなかった。カメラを触らない期間が長くあり、腕も相当に落ちています。時間ってほんと有限でトレードオフよなぁと。

note一本書き上げるスピードは上がりました。
私のnoteは傾向が2種類あって、その時のインスピレーションでパッと書いたnoteと、深い長考をテキスト化しているnoteです。スピードが上がったのは前者。ぱっと思いついたものをそれなりにまとめる力は確実に上がったと思います。ですが、元々は深く思考するタイプで薄いネタを書けませんから、早く書き上げてたとてブラッシュアップや修正(果ては0から書き直し)で、結局、完成までには時間がそれなりに必要です。

これは訓練でどうにかなるものではなくて、私の特性ですから、あと100本書こうが1000本書こうが、5年や10年経っても基本的には変わらないと思います。先に書いた通り、便秘が解消した感覚なので、もう来年以降はここまで頻繁には書かないと思います。他のことやりたい!今年は未踏の水族館にぜんぜん行けてないんですよ。

やってみてわかったこと3
良質なアウトプットは良質なインプットから

これも至極当たり前の話ですが、良質なアウトプットを出そうと思ったら、良質なインプットというのは不可欠だということを、よくよく理解しました。言葉ではなく、心で理解した!です。

先ほど、私のnoteには、インスピレーションタイプと、熟考タイプの2種類の書き方があると書きました。

後者タイプのnoteのインプットは日常的なインプットの量、これまでの体験・経験、知識などの総量がものを言います。多種多様な情報とその取捨選択の果てに、出てくるのが後者タイプです。だいたい、シリーズ・続きものになっているnoteや、7000字を超えてるnoteはこれですね。(5000字ぐらいまでは勢いで書けることもわかりました)

前者タイプのnoteの良質なインプットとは、インスピレーション(閃き)をもたらす問題を発見したときです。こちらのタイプもそれまでのインプットの蓄積は重要ですが、そもそもの閃きがないとダメ。そしてひらめいた瞬間にnote書けないとダメ。旬を逃すとマジで書けないタイプのやつです。これ書き始めると、他のことそっちのけにしないとダメという欠点…

熟考型のnoteはアウトプットまでにかなり時間がかかりますから、毎日毎週を続けるなら、インスピレーション型も多く必要なのですけども、そうそう毎週毎日問題を見つけてそれに大して閃くことは無くてですね。割と苦し紛れのネタも多くありました。

つくづく私は熟考型だなぁと思い知った次第。

人間できることには限りがあるが

総論として、やってよかったのかどうかで言うと、やって良かったです。
人間、できることには限りがありますが、挑戦しなければできることは増えないというのも事実。全くの新しいことというのはハードルが高いので挑戦しづらいものですが、今やっている・できていることを広げるチャレンジはやりやすいです。

今後は続けない、と先ほど宣言しましたが、定期的にはnoteでのアウトプットもやっていく予定です。しかし、月イチとかは、逆に絶対続かないんだよなぁ。あー、月に何度かまとめて放出するか。まぁ、マイペースにぼちぼちやっていきますわ。

と、この程度の話も3500字超えるんだよな。
短い話はできねぇなと改めて思いましたまるw

ここまでお読みいただきありがとうございました。
それじゃ、また👋

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