目的という一語に込められたもの
プロ雑用です!
今日は連載中の記事を中断して別の話題です。
タイトルの通り目的という言葉について最近よく考えていること。
混在する様々な”目的”
「何事も目的が大事」という話を私はあちこちでしてますが、一方で「目的なんてなくてもいい!」という人もいます。これは実際のところ対立構造ではなく、尺の違いなんだよなと考えています。
表裏一体の”目的”と”手段”
例えば、旅行に行きたいと考えたとします。
まず、「行きたい場所」「何をしたいか」「どう移動するか」「何を食べたいか」「どう過ごしたいか」などを考えると思います。いずれの選択肢も、すべて目的になりえるものです。しかし、目的が多くなれば多くなるほど、その選択肢は狭まっていきます。そもそも「休みだから」という前提条件が先に来ていることもあるでしょう。前提条件といえば「予算」なども大事ですね。人によっては「お金を浪費すること」が目的になる場合もありますかね。
ここから一歩引いてみると、実はこれらの目的がWHYではなくHOW、すなわち手段になります。つまり、どこに行きたいか、何をしたいかではなく「何故旅行をしたいのか」ということを考えることが、実は旅行の目的なのです。そう考えると別に旅行という手段に拘る必要はないかもしれません。
仕事においてもこれはよく発生することで、新しいシステムやツールを使うことが目的になっており、「何故その仕事をするのか」という目的を忘れてしまうということは多々あります。
目的が手段化する、手段が目的になる、とよく言われるとおり、手段と目的は表裏一体なので逆転しやすい関係と捉えることもできます。
目的と手段と目標
手段と同様、目的と混同されがちなものに「目標」があります。
例えば、旅行で言えば「この夏にハワイに10日間旅行に行く」という目的があるとすると「予算確保」「休暇確保」は目標です。目的のために目標があるのであり、主従関係で言えば、目的が主で目標は従になります。
では、スポーツの試合でいう「今日の試合で勝利する」は目的でしょうか?目標でしょうか?それとも手段でしょうか?
これはいずれも正解であると同時に不正解です。その理由は「どこから見るか」によって異なるからです。選手、監督、オーナー、ファン、あるいはそのスポーツの業界全体。立場と視座の違いによって、1試合の勝利の意味するところが変わってくるというのは理解できるのではないでしょうか。
選手にとってみれば、すべての試合は勝利したいはずです。負けても良い試合など一つもありません。監督もそう考えているでしょうが、しかし今日の勝利のために無理して選手を潰すのは得策とは言えません。ではオーナーは…、はたまた業界全体では…と考えるとその違いはわかるでしょう。
立場・視座の違いは、考えているスケールの違いでもあります。スケールとは時間軸と規模の違いです。異常気象が人間や動物にとっては異常でも、地球規模では異常でもなんでもしれない、ということ。
旅行で言えば「この夏にハワイに10日間旅行に行く」という目的は、毎年海外に行くという目的にとっては目標あるいは手段かもしれないし、毎年海外でリッチに過ごすという目的があるなら、そもそもハワイに行くという手段にこだわる必要はないわけです。
あなたの言う”目的”はどのスケールの”目的”なのか
視野が狭くなってくると目的が手段化しやすいし、視野を広げると目的は目標の一つになります。「全体」をどこに捉えるかによって、その最適解が異なってくるということですから、自分の考えている目的が、どこまでのスケールでの話をするかを考えることは、特に人と協力しなくてはならない仕事では特に重要です。あなたと別の人の意見が合わないとき、お互いの目的の捉え方が違う可能性もあるのです。
目的は一般的には英訳すると Purpose になります。目標は Goal です。しかしスケールを変えてみると、小さいスケールで見れば目的が Goal といえる場合もあります。スケールを大きくすると Vision(夢)、ToBe(どうなりたいか)、Will(理想)なども「目的」と訳しているかもしれません。cause(大義)やJustice(正義)も「目的」になりうるでしょう。
目的に限らず言葉の定義というのはひどく曖昧です。同じ言葉でも、その捉えかたの違いによって様々な違いが出てきますから、その言葉の裏にどんな意味を込めているのか認識を合わせるというのは非常に重要になります。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
次の話題でまたお会いしましょう。
それじゃ、また👋
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?