”評価”とは一体なんなのか(後編その4)
プロ雑用です。
評価に関する考察もこれで5回目。
今日は評価に重大な影響をおよぼす3つの認知バイアスのうちの
二番目「脳は、連想して”好き嫌い”を強化する」について。
”好き嫌い”は連想で強化される
無意識の連想ゲーム
都会人、というか現代人は、とかく虫が嫌いですね。
夏場の夜、通勤電車の中にコガネムシだとかが一匹が飛び込んできただけで、車内はパニックになります。
街中を高速で飛び回るホウジャク(蛾)、羽音が大きいクマバチ、いずれも人畜無害な虫ですが、ほとんどの人はこれらとスズメバチの区別がつきませんから、近づいてくるとパニックになります。
なぜパニックになるのかというと、一言でいうと「知らない」からです。
知らない=未知というのは、動物にとって「恐怖」の根源です。
一方、恐怖は、生き残るための必要な本能でもあります。
だから、古くは自分の不安を周りに投影し、幽霊や妖怪を想像し「知っているもの」として扱うことで恐怖を和らげました。天変地異などの災害を「神の怒り」などとすることで未知の恐怖を受け入れてきました。
つまりこれは、脳は見たこと感じたことを、自己が知っている情報で判断する癖があるということです。未知を既知へと変換することは、恐怖を和らげる効果がありますが、一方でこれは自動的に起こるため、制御することはできません。
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さて、ここまで読んだあなたは、この画像から、何を思い浮かべますか?
多くの人は瞬時にスズメバチなどの危険なハチを連想したのではないでしょうか。その凶悪な顔や毒性を連想した人も多いと思います。
それは、最初にこの画像を示したすぐあとにスズメバチの話をしたからです。
画像のあとに続く話が、たとえば野球の話であったなら、阪神タイガースを連想する人が多かったかもしれませんし、動物の話をしていたらトラを連想していた人が多かったはずです。また、はちみつの話をしていたら、ミツバチを思い浮かべた人もいたかもしれません。
論理思考はいつも遅刻してくる
これは連想活性化とよばれる脳の機能に由来します。
人が何かに遭遇したり問われたりしたとき、関連する情報を自動的に引っ張り出します。連想記憶ともよばれるそれは「確証バイアス」を助長することが知られています。
これは、最初に反応した好き嫌いの感情を、論理思考が後から強化する、ということです。たとえば、メロンが好きな人は、他人に「メロンが美味しい理由を教えてください」と問われると、その理由が瞬間的にさまざまに思い浮かびますが、「メロンがまずい理由を教えてください」と言われても、思い浮かびません(時間をかければ思い浮かびますが、好きな理由ほど数は思いつきません)。
これは、その人が「メロンが好き」という感情が先にあり、論理思考がそれを補助して肯定的な理由を考えるからです。
好き嫌いという感情から始まる判断は、論理思考によって強化されることで、脳の中で積極的な辻褄あわせが行われるのです。
脳の論理機能が、感情を承認すれば、それは確信的な意思となります。一連のプロセスは自動的に行われ、努力は一切必要ありません。むしろ果敢に努力しなければこの自動化を防ぐことは困難なのです(そして完全防ぐことは不可能です)。
好ましい人は優秀だし、嫌いな人は無能
「字が綺麗な人は人格者/頭がよい/礼儀正しい」という話を聞いたことはありませんか?根拠は全くありませんが、最もらしく語られています。
要するにこれも、汚い字よりも、きれいな字のほうが多くの人には好ましいので、それを書いた人も好ましいと思い込んでしまう、という確証バイアスのことです。
地頭という言葉も同様です。
これは、対象となる個人の考えや性格言動を、自分が好ましいかそうでないかだけで判断しているに過ぎないのですが、そこに最もらしい情報を追加することで、なんとなくそれっぽくできたものです。定義不明確な言葉ですから、答える人によってその内容には大きなばらつきがあります。だから本来は何の根拠にもならないのです。
…さて、これらの話を信じている人の中で思慮深いあなたは、それぞれの文章を読んだとほぼ同時に「そんなはずはない」という考えが、無意識に、そして自動的に頭に思い浮かんだのではありませんか?
それが何よりの証拠です。
そして、ここで強化された好き嫌いは、3つ目の「脳は、好き嫌いを、良し悪しに変える」によって評価として確定することになります。
今日はここまで。
それじゃ、また👋