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自分を傷つけることをやめよう

プロ雑用です!
世の中見渡してみると、みなさん自傷行為が大好きだなと感じています。
今日はそんな話について。


謙遜と卑下は似てるようで全然違う

人に褒められても何をしても、最後に自分を貶めないと気が済まない人がいます。謙遜や控えめと混同されがちですが、実際のところ全く異なります。
まず言葉の意味を調べてみましょう。

けん‐そん【謙遜】
[名・形動](スル)
へりくだること。控え目な態度をとること。
また、そのさま。「—して何も語らない」
「(小サナ花ハ)きわめて—な、有るか無きかのものである」
〈寅彦・病室の花〉

デジタル大辞泉(小学館)

ひ‐げ【卑下】 の解説
[名・形動](スル)
自分を劣ったものとしていやしめること。へりくだること。
 「そんなに—する必要はない」
いやしめて見下すこと。また、そのさま。

デジタル大辞泉(小学館)

どちらにも「へりくだる」とありますが、違いとしては
・謙遜➜控え目な態度をとること
・卑下➜自分を劣ったものとして卑しめること
の部分です。
謙遜の控え目な態度には、出しゃばらない、節度を持った態度というイメージがあります。つまり、自分を過剰に高い場所に置かずフラットな姿勢。
逆に卑下の意味には、卑しめるという言葉通り、過剰なへりくだりのイメージが思い浮かびます。つまり自分を過剰に下に置く姿勢。

卑下は「自分をダメなやつだと決めつけて自ら叩く自傷行為」ともいえそうです。要するに「心のリストカット」。自らを、無意識に卑下する人は、心のリストカットが止められない人なのです。

どういう特徴があるのか、私が観察している範囲に限られますがいくつかあげていきましょう。

話の最後に自分をおとしめる

自分が褒められても他人を褒めた話でも、最後に必ず自分を落とします。
「それに比べてわたしは××で…」など。他者を褒めることと自分の話は直接的な関連がありません。それに気づかず、とにかく他人の良いところと自分のダメなところを比較し、それを結びの言葉に使います。

他人の言葉を常に否定する

褒められれば「いやそんなことは無くて」「自分はまだまだで」と言う人は多いのですが、これって冷静に考えるとめちゃくちゃ失礼です。賞賛の言葉を受け止めず、否定しています。本人は無意識で、なんなら謙遜だと思っていますが、これは明確に「他人の意見を拒絶している」のです。なぜなら自分を劣った人間だと卑しめているから、他人に褒められても自分にはふさわしくないと決めつけているのです。

どんなことでも最初にいいわけから入る

上の否定語に続くのが「いいわけ」です。褒めても、注意しても、最初に「でも」などの否定し、次に「いいわけ」が続きます。
特に自分がミスやトラブルを起こしたときは、最初にいいわけが始まり、その内容は「自分に責任はないこと」を強調する内容で、遠回しに他者のせいにしています。

チャレンジを過剰に恐れる

新しいことに対する恐れというのは誰にでも多少はありますが、自分を卑下する人はこれが過剰です。一度チャレンジすると決めたことでも、直前に逃げ出すこともよくあります。これも「どうせ失敗する」という意識が強く働くためです。あるいは「自分の能力のなさが露見することが怖い」と、自分のことを他人にあまり見せたくないという不安が原因です。

相対の否定から、絶対の承認へ

なぜ、そんな行動をしてしまうのか。
多くの場合は無自覚ですが、その根本は自己肯定感の低さです。インポスター症候群というものがありますが、まさに自分を卑下する人はこの内容にピタリと当てはまります。

自己否定するのは、自分しか見ていないから

自己を低く置くこと、自分がいかにダメなのかを周囲に主張することで、期待されないようにして、低い場所にいることによって心の安寧を図ろうとするのです。

しかしそれは結局のところ「自分のことしか見ていない」のです。

どんな人間でもその能力には凸凹があるのが当たり前ですが、自分を卑下する人は、自分の凹にだけ目線が向いているのです。他人のことは実は見えていません。

「うらやましい」は心の病

古い日本語で、のことを「うら」と言うそうです。そしてやましい病むと同じ語源を持ちます。つまり他者を「うらやましい」と思うのは「心が病んでいる」というサインなのです。うらやましい、とつい思ってしまう人は、それだけ精神的に病んでいるということです。

だからこそ、自傷行為に走ります。病んだ心が、自分を卑下させるのです。

不必要に他人との比較、相対評価をすることで、自分のできないことばかりに目を向けている状態。傷口の痛みについ意識が向いてしまうように、病んでいる自分の心にばかり意識が向いているのです。

比べるのは、他人ではなく昨日の自分

他人と比較することで疲弊するのであれば、他人を見なければ良い…というのは、言うほど自己否定する人たちにとって簡単なことではないようです。

病気の人に、病気を気にせず頑張ろう!という人はいません。それと同じで、自分を卑下する人に、もっと前向きになろうと言っても通じることはありません。

ではどうすればいいのか。比較してしまうのであれば、その対象を変えるという方法です。対象を他人ではなく、昨日の自分にすること。昨日でなくても、さっきでも去年でも何でもいいのです。過去の自分と比較することで、何ができるようになったのかを見れば良い、ということです。

人間は、今を生きるものです。過去はすでに死んでいて、未来はまだ生まれていません。だから、比較するのは常に過去の自分です。子供の頃できなかったことでも、今はできるようになっていることがあるはず。そうすることで、他者との相対比較から抜け出し、自分自身との絶対比較に切り替えていくことで、徐々にうらやむことから抜け出せるようになります。

そもそも、うらやましい、は褒め言葉ではありません。他人はその言葉をあなたからもらっても困惑するだけですからね。そのことに気づかないことが、すでに病んでいるのです。

今日はそんなことで。
それじゃ、また👋

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