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子どもは成長すると大人になるのか?
プロ雑用です!
今日は人の成長に関して。
成人は大人か?
成人の日は、今は1月の第2月曜日ですが、1999年までは1月15日に固定されていました。15日の理由は、江戸時代に「元服の儀を新年最初の満月に行う風習があった」ためという説があります。ここで言う1月15日は、旧暦のため今の暦とは異なることは明記しておきます。
で、1月15日というは、旧暦の小正月の終わりで、江戸時代ではこの日までが公儀の仕事はお休みだったそうです。加えて、誕生日という習慣は近年のものなので、戦前まで、年齢は「正月」に数えるのが一般的だったようです(数え年)。なので、正月に齢を重ね、正月明けに元服するのはそれなりの意味があったのでしょう。
成人式は1948年から始まった近年の風習で、祝日法では「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」と定められています。
大人とは何か?
イニシエーションとしての成人
元服は男性だけのイメージを持っていましたが、調べると男女ともに行うものだったようです。いずれにしても現在のように決まったタイミングではなく、その家などの事情によって異なっていたのは共通のようです。わかりやすいのは戦国時代の、戦場には元服しないと出れないよ、女性は元服してないと結婚できないというのでしょうか。
いずれにせよ、元服も成人の日も、区切りの儀式(イニシエーション)であって、脱皮のように突然何かが変わるわけではありません。世の中から大人として認められる、というより大人として扱われるようになる、というのが正しい認識のような気がします。年齢、体格、性成熟、精神性などは、その判断基準の参考情報として扱われていたのでしょう。
定量的な基準と、定性的な基準
年齢、体格や性成熟については客観的な事実として取り扱うことが(ある程度は)可能なので、参考情報として大いに利用できるでしょうが、では精神性はどのように判断すべきか?
辞書や様々なものを確認すると、概ね以下のような趣旨が書いてあります。
考え方や態度が十分に成熟している
思慮分別がある
長期的・大局的に物事を捉えられること
理性的な判断ができること
精神的に自立していること
金銭的に自立し生活できていること
責任感があること
一般常識を持っている
うーん、まぁ、そらそうなんだろうけど、子どもでもその素養を十分に持っている人もいれば、いい年齢なのに全くできていない人もいるわけです。また、障害によって不能な場合もあるでしょう。
大人かどうかは、社会が認めるかどうか、その社会というのはいわば「すでに成人したものたちの支配する社会」ともいえます。そしてその成人は、あくまでその社会の基準による、というひどく曖昧なものだということはわかります。
教育は人を成人させるか
先に挙げた1〜8は、例えば犯罪者には適用できるでしょうか?また、適用できなかったからといって、社会は成人を取り消す、ということはしませんし、おそらくできません。結婚などの社会契約ではなく、成人はイニシエーションなので、性質としては不可逆なのですね。
では、何が人を精神的に大人にするのか?それは教育なのでしょうか。確かに、1〜8の項目は、ほとんどが教育によってクリアできることかもしれません。では、教育が未熟なコミュニティや時代の大人は、教育が十分な社会の大人と、同じ大人といえるのか。後者から見ると、前者の大人は、大人とは言えないと判断されるかもしれませんが、だからといって大人であることを完全に否定することはできないと考えられます。
成人とは未来の守護者
成人は、人に成る、とあり、すなわち子とは人にあらず…というより、子どもは弱い存在、守ってやらねばならない存在で、そういう意味では人未満と考えられていたのでしょう。
明治のころまで「7歳までは神のうち」という言葉がありました。これは子どもの死亡率の高さを表したもので、10人中7人しか7歳以上になれないというデータもあるようです。
平均寿命はこの50年で倍になったと言われていますが、その一つの要因は、乳幼児の死亡率の低下です。(ほかは栄養状態の改善)
私の親の世代(70代)でも、兄弟姉妹が幼くして無くなったという人は大勢います。(私の両親はどちらも姉が一人亡くなっている)
つまり、裏を返せば、成人の儀式とは「よくぞ死なずに大きくなってくれた」という想いも強く含まれていたのでは無いかと思うのです。現代日本において子どもが大人になることは半ば当たり前になりつつあるので、そういう時代において、成人の儀式は意味を失いつつあるのでしょう。
人間以外の生物において、大人かどうかの基準は性成熟しかありません。子孫を増やせるかどうかということが最重要です。人間が社会的行動を行うようになったのは、おそらく30万年前ごろと言われていますが、その頃の死亡率はさらに高かったことは想像に難くありません。それなのに、人間は一度の出産は2人、ほとんどの場合は1人です。(動物は乳房の数が最大の出産数とされている)
このことから推察できるのは、人間は群れで子どもを守ってきた、育ててきたということ。そうだとすれば、大人・成人とは、子どもを守る存在だということです。それも、ほかの動物のように弱肉強食のような強いオスの子どもだけではなく、群れの中に生まれた子どもの多くは守る対象だったと考えられます。
すなわち、大人とは、成人とは、子どもを守るものなのではないでしょうか。子どもを守るとは、自分が死んだ後の未来を守るということです。未来を守るために今を生きるのが、大人という存在などでは無いか。
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今だけではなく、その先にある未来を考えて行動できるのが、大人と呼ばれる存在なのではないかと、私は考えるに至りました。
みなさんの中ではどういう存在が大人といえるのでしょうか。
当たり前の定義を考えるきっかけになるといいなと思います。
今回は以上です。
それじゃ、また👋