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難しく考えても、簡単に考えてもいけない

プロ雑用です!
毎日note(毎日とは以下略)をやるにあたり、年末にネタをメモしたんですが、今日まで一度も使ってません。メモなんだったんやw


今日は考え方について。

言語化は有効だが

言語化って特に最近のビジネスでは有効だとされてるし、とても大事なことですが、言語化することは、ある意味では言語化できないものをそぎ落とす行為でもあります。そういう意味で単純化と似ていますね。

言語化は、特に人に何かを伝えるときはやったほうがいいですが、言語化によって言外に何がそぎ落とされてしまうかは、意識する必要があると考えます。

言語というのは、機能としてはかなり遅く発展したものです。今でもノンバーバルコミュニケーションのほうが重要とよく言われますが、それはつまり言葉というのは、いまだ不完全とも言えるでしょう。

よく「話せばわかる!」と言われますが、それは正直なかなか難しい。だからこそ「何をどのように言語化」するかは熟慮が必要です。

具体化と抽象化

物事を言語化するにあたって、具体化と抽象化は必須です。言語化が苦手は人は、これができていないことが多い。
具体的というのはミクロ、抽象化はマクロの視点。
抽象度が高いとどんなことにも当てはまるが、一方でふわっとしすぎる。具体度が高いとピンポイントで当てはまるが、それ以外には全く当てはまりません。、どちらも極端が過ぎると伝わらない言葉になってしまいます。

具体化と抽象化を使うコツとしては、例え話を考えてみることです。例えば野球が詳しい人に別の事象を説明するときには、野球に例えて説明して伝えたりなど、例え話が上手な人はこの具体と抽象の往復が上手です。

一方で、先述のとおり、野球に例えることで、元の事象からは多少なりとも変化しています。それは、たとえ話をすることによって消えてしまうものがあるということ。もし、その消えてしまったものが、本質的に重要なものであれば、そのたとえ話をしたことによって、相手に誤解を与えている可能性も出てくるのです。

誰に向けて言語化するのか

結局、難しいものは難しいまま理解できる、専門的なことは専門的な知識で理解することが重要で、それ以外ではどれだけ似たような言い換えをしてみても、そのものドンピシャの説明にはならないのですね。

具体と抽象の往復は、やりすぎた結果、話題があさっての方向に飛んでいってしまうことがよくあります。たとえ話を繰り返すことで元の事象の理解から遠く離れていってしまう。具体と抽象の振り切ったところに答えがあるわけではなく、バランスを見ながら落とし所を探ることが必要です。

人はわからないことに強い不安を覚えます。人知を超えた現象や、今まで体験したことのない事象に遭遇すると、不安は恐怖へと容易に転化します。なので、物事を理解するための前提となる知識を学習していない人は、自分が「わかりやすい」結論や言論に飛びついてしまいます。これは今に始まったことでは無く、人類有史以前から繰り返されてきたことです。

すべての人に具体と抽象、そして学習を促すことは難しいです。だから、言語化を行う際には、誰に向けての言語化なのかを考え、具体と抽象のバランスを考える必要があるのです。その人につたわる例え方、言葉の使い方というものを探すのが、言語化には非常に重要なのです。

単に言葉にするだけのことは言語化ではありません。
つたわって初めて言語化なのです。

そして、必ずしも言語化が言葉であるとは限りらない、ということも言語化を考えるときには大切です。
言語化の英訳はVerbalization。Verbalize=はっきり言う・叫ぶ、ということから考えると、そこには伝えたいことを正しく伝わるような形にするという意味が見えてきます。

物事を難しく考えても、簡単に考えてもいけない。きちんと自分の中にあるものを言語化しアウトプットすることで、何が理解できているか、あるいは理解できていないのか、それは誰につたわるか、伝えられるかを試行錯誤することが、言語化の大変なことであり、難しいところですね。

今日はここまで。
それじゃ、また👋

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