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JPOP人生ベスト50(1〜25位)

人生最高のJPOP50を選出しました。ついに後半戦です。もれなく全曲、無人島に持っていくこととなります。

25.ケツメイシ「さくら」(2005)

起承転結の枠組みをこれ以上なく正解的に用いた、美しい悲恋の物語。一級品のサビメロ、ただしそれが一度封印されるドラマチックな展開、そして曲の世界観を鮮やかに立体化するMV。音楽である以上に“物語”として美しく、聴き終えるたび、小説や映画を鑑賞した後のような余情に満たされる。ヒップホップ的サウンドでも、ここまで日本的な春感を描けたという事実は、後続に計り知れない影響を与えたはず。

24.平井大「Beautiful Journey」(2019)

平井大がこの位置なのは(自分の趣向的に)意外ではあるけど、まあ本当に魅せられた一曲。海外版シティポップ的な洒脱なサウンドと、夕暮れの海岸線というモチーフ。軽やかに描かれる夏の終焉は、それが軽やかであればあるほど、反転して何かの強がりにも思える。終わらないで欲しいと思った何かが、結局それを言えずに終わってしまう時、記憶による懐古地点としての美化が起こる訳だけど、ここで描かれる夏って、その手のノスタルジーを強く喚起させるんだよな。

23.ポルノグラフィティ「ミュージック・アワー」(2000)

濃淡でいえば、ここで描かれる夏はすごく濃い感じがする。「君が胸を焦がすから、夏が熱を帯びていく」というフレーズの、サビにしては、どこか遅延しながら伸びていく感じ。一気に上がりそうなのに、焦らされながら伸びていくこの感じは、夏を平易に、単純に捉えることを許してくれない。まだ走り回るぐらいしか脳のなかった12歳の俺には、この「焦がされる、焦らされる」みたいな濃淡、感覚的な奥行きが新しかった記憶がある。

22.浜田省吾「悲しみは雪のように」(1981)

小6の冬、引っ越しを控えた12月くらいから色んな不安で寝付けなくなった時期があって、その時によく聴いてた曲。偶然見つけた「ドラマ主題歌名作選!」みたいなオムニバスアルバムを漁ってた中で出会った。今の時代からすれば随分と渋い世界観というか、なよなよした男性像がとても受容されない時代の雰囲気を感じるけど、一方で、そういう揺るぎない強さみたいなものが、いろんな不安の、ある種の拠り所になっていた感じがある。

21.RIP SLYME「STAIRS」(2009)

人生にまだ何のストレスも負荷もなかった頃の、無力でいて純粋な世界の見え方が思い出される感じがある。もちろんそれは幼少期、この曲が頻繁に車で流れていたことも大きいけど、同時にこの曲の質の高さをも物語っている訳で。音楽的に振り返っても、独自のヒップホップを貫きながら、それを大衆のど真ん中に刺し続けていたのは流石すぎるし、このムードを伴いながら上昇していくアルペジオは、いつまで経っても褪せない。

20.松任谷由実「やさしさに包まれたなら」 (1994)

冒頭のワンフレーズが放つ、文学としての完成度。たしかに小さい頃には(スピリチュアル的な意味ではなく)神様がいて、でもたしかにいたんだけど、それはここで歌われなかったら、そういう把握にはならなかった気がするというか。輪郭の与えられないはずだった感覚を、そっと掬い上げ、象ってくれたこと。今言葉で表せてるものだけが、存在の全てではなくて、だからこそ文学的な営為が続いていく必要があるという事実。文章を書く時の基礎的な指針に、このワンフレーズは常にある気がする。

19.Chara「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」(1996)

電子化される以前の音楽では、Charaの歌声は拾えなかったわけで、この曲には、そういうテクノロジーとポップスの長い歴史の、ある種の到達点をも感じさせる雰囲気がある。小林武史プロデュースの歴代作品の中でも、明らかな異作であり、かつ頭抜けて名作。か弱さゆえに、鼓膜の震えは繊細だけれども、一方でその声には、確かな力強さや生き様が刻まれていて、声量以上に確実に、様々な予感や葛藤を俺たちに想像させる力がある。

18.ユニコーン「Sugar Boy」 (1988)

日本のバンドブームを牽引したユニコーンの名作。疾走感・クールを両立していながら、一方で民生節とも言えるスタイルは既に確立されまくっている。青臭いことはいわないし、定番めいたことも言わないし、「解釈はお前が好きにしろ」とでも言うような、ギリギリの距離感。押し付けがましくもなければ、説得的でもないけれど、それでも訳もなく惹き寄せられてしまう、抜群のポップセンス。メロディ・歌詞ともに、全てがど真ん中。

17.黒夢「BEAMS」(1995)

圧倒的カリスマ。90sビジュアル系を先導しつつ、一方であえてアーティスト名は漢字にするなど、独自の美学を貫き抜いた暗夢。衣装やMVは今見ても洒脱でセンスに溢れている一方、そこで綴られる言葉は、どこか思春期的な青い焦燥の残滓をも感じさせる。彼らの音楽を聴いたとき、人生で初めてセンスで切り付けられた感じがしたというか、ある種斜めから、軽やかに問題を乗りこなすことも大切だと、勝手に気付かされた感じがあった。

16.サカナクション「アルクアラウンド」(2010)

成功や失敗といった客観的な評価とは無関係に、常に報われない感覚や生きていくことへの葛藤から抜けられない人生が彼にはあって、当然に答えなんてないから、そこではただただもがき苦しむしかない。でもそんな風にもがいている姿をも晒け出し続ける、そういう表現者としての偽りのないリアリティが山口一郎、ひいてはサカナクションの音楽にはあって、その真剣で切実な様に、俺たちは心から見せられてしまう訳で。自分とは何か、人生とは何か、という本当は考えなくてもいいような問題に直面した時、彼らの音楽はあまりにもリアルに響く。

15.flipper's guitar「3 a.m. op / 午前3時オプ」(1993)

至高のポップスター小沢健二と、サブカルの奇才小山田圭吾の伝説的ユニットによる名作。無限の教養に基づき、異国の音楽を縦横無尽に引用し、好き勝手再解釈しては、国内中をいとも簡単に虜にしてしまった二人。それはセンスであり、遊びであり、さらには「ついて来れる?」とでもいうような、知的な挑発にさえ感じられる。着実に知識を積み上げては真っ当にアウトプットするしかなかった受験期、偶然出会ったこの曲に、知識があればどんな風にだって面白くなれる、とでもいうような、開眼的なアドバイスを貰った感じがある。

14. 新東京「ショートショート」(2022)

現代は、どこにいてもインターネットを通じて東京的な情報や感覚をインストールできる時代ではあるけど、一方でそれは結局、机上の話なんだろうなとも感じる。新東京と出会った時ほどそれと向き合わされたことはないし、上京して一年、彼らのライブに行けるようになった今では、尚更そう思う。結局、リアルに触れて、コミュニケーションを取って、乗りこなして、内包していかないと、文化は上手く体内に流れ込まないというか、洗練には限界があるというか。本曲は、感覚的に卓越された「東京」を纏う彼らの、頭抜けて技巧的で、キャッチーな一曲。2022年の12月にリリースされたのに、その年一番聴いた曲になった。

13.小田和正「hello hello」(2011)

ほとんど合唱曲を聴いているに等しい崇高性。天使のように、というのはありふれた比喩だけれど、彼の声には、それくらい澄み渡った純度がある。名曲が多すぎて迷ったけど、この曲は昔から好きでよく聴いてる曲。ただの思い込みだと分かってはいるけど、彼の声を聴くとき、視界が洗われる感じがするというか、いろんなしがらみやシステムから解放されて、どこか純粋に戻れるような感じがある。別に病んでなくても、悩んでなくても、案外誰もが疲弊してる訳で、ふと聴こえた彼の声に、今も誰かが洗われているんだろうなと。(動画なかったので別の曲です)

12.羊文学「Step」(2017)

寂しさと報われなさと、それでも生きていくしかないという、諦念から無理やり反転させたような前向きさ。彼女たちの音楽には、根明でないながらも、起き上がる意欲だけは決して捨てないという、意地にも似た決意が感じられる。怠惰にループする、いかにも報われなさそうなアルペジオと、StepできていそうもないのにStepと題してしまう宿命。この曲を聴くと、簡単に諦めたり、死んだりしないで、都度否応なく生じる煩悶とただただ向き合っていくしかないんだと、前向きに悟れるような感じがある。

11.Perfume「シークレットシークレット」(2012)

ループを多投したサウンドがもらたす「エンドレス」な心象、いつまで経っても変化がなくて、一向に真実が見えないその「シークレット」な感じを、歌詞よりも前にサウンドで表現しているのがすごい。中田さんの恐ろしい技術というか、何かをアウトプットするときに、言葉と音とリズムが、多分一体化して出てくるんだろうなという、そんな共感覚味がある。00年代後半以降、物凄く先駆的で高度なことを、これだけキャッチーに、誰にでも分かるように表現し続けたセンスと継続力とアイデア力…もう本当に凄いの一言だなと。

10.坂本龍一「戦場のメリークリスマス」(1983)

JPOPの定義とかいう議論はもはや不毛であって、現代日本音楽の最高傑作を、黙って享受する以外に選択肢がない。ストリングスを絡めたバージョンももちろん素敵だけど、大前提、ピアノ単体でここまで崇高な世界観を描けることに、デジタル化以前の、クラシカルな音楽の本領を目の当たりにしてしまうというか、本当に感服してしまう。映画の終盤、北野武の「メリークリスマス、ミスターローレンス」というセリフの後に、この崇高なフレーズが降りてくる瞬間の美しさ。人間という、芸術を享受できる生き物に生まれて本当によかったなと感じる。

9.小沢健二「ある光」(1997)

こんな傑作が作れてしまう脳は、あるいはその人生とは、どんな風に世界を把握しているのだろうと不意に想像してみる。もちろん、凡人には気づき得ない様々な美しさや煌めきを発見できる一方、引き換えに、俺たちには分かり得ない葛藤、あるいは生きにくさにも満ちているのだろうと…まあそれくらいは容易に想像できる。でも逆にいえば、たったその程度のことしか、察することができない。全く飾らない普遍的なサウンドの中に溢れる、これほどの文学性、いやもっと凡人めいていえば「天才性」。とはいえこの曲は、初めから絶対に追いつけないことが確定しているのに、同時にすごく距離が近くもあって、なんかこう、天才が屈伸してこちらに寄り添ってくれてるような印象がある。

8.aiko「milk」(2009)

明るいのに落ち込んでるし、落ち込んでるのに明るいから、なんというかaikoはすごく「健康的な」恋愛をしているんだと思う。もちろん危うさを見せる時もあるけど、それは現代が大好きなすぐ「死を匂わせる」タイプではないというか。死みたいな短絡な逃避に走らずに、人生というスケールを受け止めて、長生きを見据えた上で、現在の恋愛を捉えている感じが、とにかく実直で好感が持てる。「milk」という題材だけで、ここまで世界を広げられるのは、それだけ日常を具に捉えて、かけがえなく生きているからなんだろうなと。

7.カルロス・トシキ&オメガトライブ「アクアマリンのままでいて」(1998)

名作シティーポップ、というには知られていないけれど、華美で、洒脱で、当時のことは知らないけれど懐かしい。「アクアマリン」というモチーフから想起される、旧来の商業施設感や、鮮やかなブルーのイメージ。記号性に満ちた、かつての都会の情景を幻想させられるけど、勿論そんなものは実在しないし、俺たちの単なる妄想でしかない。近年のシティポップ現象は全て、こうした「架空都市東京」の集団幻視だったとも言われているけど、透明感溢れるハイトーンに乗せて「アクアマリンのままでいて」と歌われると、知りもしないアクアマリンが、やっぱりなんか懐かしくなるんだよな。

6.Mr.Children「pieces」(2012)

報われないまま潰えた全てに、その現世での抗いの全てに寄り添うような、壮大で崇高な一曲。魅力は圧倒的にタメのあるサビ。壮大なスケールを見せながらも、サビがずっと停滞してて、前に進んでくれない。何度も試みても、上手く軌道に乗れない感じを、残酷なまでに痛切に描き出してくれる。救われなかった全てを、気づかれなかった苦しみを、ありのまま、代叫してくれている感じがある。
ミスチルは名曲が多すぎて、本当に一曲にするのが難しすぎた。列挙しとくと、エソラ、and I love you、innocent world、distance、旅立ちの唄、僕らの音……など無数に候補はあったんだけど、まあ無理に決めるなら、やっぱりこの曲かなと。

5.松たか子「明日、春が来たら」(1997)

何かを「祈る」という行為は、それが細やかであればあるほど、実際にはすごく切実な期待に満ちている訳で。「明日、春がきたら」という、気弱な期待の裏では、少しでも報われたい、幸せに恵まれたいという実直で、切実な思いが隠れている気がする。明示的に何かを宣言する強さはないけど、それでも漠然とそれを信じていたいという繊細さ、心の機敏は、一言でいうならやっぱり「春」であって…春になると、世の中が少しだけ優しく感じられるのは、誰もがそういう感情を経てきたからなのかもなと。

4.相対性理論「救心」(2013)

日本の音楽界において、これほど「早過ぎた」と表現できるアーティストはいない。TikTokを象徴として今やあらゆる場所で、「相対性理論的な」世界観の楽曲は溢れているけど、理論のデビューは2007年、もう既に17年が経過している。自分は2015年、14歳の頃に理論と出会ったけど、この細々としたアニメっぽいボーカル、キャッチーに全振りしたようなメロディ、そして意味不明な歌詞…10年前は異端でしかなかった全てが新しくて、即座にファンになった。その後ひたすら周りに勧めたけど誰もファンになってくれず…今では自分の先見性を信じさせてくれる、ありがたい存在。


3.キリンジ「グッデイ・グッバイ」(2000)

シカゴの「Saturday in the Park」を彷彿とさせる軽快なピアノと、一方で歌詞は00s前後の洒落た東京的世界観という、この多国籍感。ハイセンスすぎて、まあもう一発で心を掴まれてしまった。昼下がりの明るい都会で、何かを期待しながら路地を行く時の、あの風通しの良さ、心弾む感じが、ピアノの旋律に乗せられて軽やかに描かれる。村上春樹の、あの舞台は東京だけど、今ひとつどこの国なのかわからない感じを、この曲からは際立って感じるというか、なんかこう色んなインスピレーションが掻き立てられる感じがある。名作エイリアンズと悩んだけど、個人的にはやっぱりこっちかなと。

2.宇多田ヒカル「traveling」(2001)

いつ違法化されてもおかしくないほどの中毒性に満ちた、許されたドラッグみたいな一曲。サウンドは常に「ループ」しているのに、歌詞は“traveling”、つまり「一回性」のことを歌っている。この「ループ」と「一回性」の矛盾こそ、本曲の究極的な魅力。つまりこの矛盾とは「一回きりの現実逃避とわかっているけど、終わらないで欲しい」という痛切な願望であって、これをサウンドと言葉で完璧に表現している。さらに17歳、帰国子女にも関わらず、あまりに鮮やかな平家物語からの引用。「風の前の塵に同じ」「春の夢の如し」これもやっぱり「盛者必衰」、つまりは永遠なんてないという諦念、「一回性」であって、でもやっぱり終わらないでほしいから、最後の最後まで、あのイントロが「ループ」する。「一回性」と「ループ」の矛盾、相反するがゆえの、致死量のエネルギー。天才でしかない、本当に。ドラッグ、麻薬、なんでもいいけど、JPOP史上、最高クオリティの一曲。

1.スピッツ「ロビンソン」(1995)

12歳の時にこの曲と出会い、その瞬間から、誇張じゃなくモノの見え方が変わったというか、それまで外部として流れていくだけだった世界に、恣意であれ「意味」が見出せること、そういう芸術的な営為・感覚を知った、1ページ目的な瞬間が訪れた。世界を意味的に把握すること、それは、実際には無機質で無意味な俺たちの人生に、あえてストーリー、物語付けを試みることであって、文学であれ音楽であれ、あらゆる芸術に求められるその感性が、その日を境に、明確に始まった感じがある。人生の全瞬間、全フェーズ、全喜怒哀楽がこの曲とともにあったと言えるくらい、重要で崇高であまりにも存在違いな一曲。余命の限り、この地位は永遠に不動です。


以上、全50曲でした。全部で10000文字以上と終わってみればだいぶ加熱してしまいましたが、走り書きの感想文にお付き合い頂き、本当にありがとうございました!


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