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似てる国旗がとても多い理由

今回は、世界中にある、国旗の類似性の話。

アフリカの国々の国旗を見てほしい。

似ている……。

いわゆるアフリカン・カラーは、自分に、イメージとして浸透していた。各国旗も、似ていると把握しているはずだった。それなのに。改めて見てみて。ここまで似ているのかと驚いた。

エチオピアの国旗

1896年、エチオピアは、イタリアの植民地化から自国を守りぬいた。すごいことだ。エチオピアの人々は、とても強いのだろう。そして、緑・黄・赤の国旗が作られた。

緑 = アフリカの農業
黄 = アフリカの富
赤 = 植民地主義との戦いで流れたアフリカの人々の血
を表しているという。

国が、君主制 → 独裁制 → 議会制民主主義へと発展する中で、何度か変更はあったのだが。常に、この3色は残った。

エチオピアは、近代ヨーロッパの植民地主義に抵抗した唯一のアフリカ国家として、アフリカ全土から尊敬された。(実際はリベリアもなのだが……。インパクトの違いか何かか)

1957年。ガーナが、サハラ以南のアフリカでは初の、独立を果たした。ンクルマ初代首相兼大統領は、外国の占領に対するエチオピアの抵抗に、強く触発された。ガーナの国旗に、エチオピアと同じ3色を採用した。

やがて、他の独立したアフリカ諸国らも、これにならった。

アフリカの国旗が似ているのは、エチオピアへのリスペクトの表れであり、同時に、「協力して生きぬこう」という想いの可視化でもあるのだ。


北欧の国々は、左に寄った十字の国旗で、それぞれ似ている。「スカンジナビア・クロス」だ。

世界最古の国旗は、デンマークの国旗(ダンネブロと呼ばれる)だ。

十字架をモチーフにすること自体は、なんら珍しいことではなかった。しかし。それが「国の旗」と成った真相が、追えない。残っているのは、口伝や寓話レベル。発端は十字軍遠征にあったかーー?など。

デンマークの国旗 (世界最古の国旗)

今回のNoteは、この動画を観ておもしろかったのがきっかけで、書いたもの。

この動画内で、上記に関する説明もあった。けれど、私の今まで知っていた内容とも、新しく調べた内容とも異なった。なので紹介(サマリー)しない。
※私のリサーチとそこは違ったというだけで。とても良質なチャンネル!

14世紀に、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの統合である、カルマル同盟が創設された。欧州連合の前身ともいうべき連合だ。その後、スウェーデンがこの連合から離脱し、青と黄の十字の旗を作成した(1562年のこと)。

ノルウェーは、1814年までデンマークと同盟で、デンマークの国旗を使用していた。1814年からは、スウェーデン領となり、スウェーデンの国旗を使用した。1905年、最終的に独立。用意してあった独自の旗を、ノルウェー国旗とした。

アイスランドは、デンマークの一部だった。フィンランドは、スウェーデンの一部だった。独立する時に似た国旗を採用したことは、なんら不思議なことではない。

全体的に。スカンジナビアの結びつきが強く続くことを願ってのことと、思われる。


なぜ、スラブ諸国の国旗は似ているのか。

スラブ民族はヨーロッパ最大の民族集団だ。スカンジナビア・クロス同様、この配色は、スラブ民族が団結する意味あいをもつ。

かつて、オスマン帝国(トルコ系国家)は、バルカン半島の南スラブ人を支配した。オーストリア帝国(ゲルマン系国家)は、西スラブ人を支配した。

それらに抵抗するために、スラブ人の士気を高めようと、スラブの中で強いロシアの旗をまねたという。

1848年にプラハで開かれた「汎スラブ会議」で、「汎スラブ主義の旗」というものが制定された。スラブ民族の連隊や統一を確かめる目的。

以後、青・白・赤の配色は、汎スラブ色として認知される。

汎スラブ主義の旗
(ロシアの国旗と似ている理由は、書いた通り)

こちらは、汎アラブ色として知られる、赤・白・黒・緑の配色。中東の国々の国旗だ。また、各々とても似ている。

アラビア半島内のアラブ人といっても。文化や宗教の異なる、複数の部族が存在した。資源などを奪いあったりと、アラブ人どおしで争っていた。

しかし。イスラム教の誕生と発展のもと、アラブ人たちは結束した。

一丸となっても、オスマン帝国には勝てず。結局、支配されてしまった。だが。19世紀には、長く君臨したオスマン帝国も衰退を見せはじめ、崩壊した。

(冒頭に書いた強いエチオピアも、オスマン帝国には負けた歴史がある。今回の文章の中でも、複数の時と場所にオスマン帝国は登場する。→ 長く強い力だった)

その機をみて。アラブ人の国家を作りたいと、イスラム教ゆかりの色で旗を作成した。

4色の中の赤はオスマン帝国の色なのに、いいのか。いいのだ。支配階級はトルコ人でも、多民族国家であったため、アラブ人も実際多くいた国だった。よって、赤を導入することは、おかしいことではなかった。

ただ、三日月と星は使わない。それは、オスマン皇帝(支配階級)の伝説に由来するもので = トルコ人の伝説だからだ。こちらは、アラブ人と関係ない。

三日月と星がない国旗の国:アラブ人国家
三日月と星がある国旗の国:トルコ人国家
実際に、ほとんどこうである。

ウズベキスタンの国旗
アゼルバイジャンの国旗

国旗の話は、まわりを海に囲まれ・占領されたこともない日本からしたら、なかなか感覚のわかりづらい話だ。でも、だからこそ、知ると興味深い話なのだ。