穴守稲荷の必勝稲荷祭
本日5月7日はイナリワンの誕生日ということで、所縁のある穴守稲荷神社では必勝稲荷祭が催されました。天皇賞(春)で菱田が実力を発揮できるようにというお願いを叶えてもらっていたため、お礼も兼ねて行ってきました。
いつもより早めに到着するよう家を出たので、通勤ラッシュ近い時間で電車が混んでいました。穴守稲荷駅でも結構人が降りました。
「もしや皆必勝稲荷祭に行くのでは?さすがだなー」
と思っていたら、穴守稲荷の方向に右折する人はごく僅かでした。僅かしかいない必勝の人間になれる気がしましたが、平日なのに余裕で参拝できる点は逆に負けています。
必勝稲荷祭は普段と何が違うの?
御朱印
必勝稲荷祭の日限定で、特別御朱印が頒布されました。「必勝稲荷」の言葉にイナリワンの蹄鉄拓(縮小版)4つの御朱印がいただけます。
御朱印帳については、スタンプラリーで楽しそうだなと感じる一方で、参拝したという事実で満足したいわけではないという気持ちもあり、私は持っていませんでした。
だから、これをよい機会として御朱印帳を購入しました。
必勝稲荷祭
必勝稲荷祭は正午にありました。私は時間を知らずに朝来てしまったので、周囲を散策したりお昼ご飯を食べたりして時間を潰しました。
必勝稲荷祭は
「我が国の競馬界の発展と競走馬の健康・活躍を願う」
ものなので、まさに競馬のための催しです。
正午に参加者は幣殿にお通ししていただきました。私は幣殿に入ったのも本殿を拝観したのも初めてで、厳かな気持ちになりました。本殿の狐様のうちの1体の真正面に座ることとなり、常に目が合っていて
「あわわ、ハハー(敬服)」
みたいな心持ちでした。
必勝稲荷祭ではお願いをしてよいので、
「頑張ります。見守ってください」
とお伝えしました。
天皇賞(春)のお礼は、必勝稲荷祭前の参拝でしました。
最後にお神酒をいただき、御供物もいただきました。
外に出たら雨が止んで晴れ間も見えました。必勝稲荷祭の後だったので、必勝稲荷様のお力はすげえなあとしか思えませんでした。
ニセの罪悪感
必勝稲荷祭までの暇つぶしでは、木陰で雨宿りをする時間がありました。
社会人の時だったら、時間を無駄にしたくないという理由からきっと、雨宿りをしながら次の予定を考えていたはずです。
今日は、必勝稲荷祭まで待つという名目はありましたが、時間がもったいないという意識はなかったので、言葉通りの「雨宿り」ができました。ボーッと雨宿りをしながら水滴が落ちるのを眺めたり、真上の葉っぱにも隙間があるはずなのになぜここに水滴が全然落ちないのだろう?と不思議に感じたりしました。
一般的な社会人は平日に働きます。
平日に休めることは、たまにならばとても嬉しいですが、それがデフォルトになるとだんだんと気後れする気持ちが頭をもたげます。
「皆は頑張っているのに、自分は頑張っていなくてよいのだろうか」
という類いの気持ちです。以前競馬生活を試みた時にも感じました。
こういった気持ちを持つことは、ある意味では人間として望ましいと思います。けれども、言うなれば「ニセの罪悪感」です。
私は平日に休む分、皆がゆっくりする休日は数週続けて負けると終わるような勝負をしているのだから、別に暮らしっぷりに引け目を感じる必要はありません。しかし、一般から外れるという「怖さ」がそう感じさせます。
ギャンブルでも「ニセの罪悪感」があります。
たとえば、運に恵まれてめちゃめちゃ勝ちまくっている時にふと、
「これだけ勝ち続けたのだから、そろそろ負けるだろう」
と思うことです。このように思ってしまう人、少なくないですよね。せっかく勝ち続けているのに、そのことに負い目を感じてしまうのです。その結果、無意識に自らブレーキをかけて運を手放してしまいます。
「ニセの罪悪感」を持つことは、楽しみや流れを手放してしまうことにつながります。心に留めること自体は悪くないですが、そんなものに飲み込まれないで今を楽しめる強い心を養いたいですね!