わたしは光をにぎっている とジブリ
1年前くらいに本屋さんで取ってきた、ジブリ発行の「熱風」(206号)という小冊子の中に、「わたしは光をにぎっている」という映画の中村龍太郎監督のトークイベントの様子が収録されていて、その記事の内容が素晴らしくて「これは絶対にいい映画に違いない」と思っていた。
「熱風」の中で中川監督が「『となりのトトロ』という映画があるから社会が良くなったかといったら、そんなことはないかもしれないけれど、瀬戸際のところで犯罪者になったかもしれない人がならなかった、ということはあったかもしれない。つまり未病みたいなものですね。あの作品があったから自殺しないで生きていこうとか、物語をつくってやっていこうとか、そういう人がいたとしてもそれは当然、報道されません。でも、そういうことにこそ意味があるように感じます。」と言われていて、とても共感し、このような場で言語化してくれたことに感謝をした。
私は1982年生まれでトトロが公開されたときが6歳。まさにジブリ映画の初めての子どもたち世代の一人。映画館に見に行った記憶があるのは中学生の頃の「もののけ姫」のみだったけど、他の作品はテレビの金曜ロードショーをVHSに録画して何度も見ていた。
大人になってから、ふとした時に「私は『世界を美しい』と信じているんだ!」と気付いたことがある。両親のおかげ、小さい頃に読んだ童話や絵本の影響があると思う。そんな時、宮崎駿さんのインタビューをテレビで見て、「子どもたちに世界は美しいところだと思ってもらうために、映画を作っている」というようなことを言われていて、とても驚いてしまった。成功してますよ、駿さん…!!会ったこともない人から、こんなにたくさんの愛をいただいていたとは知らなかった。
私だけでなく、日本人の多くが、何度も何度も繰り返し放送される、金曜ロードショーのジブリ作品によって、良心や人の光の部分を見せられ、それを育て上げられているのだと思う。そんな、ジブリへの賛美が同じような気持ちであると感じた中川監督の作品を、見てみたいとずっと思っていた。そしてこの前、家の近くのツタヤで「わたしは光をにぎっている」を見つけて、家で鑑賞した。
映画のストーリーは、両親のいない主人公の澪が、東京に出てきて、父の友人の持つ銭湯の手伝いを始めるが、再開発で銭湯がなくなってしまう…という話。美しい音楽と風景、人情で彩られていた。途中、エチオピア料理のお店が出てきたことに、びっくりした。私は今エチオピアのアムハラ語講座をオンラインで受けているので、この偶然に驚いた。(「熱風」を読み返すとエチオピアの話も出ていたが、すっかり忘れていた。)この映画のラストが良かった。希望のような終わり方で、見る人の心にぽっと明かりをともすような結末。コミュニティを守ってきたおじさんが、コミュニティに救われて良かった。
久しぶりに銭湯に行きたいな。
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