「虹獣(コウジュウ)」1章:リルト 2話:好奇(コウキ)
共に過ごす事となったその人は、朝は薄っすらと明るくなってきた頃から起き、外に出て流しで顔を洗い、タオルを当てる様にして水を拭き取り、そのタオルを首にかけ、その日その日の風の囁き、香り、温もりを味わいながらゆっくりと体操をしていた。そして、上半身の衣服を脱ぎ首にかけたタオルを手に取り、そのタオルで身体を摩擦していた。
その様子を横で観ていたリルトは「何してるんだろ?」と不思議に思うと同時に「それって楽しいの?」とも思い一緒になってやってみる事にした。色々な風が遠くの地で見て来た事をお喋りしながら通り過ぎて行く。遠くの地で身体に染み付けてきた香りを辺りに振り撒きながら通り過ぎて行く。遠くの地で色々なものに触れてきた温もりを分け与えながら通り過ぎて行く。リルトはまるでそこに何かがいるかの様に、一匹で行ったり来たり飛び跳ねてみたりと遊んでいた。そして流しに行き水を被ろうとしたが、水が流れ出ていなかったので蛇口の先を覗いてみたり、舐めてみたり、それでも水が流れ出てこなかったのでその場でうろうろとし始めた。それに気付いたその人がにこやかな笑みを浮かべながら蛇口をひねった。ちょうどその時にリルトは再び蛇口の先を覗こうとした為、顔に水がぶつかってしまった。リルトは何が起こったのか分からず咄嗟に少し後ろに飛び退き頭を左右に回す様に振った。そして改めて蛇口から流れ出す水に、恐る恐る鼻の先をゆっくりと近づけ匂いを嗅ぎ出した。鼻先に水が軽く当たり抵抗を感じたリルトは、水が流れ落ちる下へと顔を近づけ、流しの中を流れる水を飲み出した。
身体の摩擦を終えたその人は蛇口をひねって水を止め、庭一面に育てている花の様子を眺めに行った。ひとつひとつの花々を、ゆっくりと、じっくりと眺めながら何かを小さく語りかけていた。そして水を飲んでいたリルトは水が止まってしまったので、その人に着いて行き何かの香りを感じ取り「何の匂いだろ?」と思いながら、この先に何があるのかと心をわくわくさせながら歩んでいた。そこには色々な花が様々な表情を浮かべていた。リルトは花々を視覚で捉えると同時に身体の中心から熱が湧き上がり、その熱が身体の全体へと広がっていき、その熱の振動で身体が震える感覚に襲われた。そしてその熱が身体の全体へと溜まり堰を切って溢れ出し、花々へと一点に注がれていった。リルトは花々へと近付き鼻を近づけ匂いをくまなく嗅ぎ出した。花々の香りが入り混じり、リルトの嗅覚を刺激してリルトの熱へと降り注ぎ、熱と交わり合ってリルトの体内へと深く入り込み新たな熱を生み出す。その熱が更なる振動を感じさせ更なる高揚を掻き立てリルトを誘引する……。
その人は家の周囲に置いてある容器に溜まった雨水を、空き缶と木の棒で作った手製の柄杓を使って花々の根本へと水をゆっくりと注いでいた。乾いた土に水が深く染み込んでいく。花々は潤いを得た喜びを、香りを発してその人に送り届けていた。その香りを嗅いでか嗅がずしてか、その人はただただ黙って微笑みを浮かべていた。そんな様子を見つめていたリルトは「それって楽しいの?」と、その人の真似をして水を前足ですくおうとしたが、すくう事が出来ず、横にあった手製の池に泳ぐ金魚に目移りし、その金魚を前足で追い掛け遊んでいた。夢中になってきたリルトは、勢い余って池の中に突っ込んでしまい、水の中へと潜ってしまった。リルトは一瞬、水の中から見る空や太陽の光景を眺めていたが、慌てて飛び出し身体の全体を勢いよく回転させ、身体についた水を振り払った。その振り払った水が花々や土へと降り注がれ染み渡り、香りを発し始めた花々を嗅覚で味わい、リルトは脳を心地よく酔わせていた……。
ふと、リルトは自分が空腹である事に気付いた。それと同時に一緒にいたはずの人がいつのまにかいなくなっている事に気付き「僕に何か喋りかけてたかも?」とリルトは思った。そして空腹である事は確かな事なので、その人の家の中へと小走りに戻って行った。家の中では丁度ご飯の支度が終わったところであり、リルトはその人の足へとしがみつき今にもよじ登らんばかりの催促をした。その人はリルトの行動に楽しさや嬉しさを感じ思わず笑みがこぼれ「懐かしいな」と一瞬、過去の想い出と重ね合わせていた。そんな内情にはお構いなしに「はやく!はやく!」とせがむリルト。そんなやり取りを一歩退きつつ、不安気に見つめる母犬の姿があった……。
ご飯を食べ終え一遊びし終わった頃、外は日差しが強くなり暑くなってきていた。その人は数日前に篩で石と分別した土を平らに延ばし、照り続ける日光へと当てていた。そして、昼食や室内での用事を済まし再び外へと出ると、どこからか沢山の土や石が入った容器を持って来た。その土や石を小さい容器ですくい、大きな容器の上に構えた篩の中に入れた。その人が篩を左右に振り出すと、粒状の土が下へと落ちていき、やがて篩の中で石達がコロコロと踊り出した。その石達に好奇心を抱き前足を伸ばして掴み取ろうとするリルト。そんなリルトの仕草を、その人は可愛らしく、そして面白く感じ眺めていたが、いつまでもそうしている訳にもいかず、石を横に置き新たに土と石を分別し出した。リルトは横に置かれた石を前足で弾き、弾かれた石を追い掛けてはまた弾きと遊んでいた。
日差しが弱まってきた頃、その人は一斗缶を使って落ち葉や枝、紙くずなどを燃やしていた。初めて見る火というものに好奇心を抱き、近付いて匂いを嗅いでみようとしたが、その人に制止されてしまった。制止されつつも火の方を眺めていたリルトは椅子の上に乗せられ、その上から火を眺め続けた。缶の中に入れたものが段々と黒く染まり、それを追うかの様に煌々と赤く染まり、そして下の方から白い物が切り離されていった。リルトは変わりゆく色の不思議さを、ただただ眺め続けていた。最後には全て灰の色へと変わり果て、何とも言えない喪失感の様なものを感じていた。
その人は燃やし終えた灰に蓋をして置いておき、昼前から日光で殺菌していた土と、数日前に燃やし終えた灰を混ぜ合わせていた。そうして出来た土を容器の中に入れ種を植える。新たな花を咲かせる為に……。
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