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「虹獣(コウジュウ)」1章:リルト 6話:陰実(インジツ)

 生きるという事は何かを食べ続ける。食べられたものは死ぬ…。食べ続けるものもいずれ死ぬ…。食べられても死ぬ、食べても死ぬ、食べなくても死ぬ…。いずれは死ぬ…。それが現実…。

 共に過ごす事となったその人は、名を「森 四八(もり しんぱち)」と言った。四八は若い頃に地方から東京へと夫婦で出稼ぎに来ていた。四八夫婦は東京に永住する考えで来ていたので東京内で住み易い土地を探していた。東京の都心部に近い方が働き口が多くある、しかし近過ぎると土地の価格が高い。ほど良い近さでほど良い価格で…ほど良い自然があると良い、そう四八は考えていた。幾つかの都市を実際に探し歩き、都心部にほど良く近く自然も多く、川が隣接しており沼地ではあるが田畑を耕す事が可能で水遣りにも困らず、沼地であるから安い土地、逍遥町のある土地を購入する事にした。働きながら田畑を耕し自給自足も兼ねた生活をする。物が不足していた社会で生きてきた四八にとって、必要な物はなるべく自ら用意する、必要な物は何でも再利用する。それが当然の考えであった。

 四八は朝も薄暗い時間に起き、植えた農作物の様子を観察するのが日課であった。未だ子供のいなかった四八にとって、農作物達はある意味で子供のような存在であり、毎日の成長が気掛かりであり楽しみでもあった。農作物の育ち具合を確認し、土の乾き具合を確認する。引っ越した後に買った安物であるけれども贅沢なジョウロを手に持ち、雨水を溜めていた容器から水を掬い土の乾き具合に合わせて水を遣る。少しずつ、ゆっくりと、そして着実に育ちますように…と想いを込めながら…。

 やがて四八夫婦には三人の娘が出来た。貧しい状況だからと子供は二人までと考えていた。だが四八は男の子を強く欲していた。それで三人目も望んだが女の子であった。四八は残念に思いながらも、うまくいかないのが人生と達観した考えで受け止めていた。四八の想いが伝わったのか、養育の仕方に影響してしまったのか、はたまた両方か…三女は男勝りでお転婆な少女へと成長していくのであった。

 三女は女らしからぬ性格をしていた。理数や論理に強く、四八の誤りを指摘してしまうような利発さと同時に遠慮の無さを持ち合わせていた。農作業も四八と共に楽しみ男の子のように泥にまみれ屈託の無い笑顔を浮かべていた。その笑顔を見る度に四八は三女が男の子であればと思いつつも、三女が男勝りである事に面白みも感じていた。性は女であるが生は男である三女、父として親として三人の娘に均等に接しているつもりであったが、どうしても想いは三女へと注がれる事となっていた。

 長女は長女らしく、無難に女らしく家の事を手伝ってくれた。次女は次女らしく…の振る舞いが解らなかった。女らしく気立て良く振舞う長女、男らしく活発に振舞う三女、そんな姉妹に挟まれ自分の生きる意味を一人思い悩むようになっていた…。悩みは拒食へと繋がった…。物が不足している時勢であった。当然食糧も不足気味であった。生きる意味の解らなくなった次女は食べる意味が解らなくなったと同時に、食べられるもの達へ深い同情を抱くようになってしまっていた。自分が生きる為には他の生命を奪い生きる事となる、しかし自分は何の為に生きていくのか解らない、解らないまま他の生命を奪い続ける罪悪感に耐え切れなくなってしまったのであった。父や母が何を言っても諭そうとしても、次女は食べる事を拒み続けた。時に少しのものを口にしては嘔吐し、吐いたものを呆然としながら眺めつつ涙を流した…。

 やがて次女は衰弱をもたらし栄養失調でこの世を去るのであった。死の表情は幸せそうな表情と苦悶の表情を合わせ持ったような不可思議な表情であった。四八は心の中で泣いた、大粒の涙を流した。長女は最初に生まれた子であるから両親を独占出来る、三女は末の子であるから両親の寵愛を受ける事が出来る、そんな中、次女の心は何を感じていただろうか?寂しい思いをさせていたかも知れない、姉妹に挟まれうまく立ち回れない自分を助けて欲しかったかも知れない。三人の子供の真ん中…、両親の視点が向き難くもっとも気をつける必要があった子だったと四八は深く後悔をした。

 やがて長女は長女らしく補佐が巧みな女性に成長し、三女は三女らしく主張が巧みな女性に成長した。長女も三女も結婚し家を出ていった。長女も三女も子供を二人もうけたが長女の子供は二人とも女の子であり、三女の子供も一人目は女の子であった。四八は自分達夫婦に男の子が生まれなかった事を残念に想い、その想いを娘達へと託していたが女系家族のようで女の子ばかりが産まれていた。そんな中、突然変異であろうか三女の二人目の子供は大望の男の子であった。四八は大変喜び溺愛したくなるほどの衝動が湧きあがってはいたが、その孫だけを特別扱いしては良くないと強く自分に言い聞かせ、自制心を働かせながらもその男の子を強く愛した。その男の子は名を「七三一(なみひと)」といった。

 七三一とその両親は、事ある毎に四八夫婦のもとへと遊びに来ていた。四八が愛する草木や自然、そんな中で子供時代を過ごした七三一は、自ずと草木や自然、そこに遊びにくる野良犬や野良猫などの動物達に関心を強く抱くようになっていき、心惹かれ草木や動物を愛する心が培われていった。

 やがては植物や動物に関した仕事をして、のびのび成長し平和に暮らしていくものと七三一の将来を四八は予測していたが、国際情勢の度重なる悪化により日本は戦争へと突入していってしまった。七三一も徴兵され、生物学を学んでいた事から資材部の第六課(動物飼育)へと配属される事となった。ネズミを使って敵国に結核やペストなどを流行らす事が出来ないであろうか?鳩を使って爆弾を敵国に落とす事が出来ないであろうか?そういった兵器利用の為に動物を道具として管理する課であった。七三一は当惑した…今まで友達のように思って育ってきた動物を兵器として利用する罪悪感、道具として使い捨てる罪悪感、兵器として道具として…その為に健康を保つように愛情を持って飼育する…やがて不幸な結末が彼ら動物に待っているのを知っていながら…。七三一は内心深く悩んだ…。徴兵から逃れたい…しかし、それは四八や両親に迷惑を掛ける。別の部隊や別の課に配属されたい…しかし、そんな希望が通るとは思えない。悩んだ…悩んだ…逃げたかった…この現実から…。悩んだ末、七三一は一つの答えを出した、現実に立ち向かう前向きな答えを。例え自分が担当しなくても他の誰かが担当する事になる。動物達の結果は恐らく同じだ、けれども過程ならば変えられるかも知れない。生きている以上いずれは死ぬのが現実。ならば兵器として道具として扱われるその日まで、誰よりも愛情深く接していこう。それが出来るのは自分だ、それが自分の使命だ。と、強く七三一は自分に言い聞かせるのであった。

 そんな家族達と離れて暮らし続けていた四八は疲れ果てていた…。生きるという事に、力強く生き抜くという事に。再三の手術の甲斐も無く最愛の妻は死に、孫の七三一も行方不明で戦死が濃厚との知らせを受けていた。四八の心を大きく占めていたものが失われた…生きる糧を生き甲斐を失ってしまった。四八は疲れ果てていた、疲れ果てて虚無感を抱く日々を過ごしていた。しかし、長年の経験を経ている為か日々の生活は淡々とこなしていた。

 そんな日々を送る中、ある早朝いつものように植物の様子を観察しに行こうとした時、物置小屋の方での物音に気付いた。リルト達との出逢いである。四八はリルトの中に七三一を感じ、リルトを守ろうとする必死な母犬の姿に三女を感じた。生きる糧を生き甲斐を無くしていた四八にとって嬉しい出逢いであり転機であった。平穏で退屈な生活の中で手に入れた適度な刺激、嬉しい刺激、四八は活力を取り戻していた。

 平穏も束の間、四八はいつからか腰に強い痛みを感じるようになっていた。しかし、妻の再三の手術が甲斐の無かった事や、長寿の意義が解らず、花々も散り時に散るもの…ならば自分もと思い医者へと通う事は無かった。

 いつものようにリルト達に餌をあげようと用意していた時、四八は痛みのあまりに膝をついて倒れてしまった。突然の事に驚くリルトと母犬。しかし、リルトは事の重大さを未だ深く感じておらず、四八がくれるご飯を心待ちにしていた。四八は咄嗟にそしてゆっくりと自分の死を感じ取った。自分はもう長くはなくこのまま死ぬのであろうと。最期の力を振り絞って餌を床へとばら撒く四八。それを悲痛な想いで見守る母犬。ばら撒かれた餌に飛び付くリルト。苦しみの言葉など一度として発しなかった四八が苦しみの声を上げる。それほどの痛みを伴う病気が四八を襲っていたのであった。間もなく息を引き取る四八。四八の最期の眼差しは餌を食べるリルトへと向けられ、苦痛を我慢しながらも幸せそうな表情を浮かべていた。死因は膵臓癌であった。



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