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「虹獣(コウジュウ)」3章:ルフゥ 6話:背水(ハイスイ)

 寝付けぬまま朝を迎えたルフゥは喉に渇きを憶え棲み処を出て川へと降りるのであった。水を飲もうとした丁度その時に遠くから何かが近付いてくるのを視界に捉えるのであった。ルフゥは誰かと思い目を凝らして見詰めていると近付いてきたのはシガール達であった。シガールはいつもの調子で声を掛ける、
「よぉ!ルフゥさんよ…ん、随分と痩せたものだな」
「うるさい!貴様に関係あるか?」
飢えにより悩みにより元気を無くしていたルフゥであったが、弱みを見せないようにと強く気を張ってそう答えた。
「関係は無いが…、そこまでしてなぜ慈善活動に拘る?その愚直さ…まるで犬のようだ。もっと自由に気ままに生きれば良かろう」
シガールは気まぐれの優しさで、ぶっきらぼうにルフゥの心配をする、
「犬のよう…?自分は犬だ!犬の子だ!母のように生真面目に生きて何が悪い!」
ルフゥは自分を、自分の母を否定されたような気持ちに陥り思わずそう叫んだ。
「はっはっは!悪いがルフゥさんよ、あんたは猫という生き物だ。大方、育ての親が犬なのだろう?」
「性は猫、生は犬…。生まれの性を育ちの生で抑圧し、自分の特色を自ら潰してしまっているんじゃねぇか?」
突然シガールに核心を突かれて戸惑うルフゥ。自分が猫?今まで疑問にすら思わなかった事である。そもそも犬というものがどういうものかも知らなかった、ルフゥにとって犬とは母犬ただ一匹が見本であった、生き方も母犬ただ一匹が見本であった、それ故に知らず知らずの内に無意識に親の影を追っていたが猫と犬は異なるもの、性も違えば生も違う親の教育通りに生きようとすれば無理が生じて心身を疲弊させる事になる。その事に初めて気付き始めるルフゥであった。戸惑いながらも考え続けるルフゥ、その為に無言のままシガールと向かい続けていた。そんな心境のルフゥにお構いなくシガールは続けて喋り掛ける、
「そもそも、なぜ慈善活動をしたいんだ?猫らしく自由気ままに生きれば楽なものを…。ルフゥさんよ、あんた自分が助かりたいだけじゃないのか?自分が助かりたいから他のものを助ける…。助けた相手の幸せが嬉しいのではなく、助けている自分の幸せが嬉しい、善を行っている自分に酔っている…」
「違う!違うぞ!自分はただ社会の平和を考えて…」
必死に否定するルフゥに対しシガールは畳み掛けるように反論する。
「社会の平和…?誰にとっての平和だ?誰かにとっての平和は誰かにとっては平和ではない。ルフゥさんよ、あんただって毎日何を喰って生きてんだい?」
シガールに核心を指摘され続けるルフゥ、考えたくはなかった、気付きたくなかった、気付き始めてしまっていた、薄いけれども深い傷口を牙でむりやり抉じ開けられた気分になったルフゥは錯乱し始めるのであった。
「俺が何を喰っても俺の勝手だろうが!」
ルフゥの中に居たドグマがそう叫ぶ。突然の変わりように驚くシガール達、ドインとイワンの二匹はドグマの気迫に押され数歩後退するのであった。
「違うよ、違うんだ…。僕はただ、毎日を楽しく過ごしたかっただけなんだ…」
ルフゥの中に居る核となるリルトがそう呟いた。基本人格…いや、基本獣格と呼ぶべきか、つまりは多重人格(解離性同一性障害)、多重獣格である。リルトは母犬や四八との別れ、その後ただ一匹で生きていかなくてはいけない辛さや寂しさにより精神が崩壊しそうになっていた。その崩壊を食い止めるべくリルトは自分の中に荒々しく強いドグマを作り出した。しかし、そのドグマも自らの凶暴性を悔いて精神が崩壊しそうになった。そんなリルトとドグマを統制していたのが生真面目なルフゥであったが、そのルフゥですら現在、精神を錯乱して崩壊しかかっていたのであった。
「僕は…僕はただ…楽しく毎日を…」
リルトが気弱な声でそう呟く、
「楽しさ以前に生き延びる必要があるだろうが!」
ドグマがそう叫び猛る、
「楽しむ為には、生きる為には相応の秩序を…」
ルフゥがそうリルトとドグマの二匹を統制しようと試みる。しかし統制はうまくいかず各々が好き勝手な事を喋り続け収集は付かず、エスカレートする口論、一匹で暴れるルフゥ、リルトの発言の時は小さくて白い毛並みの良い姿に、ドグマの発言の時はやや大きく逆立った黒い毛並みの姿に、ルフゥの発言の時は標準の体型に無難に整った灰色の毛並みの姿にと、めまぐるしく変化するのであった。
「こ、こいつは…」
シガールはルフゥの突然の変容ぶりに思わずそう呟く。ルフゥの言動の様変わりにも驚いたが、それ以上にルフゥの姿が変化する事への驚きが強かった。驚いたシガール達は錯乱するルフゥをよそに離れ去って行くのであった。去って行く事を気にも留めないルフゥ、それ以上にも自分達の統制が重要な事であった。必死に理性を取り戻そうとするルフゥの邪魔をするように、リルトが表に出てきてシガール達が去って行くのを見ながら、
「遊んでくれないの?…」
と、つまらなそうに呟く。その呟きに呼応してドグマが叫ぶ、
「追い掛けて喰うぞ!犬だろうが何だろうが窒息させて喰っちまえばいいんだよ!」
シガール達に無視をされ去られた怒りと、空腹のイライラ感からドグマは安直に喰う事を主張する。
「食べちゃダメだよ…僕は遊びたいんだ、楽しく過ごしたいんだ…」
ドグマの主張にリルトは子供っぽく反論をする。そんなリルトとドグマのやりとりをよそに理性を取り戻し始めたルフゥは川の水面を眺める。水面に写る自分の顔をじっくりと見詰める。
「これが…自分。自分は…猫」
水面を眺めつつ、そう呟くルフゥ。確かに母犬とは姿が違う、シガール達とも姿が違う、ウェンスやルンテと似ている気はする…。しかし、自分は母犬の子だ。でも、自分は猫なのか…。猫と犬は生き方が違うのだろうか?犬のように生きる猫がいたって、猫のように生きる犬がいたっていいのではなかろうか…。けれども、その為に心身に負担が掛かり無理をしているとなれば理想を現実のものとするのは難しいのであろうか…。自分の理想は自分が助かりたい為なのだろうか?どう助かりたい?否定された自分の存在を肯定されたい?自分の存在を肯定してもらう為に承認してもらう為に、何かを助けるというのはエゴなのだろうか…。解らない、何が正しくて何が正しくないのか。生きる為に何かを食べる事は正しいのだろうか、食べなければ死ぬ…死なない為に何かを食べる事はエゴなのだろうか?食欲…欲求…利己的欲求…。食べられる側の気持ちを考えたら、とてもでないが食べれる訳がない。食べられる側の平和を侵し、その存在を犠牲にして成り立つ自分の生。そこまでして生きる価値が自分の命にはあるのだろうか?そこまでして生きる意義が自分の存在にはあるのだろうか?……突き詰めた極論、餓死は善。なにものも犠牲にはしない、なにものの平和も侵さない、なにものも哀しませない…。母犬…四八…。自分に、強く生き抜いて生き延びて欲しいと、自分の為に最期を賭してくれた…。今まで食べてきたもの達…こんな…この程度で終わる自分に食べられ生を終えた事にしてしまう!いや、しかし、これも自分の利己的な欲求を正当化する為に生み出した思考なのだろうか…。解らない……。

 悩み思い詰め続けるルフゥにどう接したら良いのか解らず棲み処の入口からルフゥを見詰めるウェンスとルンテ。その視線に気付くルフゥ。しかし何を話したら良いのか悩みで一杯の頭からは掛ける言葉が見付からず、堅物の思考を解すようにリルトが出てきて喋り出す。
「ねぇねぇ遊ぼ!小石の追い掛けっこしよーよ!楽しいよ!」
シガールと対峙していたルフゥを眺めていたウェンスとルンテは、またのルフゥの変わり様に驚き返答に困り果てていたが、リルトは構わず喋り掛ける。
「どうしたの?小石遊び嫌い?それとも僕と遊ぶの嫌なの…?僕は遊びたいのに…」
思い通りにいかないと子供っぽく拗ねる柔弱な精神のリルト。そのリルトを助けるように強気なドグマが表へ出てきて叫びながら襲い掛かる。
「応えろ貴様ら!喰うぞ!」
突然の事に驚きながらもドグマの攻撃を避けるルンテ。
「もう我慢も限界だ!付き合っていられないよ!」
ルンテはそう叫びながらシガール達の去って行った方向へと走り出す。それを阻止せんとばかりに再び攻撃するドグマ、しかしその攻撃は無言で体当たりをしてきたウェンスに阻まれてしまい、ウェンスもルンテの後を追い走り出すのであった。
「また独りになってしまった…」
冷静なルフゥが現状を分析しそう呟く。人との確執、獣との確執、うまくいかない自分の性。自分の生。自分の所為…。夜の空に遠吠えてみても響き渡るのは自分の声ばかりで、静寂の夜に響き渡った自分の声を噛み締め、独り涙を流しながら叫ぶのであった。



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