「虹獣(コウジュウ)」1章:リルト 8話:孤迷(コメイ)
ここは……何?……。
僕は……どこ?……。
四八と母犬の亡骸を後にリルトは家を出てフラフラと当てもなく歩き出していた。四八や母犬の死を受け入れる事が出来なかった。辺りは真っ暗と夜になっていたが、リルトの五感は敏感になり過ぎていて暗闇の中ハッキリと物が見えていた。見えていたが視点はどこにも合っていなかった。初めて体験する身近なものの死。今まで優しかった四八の温もり、今まで厳しかった母犬の温もり、もうその温もりを感じる事が出来ない。四八にじゃれる事も優しく撫でられる事も、母犬とお喋りする事も厳しく怒られる事も、何も出来ない。何もしてくれない。何もない。全部なくなってしまった!
なぜ?なぜなんだ?僕が餌を欲しがり過ぎたから?僕がイタズラをし過ぎたから?僕がじゃれ過ぎたから?僕が言う事をちゃんと聞かなかったから?…。僕が悪いの?どうして?何が悪いの?教えてよー…。僕は毎日を必死に生きていた、毎日を楽しく生きようとしていた。何がいけなかったの?僕はこれからどうすればいいの?僕はこれからどう生きれば良いの?僕を置いていかないでよ!
リルトは声にならぬ想いを心に強く感じていた。想いを心に深く溜め込みながらフラフラと川沿いの塀の上を歩いていた…。ゆっくりゆっくり、一歩一歩…四八や母犬への想いを噛み締めながら…。そうしている内にポツポツと…そしてすぐにザーザーと雨が降ってきていた。リルトはどこかで雨宿りをしようと思いおぼろげな様子でキョロキョロと周囲を見渡した。リルトは反対側の壁に排水路の大きな穴があるのを見付け、そこで雨宿りをしようと川岸へと降り小さな川をジャンプして渡り、その穴の中へと入っていった。穴へと入った瞬間、なにものかの気配を感じた。感じると同時に低い声で唸られて威嚇をされるリルト。中型犬であろうか一匹の犬が縄張りを侵された為にリルトを威嚇していた。四八への想い、母犬への想いで心がいっぱいであったリルトは突然の威嚇に驚き、自身の尻尾を追い掛けぐるぐるとその場で回り出し転位行動を取っていた。
「変な奴だな…、しかしここは私の縄張りだ。他の獣に居座ってもらっては困る。ましてや人の匂いがする獣などはな!」
そう穴の中にいた中型犬はリルトに言い放ちリルトへ穴から出る事を促した。腹を見せごろごろと転がり始めていたリルトは転がる弾みで穴から落ち川へと落ちてしまった。慌てて起き上がり川を出ようとしたリルトの指先を何かが掴むような感触を感じたが、何かが引っ掛かったのだと慌てながら体勢を整え川から出て体を左右に回転させるように振るのであった。
動物に自分を否定されてトボトボと彷徨うリルト。当てもなく歩いていると、ある家の庭へと着いていた、動物の気配がする…でも食べ物の匂いもする…。動物への警戒心による慎重さと、食べ物への空腹感の衝動さ、二つの背反する気持ちに侵されたリルトは慎重にその動物が鎖に繋がれているのを確認し、衝動の勢いを持って食べ物の入った入れ物を遠くへと蹴飛ばした。庭に居た犬は咄嗟に前へ出て吠えたがリルトが飛ばした入れ物のところまで届かず、ただただ吠えるだけであった。その隙にリルトはその犬の食べ物を夢中で食べた、空腹で空腹で吠えられる怖さよりも空腹さが勝っていた。少しするとその家の人が出てきてホウキでいきなり叩かれた。四八で人に慣れていたリルトはいきなりの事にビックリして飛び跳ね走り去って行った。
行き場が無い…居場所が無い…。三日ほど彷徨い続けたリルトであったが、住み慣れた家へと一旦帰ってみる事にした。しかしそこには大勢の人が集まってきていた。四八の子供や孫達である。四八の葬儀をどうしようか、それよりも四八の遺産をどう分けようかと話し合っていた、いや口論をしていた。そんなところへのこのこと現れたリルトは葬儀会社の人達に邪険にされ、家に入る事を許されなかった。追い掛けられ棒で叩かれた。リルトを叩いたのは若い人間であったがリルトにしてみれば、そこにいる人達全てが敵に見えた。
四八ともう会えなくなる、母犬ともう会えなくなる、会おうとするのを阻害する人達、四八はあんなにも優しかったのに、これが人の本性か?母犬を生前に追い詰めた人達も悪い奴らだったようだ。リルトは実際に自分が嫌な思いをした事により母犬の言い遺した話を少しずつ実感するようになっていた。
リルトは唯一の居場所を失った。人間達によって取り上げられた。人間達によって奪われた。リルトの居場所を…。四八との想い出を母犬との想い出を、奪われたのだ。人間達によって…。リルト生後八ヶ月、人に換算したら十二歳の時であった。