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クリームソーダと街



隣の席のカップルが自殺の話をしている。

昼下がり、駅近の雑居ビルの最上階に入っている喫茶店だ。
幾年かぶりに歩いた都会の街はまるで迷路のようだった。建ち並ぶ建物が視界の上半分を覆い、人の多さに未だ新鮮に驚く。人混みに揉まれつつ地図アプリを頼りにたどり着いた喫茶店が、まさかビルの八階にあるとは思わなかった。

店内はほどよい薄暗さで、高級感がありつつも昔ながらの古き良き雰囲気を漂わせており私は早くもこのお店が気に入っていた。
二人掛けと四人掛けのテーブルが交互に並んでいる。「お一人様はこちらで」と品の良さそうな白髪の店主に案内された席はカップルが座っている四人掛けテーブルの隣。奥の席とかもっと空いてるのにと口を尖らせつつも、素直に腰掛けメニューを受け取る。外は寒いがなんせかなりの距離を歩いてきたため汗ばんでおり、私はクリームソーダを注文することにした。ついでにガトーショコラも注文した。カップルの男性がそれを食べているのを見て美味しそうだと思ったからだ。

この店は全席喫煙可らしく、白い煙があちこちから漂ってくる。普段なら嫌気がさす灰の匂いもこの時ばかりはなぜだか心地よかった。スーツ姿で煙草を燻らせながらコーヒーを嗜むおじさんも、赤色のチェックシャツを着た白髪マスターも、店内の独特な装飾も、四角く切り取ってしまえばまるで映画のワンシーン。都会の喧騒とは打って変わってゆったりと流れる時間が人混みに気疲れした私を静かに癒す。
ここなら広告トラックの音も街頭演説の声も聞こえまい。

ふかふかのベルベット調のソファ席は座り心地がよく、甘い香りで眠りに落ちてしまいそうだ。

とはいえさっきから隣のカップルの話題がずっと家系ラーメンで、聞いてるとラーメンの口になってくる。今夜はラーメンにしようかと考えたところで、やっと注文したメニューが運ばれてきた。

その青さに私は思わず「わあ、」と声を漏らす。

いわゆる一般的なメロンクリームソーダとは異なり、グラスに注がれたソーダの色は紛れもない青色。上に乗っかったバニラアイスはスコップで雑に乗せたと言わんばかりにでかく不格好な形をしている。青とアイスの境目がしゅわしゅわと混ざり合い、その様が一種の物語を象徴しているようで、水色セーラーを着た少女の姿がありありと浮かぶ。
ガトーショコラは高さがありふんわりとした質感だ。隣に添わった生クリームはバタークリームみたく固めでこれまた私が好きなやつだ。
本来行く予定だったカフェはおひとり様お断りで門前払いを喰らってしまったが、なんだ、こっちへ来て正解じゃないか。
私は迷わずスマホでそれらを撮影する。カシャンと響くアイフォンのシャッター音がなんとも不調和で恥ずかしい。

飲み物に乗ったアイスほど魅力的なアイスはないだろう。徐々に溶けて混ざりあっていくクリームソーダを惜しみつつちまちまと味わう。ガトーショコラもちょうどよい甘さと軽さでとても美味しい。画として完成された“昔ながらの喫茶店の軽食”がどんどん無くなっていく様子に悲しみすら感じていた。

ほくほくと喫茶店を味わっているとふいに横からある台詞が耳に入ってきた。

「この前マンションで自殺した人が出たんだけどさ」

自殺、という衝撃的とも言える言葉に私は思わず彼らの方を振り向いた。どうやらカップルの男性が住んでいるマンションで飛び降り自殺があったらしい。さっきまでディズニーランドの話をしてたくせにどんな話題の移り変わりだと思いつつ、ちらりと向かいを窺うと女性の方は一転して青ざめた表情をしていた。
「私そういうの無理、怖い」
茶髪を綺麗に染めたその女性は話題の変更を何度も提案する。けれども男性は煙草を片手に構わず話し続けた。十階から落ちた、救急車がたくさん来た、実際に落ちた人の姿をこの目で見た。「無理無理。怖い」と苦い顔をしながらも女性は話をきちんと聞いていて、私もその話題からつい隣で耳をそば立ててしまった。男性がひと通り話し終わったとき、女性は「しんどかったんだね」とひと言悲しげに呟いた。「そうだね」と男性が言った。


話題が一段落したところで店内BGMに耳のピントが合った。透き通った青色をしていたソーダはいつの間にかアイスと完全に混ざって濁った水色をしている。
まさか隣の席の客がつい昨日まで自殺を考えていただなんてこの人達は思いもしないんだろう。
とかって思ってみる。けれど彼らには私の心の声はもちろん私の存在すら目に入っていないだろう。彼らにとっての風景に私はなることができているだろうか。死から遠い彼らの日常に、クラシックが穏やかに流れるこの魅力的な喫茶店に私はきちんと馴染んでいるだろうか。異物としてぽつんと浮かんでしまっていないだろうか、と、小さい頃からの強迫観念じみた不安が、たった今思い出したかのようにじわじわと脳みそを支配する。

いつの間にかカップルの話題は通っている大学の話に変わっていた。
入口側の席では一人の女性が膝を抱えながらソファ席に座り、煙草をふかしている。その反対側の席では虎柄のスカジャンに楕円形のサングラスといったいかにもな風貌の男性が文庫本を読んでいる。奥の方の席では三人組のサラリーマンや常連らしきおじさま達がコーヒーと煙草を交互に揺らし、「やっほう。ねえ見て、これ新しいジーパン」とマスターにジーパンを見せつけながら入店してきた女性が後を追ってきた友達と仲良く席に着く。
私はというとなんだかばつが悪くなり、残りのソーダをずずっと吸って会計を済ませることにした。もう十分この喫茶店を堪能したことだ。
レシートは無いらしく口頭で言われた金額をぴったり払い、ごちそうさまでしたと丁寧に告げて店を出る。読み方がよく分からない漢字表記の店名を目で見て覚えた。



冬の始まりの空気はひんやりと冷たく、先ほど飲んだクリームソーダがここに来て響く。ここは喫茶店のある八階から出られる雑居ビルの屋上だ。憩いの場と名付けられたそこはいくつかのベンチと銅像が並んでいるだけのただの広場で人も疎ら。お隣の背の高いビルや重機が乗せられた建築途中のでかい建物が視界の半分を埋め、フェンスの隙間から街の様子が覗ける。
「無理だ、怖い」
人がゴミのようだとも言うつもりで見下ろしたもののあまりの高さに一瞬たじろぐ。上から見下ろす都会の街並みはミニチュアみたく面白い。けれども足は正直にすくむ。ここはきっとあのマンションの十階よりは低い。それでも怖いものは怖い。
今ここで飛び降りたらだなんて悪趣味な妄想すらできやしない。
しばらくベンチに座ってぼうっとしたい気持ちもあったが、四方を高い建物に囲まれているせいか日も当たらず寒くてここじゃ風邪をひきそうだ。
屋上から見える景色をいくつか写真に撮って、ベンチで休憩していた人達に不思議な目で見られながら私は雑居ビルを後にした。(今思えばあの時乗ったエレベーター、業務用だったかもしれない)




意味もなく落ち葉を蹴って歩いた。今日はとびきり風が強くせっかく早起きして編んだ三つ編みも片方ほつれてしまっていた。高級ホテルの玄関前で清掃をしている人は内心呆れていることだろう、集めても集めても落ち葉は舞う。からからと乾いた音を立てて舞う。

百貨店が建ち並ぶ駅周辺は案の定ひと気が多く、紙袋を片手に忙しなくブーツのかかとを鳴らす人、スーツケースを引いて時刻を確認する人、ベビーカーを押す人、部活帰りの人、外国から来た人、みんなぶつかることなく器用に歩を進めている。彼らが例えばゲーム内のひとつひとつの駒で、私がそれを操るプレイヤーだとしたらあちこちで衝突事故が起きているだろう。
やっぱり、私だけ浮いている。
彼らが当たり前に見逃す風景に私だけ溶け込んでいないような気がしてしまうのだ。

こういう時はたいてい早歩きをして急いでいる人のふりをする。景色を置き去りにして颯爽と歩けばすれ違う人の記憶には残りづらいだろうし、なんせちょっとかっこいい気もする。
しかし今日はそんな気にもなれず、手持ち無沙汰の視界をスマホの画面越しの風景に切り替えた。
アイフォンの無駄に大きいシャッター音もこの人混みなら目立つことはない。道路沿いの花壇や変わった形の街灯、寂れた看板など、私は目に映る風景を次々に写真に収めていった。

なんの変哲もない街並みが長方形に切り取るだけで途端に意味を生じさせる。フィルターをかければそこに物語をも見い出せる。街ゆく人はどうしてこの景色を写真に撮らないんだろう?とさえ思えてくる。
とはいえ人の多い通りで立ち止まるわけにもいかず、小幅で歩きながら撮ったそれらはほとんどがブレてしまっていた。人目を気にするせいで中途半端な角度のものばかりだ。自身がこの場所に居ることの言い訳のためにカメラを構え、けれどそれすら上手くいかない。


だってみんな、なんにも考えてないようにみえる。街の一部を構成する歯車のようにも見える彼らには、死の概念すらないようにも思える。




駅の改札が近づいてきた。私はスマホを上着のポケットに仕舞い、スムーズに改札を通るべく五十メートル先からICカードを鞄から取り出し準備しておく。

仲間外れだと思うことはすなわち、主人公だと思うことと同義だ。街の風景に馴染んでいたいと思う反面、心の中ではどこかそれを拒んでもいる。草花や建築物にカメラのレンズを向ける度にその風景から遠ざかっていく。カシャンとシャッター音が鳴る度に世界から弾き飛ばされる。それはどこか気持ちがよく、そしていつも寂しい。私は彼らにはなれない。








登ってみたかった



天高く



恥ずかしい?



赤色のエレベーター



自転車の音に似ている





足が疲れてきた



三角形




クリームソーダとガトーショコラ(千百円)






乗り換えのために降りた駅には巨大な地下街が広がっていた。惣菜屋さん、お茶屋さん、時計屋さん。その中でもひときわ華やかな外観の花屋さんに惹かれふらりと入店。カラフルに染まったポインセチアがクリスマスの到来を匂わせている。なんだか今の自分には場違いなんじゃないかと思いながら店内を回っていると、ふとオレンジ色のミニブーケが目に留まった。
別に祝い事などないけれど。
と手に取って値札を見てみるも可愛くない数字。遠出して使い果たした今日の予算を思い出し、けれど棚に戻すのが惜しいほどに素敵なブーケだ。
しばらく悩んでいると奥から大きな花束を手にした男性が出てきたので私はさっと避けて狭い通路を譲った。誰かの誕生日の贈り物だろうか、ピンクと赤の鮮やかな花束。
そういえば、もうすぐ十八歳になる。


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