「CMYKの声」
2024年9月28日に開催された「PROJECT IM@S vα-liv PRODUCER MEETING 2024 -FROM NOW ON!!!-」アイドルマスターシリーズの「va-liv(通称ヴイアラ)」と呼ばれるシリーズのトークライブイベント。
本記事はそのイベントのレポ…というわけではなく、それに参加した一介のオタクが「V」と呼ばれる存在に対しての意識を改めたというお話です。記事というよりは備忘録のため、読んでいて楽しいものかはわかりませんがお暇な方はお付き合いくださいな、というテンション感の記事です。よしなに。
【※注意※】
※ヴイアラプロミの本編内容に触れる記事です。アーカイブ視聴などを考えている人は視聴を済ませてから見ることをお勧めします。
※都度簡単な説明は添えていきますが最低限アイマス、ヴイアラの基礎知識を持つ方向けの記事です。ご理解ください。
※正直とんでもなくメタい話です。苦手な方は非推奨。
※あくまで個人の意見です。合う合わないはあると思うので合わなかった場合に「そういう考えもある」という解釈を持てる方のみ先にお進みください。
【おまえは誰だ】
初めての人は初めまして。私は指揮人と書いてしきじんと申します。
アイドルマスターを中心にいろいろと推し活やお絵描きなどいろいろと活動をしている一介のオタクです。ヴイアラに関してはたくさんお絵描きするのでFA屋として見られてたりするのかな?IRIAMで配信もしてたりするまあなんというかいろいろ活動してる限界宇宙星人です。
【プロミ簡易レポ】
まずは簡単にプロデューサーミーティングのレポ的なものを。
他マスでも使われる名称で、略してプロミと呼ばれることの多いイベント。あくまでライブとは違い、トークなどの企画パートをメインとしたイベントという感じです。
本公演の構成としてはOPライブ→P公募企画→対戦企画→ライブコーナーという4部構成。昼夜で変わったのは企画内容とライブコーナーのカバー曲でした。
ヴイアラ初の単独オフラインイベントということもあり新旧様々なヴイアラPが集い大盛況のイベントに。私個人としてもとっても楽しいイベントでした。
様々な印象的なポイントはありますが今回数多くの参加者が挙げるのが「彼女たちの存在をそこに感じることができた」ということ。そう思わせる大きな理由の一つとして彼女たちのマイクを通さない肉声を聴けたこと、というのがあります。
で、これなんですけど。
私正直に言っちゃうと「え、これやっていいの?!」って思ったんですよね。
私はVtuber文化に疎い状態でヴイアラに入ったのでアイマス老害ではあってもV界隈については初心者です。ヴイアラに触れてから多少他の方にも触れるようになり多様なスタイルがあることは承知していましたがヴイアラに関しては世界観への徹底した意識があったためあくまでモニターとスピーカーは絶対に越してこないものなんだろうなって思ってたんですよ。唯一の境界線、というべきでしょうか。
でも今回それ片方超えちゃったんですよね。今回のプロミで彼女たちと我々との境界線はモニターだけしかなくなったわけです。
一応言っておくとこれに対してアンチというわけではなくて、皆が言うように実在性がすごく上がったため楽しかったし何より一緒の空間にいるんだっていうことを実感できた。メタいこと言っちゃえば極論その場に本人がいなくても成り立たせることはできちゃうコンテンツですからねバーチャルって。本当に楽しい時間を過ごすことができました。
【CMYKとRGB】
さてこの辺で本題を。
先に語ったことにも通ずるんですが今回のプロミは「V」というものに対していろいろ見方を改めるいいきっかけになりました。
今回、当然ですがあの新木場の会場にいた多くはプロデューサー(ファン)です。でもその中には一応バーチャル体を所有する私のような配信経験者が何人かいた。SNSでの観測の限りですがヴイアラ推しを公言しているVtuberの方もいらっしゃったようです。
だからあの日新木場には「出演者のバーチャルライバー(ヴイアラ)」「観客のバーチャルライバー」「バーチャルライバーになったファン」が混在してたんですよね。
いや冷静に考えるとこれどういうこと?ってなりません?????
次元の壁とか境界線みたいなものがあまりにもバグった空間がそこにあったんですよ。
私自身はIRIAMライバーとしての活動もしているので「バーチャルライバーになったファン」の立場なんですが、周囲に顔はすでにバレているしなんなら積極的に交流するプロデューサーです。だから言うなればCMYKの存在なんですよね。んでまあヴイアラの三人はRGBの存在。
じゃあ観客として来ていたVtuberさんは?
これが今回すごく自分の意識を変えるきっかけになりまして。
恐ろしくメタい話になるんですがVtuberってまあRGB側じゃないですか。RGBの存在だけどあの日観客席にはCMYKの存在しかいなかったわけです。だからあの瞬間のVtuberさんはCMYKの存在なんですよね。
先にも述べましたが私はVに関しては新参者です。業界のタブーじゃないですけどVライバーさんの魂、中の人だなんだというのはある種、神聖視されているものだと思っていました。匂わせることもリスクなんだと。
でもヴイアラのコラボ企画でIRIAMに出会い「気軽なバーチャル配信者」という形もありなんだ、とVtuberに対する緊張感みたいなものが解けた感覚がありまして。
加えてIRIAMから私含め、ヴイアラ発ライバーが何人も誕生。そう、CMYKとRGBの境界線を自分で踏み越えてる人間なんですよ。私自身が。
そういった中改めて考えてみると「境界線」という言葉はもはや適切ではないんだろうな、って感じるんですよね。
あくまで「CMYKからRGBに切り替えるスイッチ」があるというだけ。
例えば私で言うならば、現実を生きるCMYKの指揮人もIRIAMを生きるRGBの指揮人も「指揮人」なんですよ。そのスイッチを切り替えた瞬間に発生するパチンという効果音のことを我々は境界線と呼んでいただけなんだ、と。
そうやって考えた時に、すごくしっくり来たんです。
「ああ、舞台裏から聞こえた彼女たちの肉声はCMYKの声だっただけ。そしてそれだってちゃんと彼女たちなんだ」と。
もちろんヴイアラはバーチャルの世界に生きる存在ですし、今後、我々と物理的干渉をする機会はあり得ないでしょう。でもあの日、確かに会場に彼女たちはいた。
この曖昧さや歪さに対して「バーチャル」というくくりで正解とか理屈みたいなものを求めるんじゃなくて一人一人を単独のコンテンツとして見つめることが大切なんだな、と気づいたんですよね。それを今回強く思うことができたのでここでちゃんと残しておきたい、というオタクの備忘録でした
【最後に】
記事の体裁をとる以上は何かをまとめをして終わろうと思うのですが今回はオタク界隈のテーマとしてよく聞く「二次元と三次元の境界線」という言葉に関して触れて終わろうかと思います。
あるかないかで言えば私は境界線というものはあると思います。でも現代において様々なコンテンツがありふれる中で、その境界線というのは体裁を変えてきているのかな、という感覚。
バーチャルアイドルとそれを追うファンとの間には境界線がある。でもこれって二次元と三次元との境界線とは多分別のものなんですよね、そもそもバーチャルアイドルは二次元か三次元か?という話もきっと盛り上がるテーマですが今回は割愛。
バーチャルというのは二次元から三次元に歩み寄る手段であり三次元から二次元に歩み寄る手段である。そういうことなんじゃないかな、というのが今の私の結論です。
その2→3、もしくは3→2へ移行する瞬間のどこかに「CMYKとRGB」の境界線がある。でもその境界線を越えようが越えまいがその人はその人である。というある種「曖昧を楽しむ文化」なんでしょうね。バーチャルって。
といってもバーチャル自体は人口こそ増えましたがまだまだ走り始めの文化。きっとその曖昧さにも時代と共にルールや風潮は付きまとうのかもしれません。
例えばヴイアラで言うならば今はまだ小さいですがコンテンツ規模が大きくなり彼女たちを取り巻く環境が変われば、コンテンツルールや世界観の管理が厳しくなり、活動スタイルに変化があるかもしれませんしね。既存のアイマスと同じと思って挑み続けてはいけないのだと思います。肉声が聞けるなんてレアケースは今回だけかもしれない。
だからこそ私は今後のヴイアラが楽しみですし、上水流宇宙がおもしれー女でいる限りは上水流を追い続ける予定です。
ヴイアラPの皆様、これからもよろしくお願いします。
さて、最後までご覧いただいた方はいらっしゃるのでしょうか?もしいらっしゃるのであればお疲れ様です。ご覧になっていただき本当にありがとうございました。
最初にも述べましたがあくまでこれは私個人の一意見です。決して賛同を求めるつもりはありません。でもこういう意見があるんだ、と知ることで皆さんが自分なりに自分の推すコンテンツへの考え方を整理するきっかけになればいいな、などと思います。
さてさて、ではこの辺で本当に終わりです。
最後はヴイアラ恒例、いつもの挨拶で閉じようと思います。皆さん準備はいいですか?いきますよ~せーのっ
バイアラ~~~~!