これからの世界を思ふ。優しく生きて居ればいつ終わりが来ても良し。
今日は涼しい。
昨日は暑かったし、雨は降るしでべたべたした。
世界中異常な状態。
パレスチナの子供達の惨たらしい写真を見た。
かわいそうでつらすぎる。暫く何も出来ない日々が続いていたけれど、祈りは通じると思い手を合わせている。
今年はあらゆる出来事が起こっている。
トルコの大地震の話など、もう忘れてしまったかの様な遠い昔の事のように
それからも次々と世界中の悲惨なニュースが毎日入ってくる。
世界は確実に大きな終わりに近づいているけれど、この終わりは、例えばいきなり終わりになる事が合ってもおかしくないと思う。
大地震や大噴火が世界同時に起こったとしても不思議では無い。
今、こんな世だから過去の予言者の話など人は興味を持ってみると思う。
ある人などは、予言に取り憑かれたかのように予言予言とセミナーを開いているようだ。
私は予言などを追う人間では無い。別に否定もしないけれど、例え判ったところで、人々は今の瞬間を生きて行くしか無い訳で、結局ただ煽られて不安になる人がいるのでは無いのか?と思う。
予言とは別に、トランプ氏が救世主の様に思う人達もいるようで、人の思いは色々だけれど、きっと何かにすがりつきたいのかもしれない。
自分では何も出来ないと思い、トランプ氏なら世界を変えられると思っているのかもしれないけれど、やはり人は自分の思念、思考で生きて行く訳で
誰かの話を盲信したり、過剰な期待をしたり、それは自分で思考するという自分に対する責任を放棄し全てを他者に委ねているように見える。
与えられたこの人生は自分で決めて生きて行くしか無いわけで、例え来年はとても暗黒の世になったとしても、その中でも生きて居る限りは何かしら天からの役目を果たしながら生きるしかないのだから、まずは自分がこの暗黒の世で生きて行く折り合いをつけるしか無いと思う。
結局、この世に生きて居るという事自体が自分に与えられた修業だと思う。
パレスチナの残酷な大量虐殺での子供の血だらけの姿を見ても、「どちらが悪い」の話に終始している人は、そこから学ぶ事が修業だったけれどもそれを気付かずそのままいくのかも知れないし、はじめはそういう考えだった人があの様な光景を見て、はたと気付く事があるかも知れない。
神様は色んな機会で修業の機会を与えていると思う。
私も、パレスチナに対する一部の日本人のあまりにも心ない言動に心を痛め怒りを感じていたけれど、私が怒ったところで届かないし、それよりパレスチナの子供達のために祈り続ける事の方が遙かに天に届く事だと思い直した。この世には怖ろしく攻撃的な人もいれば仏様のように優しい人もいる。
私は優しく生きて行きたい。
仏様のようにはなれないけれど、縁のある人達には優しく愛を持って接していきたいと思う。どんな世が来ても愛があれば、その空間は幸せだと思う。