(ほぼ)全部を失くした1年と、それから。
職、貯金、生活していた環境、健康な体、そして陸上競技。
1年前の6月、24歳の僕が失った物です。
当時知り合いだった人物が代表を務める陸上クラブでコーチをやるという話で実業団と所属していた会社を辞めた。
しかし、そこでの活動で実際には生活できる程の給料が支払われることはなく
相談してもそれが解決される事が無かった為
実家に帰ることになり、その間の生活費で貯金を切り崩すこととなった。
そこに更に追い打ちをかけるように腰の痛みで病院に行ったところ
椎間板ヘルニアの診断を受け、半年以上、走ることまでを禁じられることになった。
ここまでが24歳厄年の私の厄満である。
これをうけて
『めっちゃ自分不運やな!!😉』とは思ったものの
誰か他人を恨むような気持ちにはそこまでなれなかった。
だけど、本当に人を信じることができなくなったし
なにより『もう陸上競技なんてうんざりだ。』
という心境になってしまったのはとても悲しかった。
【もう競技は引退して、普通の生活を送ろう】
一度は本気でそれを決意した。
でも、できなかった。
どれだけこの先辛くなろうとも
心の底からくる「まだ走りたい」という気持ちを無視したくなかった。
クッソ痛い手術もリハビリも死ぬほど嫌だったし
普通に働いて、仕事終わりにトレーニングを積むのは眠いし、体は動かないし
どれだけトレーニングを耐えても
昔の自分の足元にも及ばない日々が続き
何度も心が折れた。
でも続けた。
そこにあったのは
支えてくれる人が〜とか
目的の為に〜とか
もちろんそういうものもあったけど
根本にあったのは
自分はどうしようもなく走ることが好きだ、もう一度全力で走りたい。
という感情だった。
失った物はめちゃくちゃ多かったけど
そんな状態から自分はまた積み上げて
走るのが許されて約半年。
今週末にある全日本実業団に出場できるまで私は這い上がった。
今回このノートを書こうと思ったのは
私はこんな酷い目にあいました〜だから慰めて🥺
とか、
こんなに頑張ってきました!だから褒めて😤
でもなく
卒業を控えた学生などに多く見られる
「環境に依存しないと競技を続けることはできない」という固定観念を少しでも考え直してみてほしいなと思ったからだ。
実業団に行くだけが競技継続の道ではないし
どんな環境に置かれても「好き」なら競技を続けることはできる。
それを忘れないでほしい。
自分の失敗を話すのはちょっと、いやかなり!恥ずかしいけど!
『こんだけ全部失ったやつが走ってんのか!走ってる場合やないやん!!』って笑ってほしいし
これ読んで『こいつにできるなら俺にもできそうだわ!!』
って思ってもらえたら私は幸いです😉
そして、先にも書いた【全日本実業団】で
私は復帰後初めて全国の舞台に立ちます。
久しぶりにトップレベルの争いにどれだけ歯が立つのか
市民ランナーとなった自分のやり方でどこまで通用するのか
全てが未知数です。
でも、こんだけ偉そうなこと言ったらもうやるしかないですよね。笑
ということなので、好きなら走れ。を証明するために僕は走ってきます。
その結末がどうなるか見届けてください。
ではでは〜。