人権! 差別! LGBTQ+ TRPで起きたことについて考える
VOGUEにおける杉山さんの〈デモ行進という形で世の中に訴えかけることも大事ですけど、「私たちに人権を」というアプローチをとると身構えてしまう人もいて、当事者を取り巻く環境を変えるためにやっているのに、ややもすると当事者と非当事者の分断を生みかねない。〉という発言の問題。異議申し立てをすることが分断を生むという論理は、結局、当事者は黙っていろ、ないしはお願いレベルの運動をしろとも捉えられかねないもので問題視されて当然だろう。しかし、私は杉山さんがこういう発言をしたことについての違和感はない。
杉山さんには何度か会ってお話したことがあるが、彼はなんとなく身に纏ったオシャレ感が誤解を生むけど、中身はただのおっさんという印象である。いや、彼のことを嫌いではないし、まことに愛すべきおっさんであるとは思うが、いろいろと難しいことをちゃんと考えているタイプではない。だからこれまでにも問題発言があったし、だいたいオリンピックなんてバカの祭典に照れもせずウカウカと乗せられてしまうようなタイプなのだ。ごめんね、杉山さん、でもそうだよね。
だからこういう発言について驚きはしないが、しかし、疑問なのはVOGUE編集部がこの記事を出した狙いはなんのかということだ。記事の冒頭で〈1969年6月にNYで「ストーンウォールの反乱」が起きたのを機に、セクシュアルマイノリティの人々の尊厳を称え、その人権問題について考えることを促す「プライドパレード」がアメリカで始まり、その動きは世界へと波及していった。〉と書かれているので編集部としてもLGBTQ+が人権問題であるという認識はあるわけだ。また問題の発言直前のインタビュアーの問いは〈──確かに東京のプライドは、まさに「フェス」といった趣ですね。〉となっていて、TRPの人権意識の低さを問い糺しているように見える。もし、そういう意図の記事であったならばVOGUE編集部さすがと言わざるを得ない結果である。しかし、もしそうならはっきり糾弾するのがメディアとしての責任ではないのか。
記事の最後は杉山さんのこんな発言で締められる。
〈杉山 自分が自分である、相手が相手である。それを互いが尊重するということに尽きると思います。こうあるべきの押し付け合いじゃなくて、こうありたいという自分の気持ちを大事にし、相手のその気持ちも応援できる関係性をつくりたい。それがPRIDEに繋がっていくんだと思っています。〉
なんだコレ? 批判するならするでこんなフワッとした終わらせ方するなよ。私は基本的にTRPを応援しているけれども、そしてまた売文仕事を貰っているので関係者だとも言えるけれども、このイベントには問題も多いし、それを批判することも大切だと思う。
だからもっと批判的な記事でも良かったとは思うが、しかし、この記事の意図がそういうところにあったとも私には思えない。LGBTQ+とかオシャレだし、読者の食いつきもそこそこあるし、提灯記事書いとけくらいなのではないか。ここは単なる私の印象でしかないから違ったらVOGUE編集部さんすみませんね。だが、そういう提灯記事だって読者の啓蒙という一定の意義はあるのであって、それならそれで提灯記事に徹すればいいではないか。もし私が杉山さんをインタビューしたなら、今、このタイミングで、この発言は書かないだろう。
ライターというのはそうやって一定の意図を持って文章を書くのが仕事ではないか。
こう言ったから、その通り書きましたなんていうのはシロウトさんがSNSでやればいいのだ。なんらかの思想を背景に意図を持って記事を書くのでなければ小学生の作文だよ。こんなこと言うと情報操作するのかとか言ってくるバカがいそうだけど、ま、ぶっちゃけ情報操作して悪いかと思う。先にも言ったが私はオールドメディアずぶずぶで、今の時代に紙の雑誌をやっているような偏屈者だし、改行したら1バイアキしたいし、変人だと思ってもらってもいいが、私が初めて編集プロダクションに入った頃は周囲にヤマ師というか詐欺師みたいなのがゴロゴロいて、シロウトなんて騙してナンボくらいの空気感であった。しかし、このようなある種の上から目線ということはとても大事なことではないか。何が求められているのかマーケティングして売れる本を作る? そんなことやってゴミみたいなビジネス書やコミックを出して来たことが日本人の知性を低下させ、出版業界をダメにした一因ではないのか。読者が求めるものなんか書くなよ。書くべきものを書こうぜ。
もう一つアクサの件。じつは損保じゃなくアクサ生命のタイアップ記事をTRP公式サイトに私が書いた。他にもいくつかのスポンサー企業を取材した感想は、各社温度差はあるなということだ。非常に真剣にLGBTQ+の問題について取り組んでいる企業もあれば、社業のPRに繋がりそうだしイメージ向上にも繋がりそうだしやっておくかくらいのとこもある。アクサ生命は熱心に取り組んでいるなと感じた。だから、イスラエルとの関係を持ち出してピンクウォッシュというようなことまでいうのはちょっとかわいそうだ。アクサに限らず、TRPの現場にいる人たちは社業とは別に自主的に取り組んでいるのであり、その努力にまずは一定の敬意を払おう。もちろん、その上で批判すべきはする必要があるのであって、今回のアクサの問題は当事者の真剣な訴えをクレーマー扱いしてしまったことだ。近年、モンスタークレーマーという言葉がすっかり定着したけれど、弱者である消費者に一方的に不利益を与えるだけなので、こんな言葉は使うべきではない。消費者はどんどんクレームをつけるべきだ。もちろん企業側は不当だと感じたら堂々と反論すればいい。だから、アクサは抗議した人をブースに迎え入れてじっくり話をすればよかったのだ。私なんか数年前にTRP会場で絡んできた某元編集長を2時間くらいかけて完全に論破してやったことがあるぞ。まあ、内容的になんでその話を私にするの?というもので元編集長の底抜けのバカっぷりが分かっただけだったかも知れんけど。
そして、もちろんもっとも問題なのは警察という公権力を安易に呼び込んでしまったTRPです。そりゃまあデモの申請やら警備で警察と一定の関係を保つ必要性は分かる。だが、私たちは公権力に対して権利を要求して立ち上がってるんでしょ。警察と敵対せよというのではなく、馴れ合いにならずきちんと対峙すべきです。
そして、直ちに警察を呼ぶという、スポンサー企業に対するTRPの気の使いようもどうなのか。まるで広告屋がクライアントに接するがごとき低姿勢はやめたほうがいいよ。金を出したからって偉いわけじゃねえ、俺たちのおかげで社会貢献活動をPR出来てんだくらいの上から目線で行け。
先ほど、取材を通じて企業によって温度差を感じたと言ったけど、ある企業は当事者とアライが人権ということをはっきり意識して話をしていた。企業より、むしろ、TRPの側がビクついてないか。しかし、今回、これらの問題に対し、批判が沸き起こったことは実に喜ぶべきことだと思う。人権への理解は間違いなく深まっている。
私が三年前にOverマガジンを創刊したときの特集タイトルは「人権! 差別! LGBT!」であった。ドヤア!先見の明スゲエな。残部僅少ですぞ、興味ある方は早く買おうね。
TRPは今回の件を奇貨として、今後の方向性についてじっくり話し合ったらどうだろう。いろいろ言ったけど、私はTRPの存在は特に孤立感を抱いているユースに安心感を与えることが出来る場所であり、これからも続いていってほしいと心から願っている。
そういう意図でこの文章を書いたのである。